落語
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人情噺の終わり方は「落ち」ではなく、「…という一席でございます」など説明のかたちで締める[3]。また、寄席などでは演じ手の持ち時間が決まっていることが多く、時代的に判り難い「落ち」が出て来たなどの関係で、本来の「落ち」まで行かず、適当にキリのよいところで話を切り上げることも多い[3][21]

これについては、広瀬和生は必ずしも「オチ」イコール「サゲ」ではないとしている[21]。説明で終わったり、本題の途中で中断したりしたものを「オチ」とは呼べないが、演じ手が落語の締めくくりのフレーズを言うことを「サゲる」と表現することから、広瀬は純粋な「オチ」も含めた締めくくりの言葉全般を「サゲ」としている[21]

なお、滑稽噺の「落ち」は、古典落語の場合、かつては「洒落」として通じ、当時は面白かったかもしれないが、今日では死語になっていたり、理解不能な概念になってしまっているものも少なくない。「サゲ」において重要なことは、聴衆に対し「噺はこれでおしまい」と納得させることと考えられるので、現代人が納得できるような「落ち(サゲ)」のあり方が求められる[21]
表現の要素

落語において用いられる表現の要素は、

言葉

音声として発せられる口頭語。


仕草

最小限のものに限られ、基本的に立ち上って歩くことはない。


仕草のための小道具

扇子手ぬぐいの2種(上方落語は見台と小拍子、張扇を加え5種)に限定される。


そのほか特殊な演目における付随的要素

上方落語・音曲噺のはめもの、芝居噺の書割・ツケなど。


口演には直接関係ないが、落語の演ぜられる場を構成する要素

出囃子、噺家の衣装着物)、座布団、高座、緋毛氈、屏風めくり、上方落語の見台・膝隠しなど。

の5要素に区分することができる[22]。このうち特に重要なのは「言葉」と「仕草」であり、これが落語という芸の根幹を成しているといえる。

以下、言葉と仕草という要素を中心に説明してゆく。
言葉

一般的に古典落語には定められた口演台本があり、噺家はこれを記憶して高座で再現する(ただし、必ずしも筆記されたものとは限らない。多くの場合は口伝えである)。すなわち落語のもっとも基礎的構成要素は、これらの台本を含めた「言葉」であるといえる。言葉の側面から見た落語には以下のような特徴が指摘できる。

地の文と会話文(対話文)で構成されているが、噺の勘所にくると会話文によってテンポよく話を進めてゆき、説明的な地の文が少なくなる(この点が話芸としての講談との相違である)。

地の文の省略によって伝えきれないディテール(登場人物の細かい気持の変化や感情、会話をとりまく情景)は仕草によって補われて表現される。

登場人物の多寡にかかわらず全てを一人で演じ、役割分担ができない。このため声調、言葉づかい、話しかた、間のとりかた、速さなどによって登場人物の個性を印象づける工夫がなされる[22]

会話文から地の文への移りやその逆の場面、あるいはその他大勢的な多人数の会話においては、だれの視点から語られているのか判然としない語りが存在したり、気づかない間に語りの担い手が入れ替わったりするが、それが聴衆には不自然に聞こえない。

演じ分けについては、言葉のニュアンスや使い方によって登場人物の個性が浮き上がる工夫が必要であり、江戸弁にきびしかった10代目桂文治は、つねづね「職人言葉と商人言葉ではまったく違うもんだ」と語っていた[22]
仕草

仕草は、落語において言葉の限界を補うための存在である。すなわち演劇のように話のすべての部分について仕草がともなっているわけではなく、言葉だけでは表現しきれない部分に補足的な意味を持って仕草が付加されているのである。落語においては、パントマイムのように、実際には無いものであっても聴衆の想像力に頼りながら「そこに在るように」見せなければならない[22]。「言葉だけでは表現しきれない」内容については、仕草は、言葉では端的に表現できない動作や地の文の欠如を補うといった低次のものから、素の芸において聴衆の想像力を刺激するために付加されるきわめて高度のものまで含まれる。仕草においても言葉同様、一人全役が原則であり、噺家は必要に応じて次々にさまざまな役のさまざまな仕草を仕分ける[23]。仕草の主なものには以下のようなものがある。

表情:登場人物の表情を演じる。必要に応じてわざと強調した、おもしろい表情をつくることもある。

視線:上位の人物(家の主人) が下位の人物(訪問客) に話しかける場合には舞台下手を向き、逆の場合には舞台上手を向く。視線や体勢の角度を変えることで、登場人物の間の遠近や位置関係を表現することもできる。会話の部分において、こうして視線を切り替えることが、登場人物を仕分けて聴衆に印象付ける効果的な手法となる。

ものを食べる:閉じた扇子を見立てて、あるいは手づかみで、さまざまなものを食べる仕草が落語のなかにはある。食べものや食べる状況によって仕分けるコツがそれぞれにある。名人桂文楽甘納豆(『明烏』)・枝豆(『馬のす』)などで見せた至芸が有名。

歩く:正座したまま、あるいは軽くひざ立ちぐらいになって、手をぶらぶら動かしながら、両膝を交互に動かす。立ち上って実際に歩くことは基本的にない。例外的に5代目古今亭志ん生の『疝気の虫』、6代目三遊亭圓生『能狂言』では実際に舞台から「歩き去る動作」自体がサゲとなっている。

書く:もっとも一般的には手ぬぐいを帳面、扇子をに見立てて字を書く。上方落語の場合は見台をに見立てることもある。

舟を漕ぐ:落語にはめずらしい大きな動きで、扇子を竿にして演じる。力仕事らしい感じを出さなければならない。

寝る:横になることができないので、腕を添えてひじ枕の感じを出す。演出上の工夫である。

指さす・目をつかう:落語の性質上、噺のなかに登場するモノを実際に高座に持出すことは不可能であるために、虚空を指さしたり、見たりすることで、あたかもそれらがあるかのように演じる工夫がある。例えば「刀を抜く」という仕草の場合、扇子を柄に見立てて抜いた後、元から切先まで視線を動かしながら見ると、刀の長さが観客に伝わるという口伝がある。

涙を流す:主に人情噺で多く用いられる。高座に持参した湯呑みの中のや湯に指をつけ、その指で目の下を縦になぞる。

厳密には話芸ではないが、食べる、飲む、歩く、走る、着るなど、登場人物の動作を、座布団の上に制限された動きで表現することも、臨場感を出す上で非常に重要な役割を果たす。
道具

使用する道具は、原則として扇子と手ぬぐいに限られる(稀に湯呑みも使われる)。扇子と手ぬぐいは、落語の表現上抽象性があらかじめ与えられており、状況に応じて、前者は煙管などを表現し、後者は財布や本・帳面証文、胴巻き、煙草入れなど幅・広さのあるものに見立てられ、様々な用途で使用される。

扇子は落語家の符牒で「カゼ」と呼ばれ、特に幅が広く作ってある。刀、、箸、キセルなど棒状のもののほかに、開いた状態で手紙提灯に見立てられる。舟をこぐ、魚釣りの竿などは目線を使い長さが表現される[22]

手ぬぐいは「マンダラ」と呼ばれる。財布や証文、煙草入れ、帳面巾着など袋状・布状の物の他に、として使われる。演じ手によっては、丸めて芋になったり、頭にのせて狐が化けるときの木の葉になったりとさまざまに用いられる[22]

上方落語ではこれらの他に、演者の前に上述の見台、さらにその前に低い衝立状の膝隠しが置かれる。
服装・効果音

落語家は単純な柄か無柄の和服を着用する。このとき、羽織の脱ぎ方一つをとっても約束事があり、演目のイントロダクションともいうべき関連した話題や背景を紹介していくマクラから本題に移行する合図として羽織を脱ぐ場合、大店(おおだな)などの商家を扱った演目では羽織を羽織ったままの場合、八つぁん・熊さん等の名で代表される職人町人が登場するものでは羽織を脱ぐ、などの区別がある。さらに、羽織の脱ぎ方も肩から滑らせるようにして一瞬で脱ぐ所作も注目すべき点である。このような決めごとにより、観衆の耳目を自身の芸そのものに集中させる。落語は純粋な話芸であり、演じている最中は、音曲や効果音などは制限される。ただし地域や演目などによっては、出し物の最中に音曲や効果音が使用される場合がある。宴会の場面では賑やかな『さわぎ』という曲を入れる場合、また、幽霊が出てくるときは『ドロ』という太鼓を鳴らす場合がある[22]。落語のあとに踊るとき三味線・太鼓を鳴らす場合もある[22]
その他
他の芸能との違い

落語が再現芸術でありながら演劇舞踏と一線を画して考えられるのは、演劇・舞踏といった芸能が通常扮装をともなって演技されるのに対して、落語においては扮装を排し、素のままで芸を見せるためである。すなわち落語では、噺家は登場人物や話の流れに相応しい身なりや格好をモノ(衣装・小道具大道具・書割・照明効果音)で表現することはなく、主として言葉と仕草によって演出効果をねらう。そのために、落語の表現要素は、
噺家の芸に結びつく基本的な要素(言葉、仕草)

1.を助けるためにその場に応じて何にでも変化できるようなニュートラルな最低限のモノ(小道具、衣装)

とに区分することができるのである。


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