葬式
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

つまり死が人間にとって完全な終わりではなく、キリストを信じることで永遠の命復活への希望に入るものとなるということである[3][4]。このことからカトリック教会では信徒の死を「帰天」と呼ぶことがある。かつてのカトリック教会では、死と関連して死後の審判や煉獄地獄の恐怖が強調されることが多かったが、そのような考え方もこの視点によって修正された。これと関連して葬儀ミサ(レクイエム)で歌われた続唱などが、その内容がキリスト教本来の死生観から外れたものとして廃止されている。

第二の特徴は、カトリック教会の葬儀は全世界一律でなく地域の文化に合わせる柔軟さを持っているということである。日本においても当然固有の文化と伝統が尊重される。この精神に従って日本での葬儀では献花の他に焼香が行われることもあり、カトリック信徒でない参列者が多数を占めることが多いという現実が配慮されている。具体的には葬儀で用いられる用語や固有の表現は可能な限り避けられ、ミサに代えて「ことばの祭儀」を行いうることなどがあげられる[5]

カトリック教会における葬儀は、死者のために祈ることももちろんであるが、残された生者のために祈る場でもあり、神が悲しみのうちにある遺族を励ましてくださるよう祈ると同時に、キリストに結ばれたものとして、キリストが死んで復活したように自分たちもキリストの死と復活にあずかることができるという信仰を再確認する場でもある[5]
正教会アレクシイ2世の埋葬式の模様(救世主ハリストス大聖堂)。基本的にパニヒダや埋葬式などでは、教衆は白色の祭服を着用するが、参列者は黒色の喪服を着用するのが一般的。『敗北。パニヒダ。』(ロシア語: Побежденные. Панихида.)ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンによる露土戦争の一場面を描いた油彩画。膨大な数の兵士達の遺体を前に、正教会司祭振り香炉を振りつつ、パニヒダを捧げている。[6]

ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の葬儀は、埋葬式と呼ばれ、主に連祷と、無伴奏声楽による聖歌から構成されている(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)。永眠した正教徒が、神からの罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命に与ることを祈願するものである[7][8][9]

正教会では「逝去」「亡くなられた」「故人」ではなく、それぞれ「永眠」「永眠された」「永眠者」の語が用いられる。これは、正教会においては死は来世の復活の生命に与るまでの一時的な眠りとして捉えられている為である。

埋葬式の前晩にはパニヒダが行われる。正教会においては終夜、永眠者のために祈ることは初代教会から大事にされた伝統であるとされ、前晩のパニヒダを通夜と呼ぶ事もあまり忌避されない(「パニヒダ」の語源がそもそも「夜通しの祈り」という意味である)。また、永眠後の「三日祭」「九日祭」「四十日祭」「一年祭」「年祭」にもパニヒダが行われる。正教会においては死は忌むべきものではなく復活への入口であるため、このように「祭」の語彙が用いられる[7][8]
プロテスタント

プロテスタントの葬儀は欧米では日中の葬儀・埋葬礼拝のみであることが多い。

キリスト教(特にプロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない(このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を「召天」と呼ぶことがある。したがって、死とは、天国において故人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された者(遺族などの生存者)にとっては、その別れが寂しく慰められるべき事であるが、死そのものは悲しむべき事ではないと説明される。

日本では通夜の代わりに「前夜式」を行なうことがある。
イスラーム教(イスラム教)

この節の加筆が望まれています。
「en:Islamic funeral」も参照グラム・アザムの葬儀の様子(2014年、バングラディッシュ、ダッカにて)

イスラーム教における死は、神アッラーへの服従と一時的な別れとし、アッラーの審判の日に復活をすると信じられているため、土葬される。死後なるべく早く葬儀を済ませるべきであるという考えから、死亡の翌日には執り行われることが多い。死亡した場所の法律にもよるが、同性の遺族または専門の業者が遺体を洗浄し、縫い目のない白い布に包まれ、ミンバル(説教壇)の前にある台に設置される。その前にイマーム(導師)が立つ。礼拝はイマームに従い、参列者が起立したまま行われる。遺族が葬儀中に泣き叫ぶことは禁止されている一方で、泣き女として雇われた女性が「オルルル!」という声を響かせる。礼拝が終わると遺体が墓地へ運ばれ、頭部をメッカの方向を向かせて、右腕が下になるようにして埋葬される。遺族は男性は3日間、女性は4ヶ月10日間を喪に服し、派手な生活は控えるよう規定されている。
道教台湾の葬儀の準備

