落語
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1978年(昭和53年)、落語協会の運営方針をめぐって協会内で対立が生じ、6代目三遊亭圓生古今亭志ん朝(3代目)、立川談志7代目橘家圓蔵と弟子の月の家圓鏡(8代目橘家圓蔵)などが脱退した(落語協会分裂騒動[10]。しかし、圓生以外は結局落語協会に戻り、圓生一門で「落語三遊協会」を設立した。圓生没後は三遊協会は解散となり、5代目三遊亭圓楽の一門のみが「大日本落語すみれ会」(現在の円楽一門会)として独立し、それ以外は落語協会に復帰した。1983年(昭和58年)には立川談志一門が真打昇格の方針を巡って落語協会を脱退、「落語立川流」を創始して、みずから家元となった。現在、東京では落語協会・落語芸術協会・立川流・円楽一門会の四派体制がつづいている[10]
平成のブーム

平成に入って、1993年(平成5年)には初の「女真打」が誕生し、1995年(平成7年)には東京の5代目柳家小さん、翌1996年には上方の3代目桂米朝がそれぞれ「人間国宝」に選ばれた[10]

21世紀に入って、落語界には、マスメディアでも幅広く活躍していた春風亭小朝が発起人となった「六人の会」や、新作落語の隆盛をめざした話芸集団「SWA(創作話芸アソシエーション)」の結成という新たな展開が生まれ、一方では長瀬智也岡田准一が主人公を演じたテレビドラマタイガー&ドラゴン』(TBS系)や連続テレビ小説ちりとてちん』(NHK)などの影響によって新たな落語ファンが生まれた[10]

また2010年代中盤には、雲田はるこ昭和元禄落語心中』や立川談春赤めだか』など、落語を題材にした漫画・エッセイ等が人気を呼ぶとともに、西新宿ミュージックテイトや渋谷らくごなど、従来の寄席やホール落語とは違い、初心者や若い人も気軽に足を運びやすい落語会が増えたこともあり、一部マスコミからは落語ブームと呼ばれている。

このような現象はしばしば「平成の落語ブーム」と呼ばれる[10]。このブームの特徴は、「この落語家を聴け!」などの初心者向け書籍でブームを盛り上げた広瀬和生によると「落語全般」が好きな落語マニアによるブームだけではなく、それぞれ自分のことばで積極的にweb上で好きな落語家を語るようになったファンによるブームであるということで、個別に熱烈なファン層をもつ落語家が多数存在することによっているとされる[13]
落語の演目とその分類個々の演目のリストについては「Category:落語の演目」を参照

落語演目の分類にはいくつかの方法があり、それによって立てられる種類や区分も異なることもある。
成立時期による分類

古典落語新作落語があるが、その厳密な定義は難しい[14]

江戸期から明治期ごろまでに原型が成立し、太平洋戦争終結頃までの時期に演出が確立した演目を「古典落語」という場合がある[15]。これに対し、「新作落語」は作者もしくは初演者以外の噺家が演じることは少なく、多くは現代的な事象を扱い、また、社会の動向に機敏に反応した時事的な作品や風刺性の強い作品も多い。

ごく大まかには、不特定多数の演じ手が現代にいたるまで連綿と受け継いできた、主として作者不詳のいわば「スタンダード作品」としての落語が「古典落語」、特定の演者または作家がつくる「同時代限定」で演じられるのが「新作落語」である[14]。しかし、明治時代の三遊亭圓朝(初代)が創作した、『文七元結』『芝浜』『鰍沢』『死神』『真景累ヶ淵』『牡丹灯籠』『怪談乳房榎』『双蝶々』などの作品群は、作者が明確にわかっていても「不特定多数の演じ手が受け継いできた」という点では古典的であり、今日ではむしろ最も正統的な古典落語として位置づけられることが多い[14]。しかし、当時にあっては圓朝はいわば、こんにちでいう「新作落語家」だったわけである[14]漫画のらくろ』で知られる田河水泡作の『猫と金魚』も昭和の新作落語であるが、多くの演者に共有されているところから、「古典落語」と見なされることが多い[14]。上方では、4代目桂米團治作の『代書』が太平洋戦争勃発直前に創作されたものである[15]

一方、戦後に創作された純然たる新作落語であっても、設定が江戸時代で、古典に即した話題と様式を踏襲している作品もある[15][注 5]

以上のように、「古典」「新作」の線引きは必ずしも明確ではない。3代目桂米朝が創作した『一文笛』などは、多くの演者によって演じられており、両者の境界線上にある作品も決して少なくない。

「古典落語」という言葉は、昭和30年代から40年代にかけての「ホール落語」の定着とともに普及したものであり、それ以前には存在しなかった言葉である[14]。同時に「古典落語こそ正統」「新作落語は邪道」という偏見も広まった[14]。このような偏見を打破した革命児が三遊亭圓丈であり、かれは春風亭昇太三遊亭白鳥柳家喬太郎林家彦いち等に影響をあたえた[14]。また、落語の衰退を嘆いた立川談志門下からは、新作も古典も演じ、古典も現代的視点から語る立川志の輔や古典落語にコントの手法を導入し映画(洋画)の落語化を多数手がける立川志らく、「改作落語」で知られる立川談笑らが登場し、上方では6代 桂文枝が三枝時代から「創作落語」の名で自作の新作落語を多数口演し、聴衆を沸かせている[13][16]。こうして、「古典」「新作」の厳しい区別や両者の不毛な対立、あるいは双方に対する先入観・偏見は寄席の番組などではしだいに過去のものになりつつあるが[14]、地方のホール落語会などでは、古典落語=落語であるという固定観念はぬぐえていない。
演出の方法や構成による分類

落とし噺(滑稽噺)と人情噺に大別され、他に芝居噺・怪談噺・音曲噺がある。

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に「落ち」のあるものを「落とし噺」という。これが「落語」の本来の呼称であったが、のちに発展を遂げた「人情噺」や「怪談噺」と明確に区別する必要から「滑稽噺」の呼称が生まれた。今日でも、落語の演目のなかで圧倒的多数を占めるのが滑稽噺である[15]龍谷大学の角岡賢一は、上方落語の「滑稽噺」について、「生業にかかわるもの」(日常性)と「道楽にかかわるもの」(非日常性)に大別し、さらに細分化を試みている[15]

人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」といい、親子夫婦など人の情愛に主眼が置かれている[17]。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な演目で、かつては主任(トリ)として寄席に出た噺家が10日間の興行のあいだ連続して演じる作品であったが、現在ではその区切りのよい一部分が取り出されて演じられることが多い[17]。こうしたことから、人情噺にあっては、「落ち」はかならずしも必要ではない。

「落とし噺」や「人情噺」が一般に素で(語り中心で)上演される「素噺(すばなし)」であるのに対して、芝居のような書割や音曲を利用し、場合によっては演者が立って芝居のような見得をおこなったりする演目を「芝居噺」という。特に幽霊が出てくるような「怪談噺」は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多い。怪談噺もまた、笑いでサゲをつけるという落語の典型からは外れている[15]

広義には芝居を題材にしたり、パロディにしたりしている演目を「芝居噺」と呼ぶ場合もある。この場合には、全体として「落とし噺」の構造を取り、なかにところどころ歌舞伎ふうの台詞廻しが混じる程度で、立って所作を行うことはない。


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