蓮実重彦
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1956年 - 東京大学教養学部文科二類(現・三類)へ入学。

1958年 - 東京大学文学部仏蘭西文学科へ進学。
1960年代

1962年にフランスに留学し、1965年にパリ大学大学院で博士号を取得した。同年、帰国。

1966年、東京大学文学部助手になる。

同年、ゴダールの『アルファヴィル』のシナリオ採録をキネマ旬報に掲載。

1969年、山根貞男の依頼により「シネマ69」に「アランレネ 鏡を恐れるナルシス」を書く。
1970年代

1970年4月、東京大学教養学部講師に就任。立教大学一般教育部非常勤講師を併任して「映画表現論」を講義。また、同年より蓮實の翻訳した『ゴダール全集』『ゴダール全シナリオ集』(柴田駿監訳)、『ゴダール全エッセイ集』(柴田駿監訳、保苅瑞穂との共訳)の刊行が開始。

1971年 - パリ第7大学に日本語教師として着任。約1年間をパリで過ごす。

1973年7月、翻訳したジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』が刊行される。

1974年、『批評あるいは仮死の祭典』刊行。

1975年 - 東京大学教養学部で映画論ゼミを開講。

1977年5月、『反=日本語論』刊行。

1978年、『反=日本語論』で第29回読売文学賞を受賞[10]。2月、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』刊行。10月、『夏目漱石論』刊行。

1979年には1月『蓮實重彦の映画の神話学』、2月『映像の詩学』、5月『シネマの記憶装置』、6月には山田宏一と共訳したフランソワ・トリュフォー『映画の夢 夢の批評』、10月『「私小説」を読む』、11月『表層批評宣言』、12月にも山田と共訳したトリュフォー著『わが人生 わが映画』を刊行。
1980年代

1985年、『表層批評宣言』刊行。9月、『話の特集』での連載をまとめたもので、単行本全体がワンセンテンスから成る『シネマの煽動装置』を刊行。

1988年、東京大学教養学部教授になる。
1990年代

文藝」1990年春季号?1992年冬季号にて、文芸時評をやった。[11]

1993年から1995年まで教養学部長、1995年から1997年まで副学長を歴任。

1997年4月に東京大学26代総長に就任。

1997年、パリ第8大学から名誉博士号称号を受く。

1999年フランス政府の「芸術文化勲章」受章。
2000年代

2002年11月から翌年2月にかけて、仙台市青葉区のせんだいメディアテークにて連続講演「蓮實重彦 映画への不実なる誘い」を行う。第1回「映画における国籍」2002年11月23日、第2回「映画における演出」2002年11月24日、第3回のための参考上映『映画史』("HISTOIRE(S) DU CINEMA")2003年2月9日、第3回「映画における歴史」2003年2月15日。この講演に関連して、「さまざまな角度から<映画の21世紀>に光をあてるべく」、ホームページ『あなたに映画を愛しているとは言わせない』が開設された。

2004年秋より季刊『InterCommunication』にて連載開始。

2007年3月、『「赤」の誘惑 フィクション論序説』を発表[12]。秋、『InterCommunication』での連載が終了。3年におよんだ連載は翌年11月に刊行される『ゴダール マネ フーコー―思考と感性とをめぐる断片的な考察』にまとめられる。同年、第25回川喜多賞を受賞[13]

2008年、7年ぶりとなる批評集『映画崩壊前夜』を発表する[14]
2010年代

2014年、大著『「ボヴァリー夫人」論』が刊行された[15]

2016年、小説「伯爵夫人」で第29回三島由紀夫賞を受賞した[16]
エピソード

身長182cm
[17]

立教大学での教え子に、映画監督の黒沢清青山真治[18]周防正行、ロックミュージシャンの佐野元春[19] などがいる。

2016年三島由紀夫賞受賞の記者会見において不機嫌であったことから、受賞を喜んでいるかと記者から問われると、「はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております」と答え、いしいしんじのような若手が受賞に相応しいとして自分を選んだことを「暴挙」とした[20][21]。さらに一部の記者に対して「馬鹿な質問はやめていただけますか」などと応じた。この会見はメディアでも注目を集めた[22]。またこの会見をめぐって、同賞を受賞した東浩紀や、作家の辻仁成らが、実際には文学賞を授与するさいは事前に著者へ連絡をとり、賞を受け取る意思があるかを確認すると明かしているほか[23][24]、面識のあった北野武も出演番組の中で言及している[25]。評論家の石原千秋は、「はた迷惑」「馬鹿な質問をするな」といった蓮實の言葉には、「私を作家として扱うな」「質問するなら私の本ぐらい読んでおけ」といったメッセージが込められていると述べている[26]

著書

『批評あるいは仮死の祭典』
せりか書房、1974

『反=日本語論』筑摩書房、1977、のちちくま文庫ちくま学芸文庫読売文学賞受賞)

フーコードゥルーズデリダ朝日出版社、1978、のち河出文庫、講談社文芸文庫

夏目漱石論』青土社、1978、のち福武文庫講談社文芸文庫

『蓮實重彦の映画の神話学』泰流社、1979。改題『映画の神話学』ちくま学芸文庫、1996

『映像の詩学』筑摩書房、1979、ちくま学芸文庫、2002

『表層批評宣言』筑摩書房、1979、ちくま文庫 1985

『「私小説」を読む』中央公論社、1979、講談社文芸文庫、2014

大江健三郎論』青土社、1980

『事件の現場 言葉は運動する』朝日出版社、1980

『小説論=批評論』青土社、1982。改題『文学批判序説 小説論=批評論』河出文庫、1995

『フランス語の余白に』 朝日出版社、1984 増補版2023

『映画 誘惑のエクリチュール』冬樹社、1983 ちくま文庫 1990

『監督 小津安二郎』筑摩書房、1983、増補版2003。ちくま学芸文庫 1992、増補版2016(仏語・韓国語訳刊)

『物語批判序説』中央公論社、1985 のち新版、中公文庫、講談社文芸文庫

『シネマの記憶装置』フィルムアート社、1985 1997年2月に新装版刊行

『マスカルチャー批評宣言 物語の時代』冬樹社、1985

『映画はいかにして死ぬか 横断的映画史の試み』フィルムアート社、1985

『シネマの煽動装置』話の特集、1985

『凡庸さについてお話させていただきます』中央公論社、1986

『陥没地帯』(小説)哲学書房、1986 のち河出文庫

『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』青土社、1988(芸術選奨文部大臣賞受賞)、のち各上下で、ちくま学芸文庫、講談社文芸文庫

『映画からの解放 小津安二郎『麦秋』を見る』河合ブックレット、1988

『小説から遠く離れて』日本文芸社、1989 のち河出文庫

『饗宴 1・2』(対談集)日本文芸社、1990

『帝国の陰謀』日本文芸社、1991、ちくま学芸文庫、2019

『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』筑摩書房、1993、ちくま学芸文庫、2017

『映画巡礼』マガジンハウス、1993

『絶対文藝時評宣言』河出書房新社、1994 のち河出文庫

『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994

『オペラ・オペラシオネル』(小説)河出書房新社、1994

『映画に目が眩んで 口語篇』中央公論社、1995

『知性のために 新しい思考とそのかたち』岩波書店、1998

『齟齬の誘惑』東京大学出版会、1999

『映画狂人』シリーズ(全10巻)


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