中国台湾では道教風水の影響を強く受けた葬儀が行われている。葬儀にはを基調とした色が用いられ、「白事」とも呼ぶ(逆に婚礼は赤を基調とし「紅事」とも呼ぶ)。まず、遺体を整え、洗い清めた後に「寿衣」と呼ばれる白い死に装束を着せる儀式「小?」を行う。葬儀の手配をした後、葬儀の日程や場所を親戚や知人に知らせる「報喪」を行う。知らされた人は花輪(花圏)を用意したり、「対聯」と呼ばれる葬送にふさわしい言葉を書いて贈ったりする。葬儀の場所は葬儀場(「殯儀館」)を使う場合の他、自宅前の道路にテントを立てて行うことも多い。死者は葬儀が行われるまで「霊棚」などと呼ばれる祭壇に安置される(「停霊」)。祭壇には死者の遺影(「遺像」)を飾り、死者が好んだ食べ物などを供物(「供品」)として供え、線香や蝋燭の他、「紙銭」(紙幣状の冥銭)や「紙紮」と呼ばれる紙で作った日用品や家が用意される。通夜に当たる縁者による訪問を受けることは「守霊」と呼ぶ。この際、近親者は薄い色の生成りの布で作られた「孝服」と呼ばれる喪服を着て、藁縄で結んで留め、草鞋を履く。道士による読経の他、楽隊を用意して、チャルメラ(「?吶」)などの吹奏、鼓舞が行われる。

葬儀は「大?」と呼び、家族の前で遺体を布団を敷いた棺に入れ、釘を打つ。裕福な家庭では遺体を入れた内棺を外棺に入れ、間に副葬品を入れる。やはり、道士による読経、楽隊の吹奏、鼓舞が行われる。

出棺は「出殯」といい、喪主(主に長子)が「?盆」という陶器のを割る儀式を行う。土葬が行われることが多く、棺を担いで墓地まで送り届ける。「引魂幡」と称して、旗を掲げて葬列を先導し、楽隊が演奏を行い、爆竹を鳴らしながらついて行くが、現在は自動車に地味な色の飾り付けをして用いることも多い。埋葬の場所や、時間は風水師に決めてもらうことが多い。

埋葬後、7日毎に墓に出向き、「紙銭」を焼いて読経する「焼七」を7回行い、「断七」の四十九日まで行い葬儀は終わる。その後、伝統的には3年間は喪中とするが、現在は短縮化されている。後に遺骨を洗い、骨を「金塔」と呼ばれる陶器のや塔状納骨器に納め直すことが行われる。
儒教

儒教の葬礼は上記道教の葬礼と重なる部分も多い。

儒教においては親の葬儀を盛大に営む事が何より大切な事とされる。元々儒教教団はそう言った葬儀に関する様々なしきたりを教授するための人から生まれたものである。

儒教の死生観では人は死ぬと魂(こん)と魄(はく)と言う二つのたましいに分かれる。魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいであるとされる。魂は天の陽気からのたましいであり魄は地の陰気からのたましいである。魂は天に昇って神になり、魄は地に返る。残された者たちは魂を祀る為に位牌を作ってに祀り、魄の戻る場所として地中に遺体を埋める。

葬儀では死者の魂を天国や地獄など7つの世界を巡らせる儀式を行う。この儀式で死者の魂が最後に到達する世界はこの世であり、再びこの世に生まれ変わってきて欲しいとの願いを込めている。

また、死者との関係ごとに定められた作法で慟哭することが求められる(哭礼)。朝鮮半島では、葬儀に出席して声を上げて泣く事でお金を貰う泣き女が存在する。
バリ島のヒンドゥー教バリ島の葬儀。葬列ではにぎやかなガムランが演奏され、晴れやかな儀式であるため人々の表情は一様に明るい。

水辺で火葬にし、そのまま水に流す。海が近ければ海まで、そうでなければ川まで、を運ぶ葬列を仕立てる。葬列では、楽器を運びながらガムラン音楽を演奏する。費用がかかるため、没後すぐに行えない場合も多い。貧しい村では数人の他界者が出るまで待ち、まとめて葬儀を行う。天国へ行くための晴れやかな儀式であり、葬儀へ参加する人々の表情は、一様に明るい。
葬礼の様式ヨーロッパで行われていた権威が死亡した場合に、教会などの権威がある建物の傍に臨時に設置された葬儀場Castrum doloris(ドイツ語版)(ラテン語で嘆きの城の意)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:79 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef