落語
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このブームの特徴は、「この落語家を聴け!」などの初心者向け書籍でブームを盛り上げた広瀬和生によると「落語全般」が好きな落語マニアによるブームだけではなく、それぞれ自分のことばで積極的にweb上で好きな落語家を語るようになったファンによるブームであるということで、個別に熱烈なファン層をもつ落語家が多数存在することによっているとされる[13]
落語の演目とその分類個々の演目のリストについては「Category:落語の演目」を参照

落語演目の分類にはいくつかの方法があり、それによって立てられる種類や区分も異なることもある。
成立時期による分類

古典落語新作落語があるが、その厳密な定義は難しい[14]

江戸期から明治期ごろまでに原型が成立し、太平洋戦争終結頃までの時期に演出が確立した演目を「古典落語」という場合がある[15]。これに対し、「新作落語」は作者もしくは初演者以外の噺家が演じることは少なく、多くは現代的な事象を扱い、また、社会の動向に機敏に反応した時事的な作品や風刺性の強い作品も多い。

ごく大まかには、不特定多数の演じ手が現代にいたるまで連綿と受け継いできた、主として作者不詳のいわば「スタンダード作品」としての落語が「古典落語」、特定の演者または作家がつくる「同時代限定」で演じられるのが「新作落語」である[14]。しかし、明治時代の三遊亭圓朝(初代)が創作した、『文七元結』『芝浜』『鰍沢』『死神』『真景累ヶ淵』『牡丹灯籠』『怪談乳房榎』『双蝶々』などの作品群は、作者が明確にわかっていても「不特定多数の演じ手が受け継いできた」という点では古典的であり、今日ではむしろ最も正統的な古典落語として位置づけられることが多い[14]。しかし、当時にあっては圓朝はいわば、こんにちでいう「新作落語家」だったわけである[14]漫画のらくろ』で知られる田河水泡作の『猫と金魚』も昭和の新作落語であるが、多くの演者に共有されているところから、「古典落語」と見なされることが多い[14]。上方では、4代目桂米團治作の『代書』が太平洋戦争勃発直前に創作されたものである[15]

一方、戦後に創作された純然たる新作落語であっても、設定が江戸時代で、古典に即した話題と様式を踏襲している作品もある[15][注 5]

以上のように、「古典」「新作」の線引きは必ずしも明確ではない。3代目桂米朝が創作した『一文笛』などは、多くの演者によって演じられており、両者の境界線上にある作品も決して少なくない。

「古典落語」という言葉は、昭和30年代から40年代にかけての「ホール落語」の定着とともに普及したものであり、それ以前には存在しなかった言葉である[14]。同時に「古典落語こそ正統」「新作落語は邪道」という偏見も広まった[14]。このような偏見を打破した革命児が三遊亭圓丈であり、かれは春風亭昇太三遊亭白鳥柳家喬太郎林家彦いち等に影響をあたえた[14]。また、落語の衰退を嘆いた立川談志門下からは、新作も古典も演じ、古典も現代的視点から語る立川志の輔や古典落語にコントの手法を導入し映画(洋画)の落語化を多数手がける立川志らく、「改作落語」で知られる立川談笑らが登場し、上方では6代 桂文枝が三枝時代から「創作落語」の名で自作の新作落語を多数口演し、聴衆を沸かせている[13][16]。こうして、「古典」「新作」の厳しい区別や両者の不毛な対立、あるいは双方に対する先入観・偏見は寄席の番組などではしだいに過去のものになりつつあるが[14]、地方のホール落語会などでは、古典落語=落語であるという固定観念はぬぐえていない。
演出の方法や構成による分類

落とし噺(滑稽噺)と人情噺に大別され、他に芝居噺・怪談噺・音曲噺がある。

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に「落ち」のあるものを「落とし噺」という。これが「落語」の本来の呼称であったが、のちに発展を遂げた「人情噺」や「怪談噺」と明確に区別する必要から「滑稽噺」の呼称が生まれた。今日でも、落語の演目のなかで圧倒的多数を占めるのが滑稽噺である[15]龍谷大学の角岡賢一は、上方落語の「滑稽噺」について、「生業にかかわるもの」(日常性)と「道楽にかかわるもの」(非日常性)に大別し、さらに細分化を試みている[15]

人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」といい、親子夫婦など人の情愛に主眼が置かれている[17]。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な演目で、かつては主任(トリ)として寄席に出た噺家が10日間の興行のあいだ連続して演じる作品であったが、現在ではその区切りのよい一部分が取り出されて演じられることが多い[17]。こうしたことから、人情噺にあっては、「落ち」はかならずしも必要ではない。

「落とし噺」や「人情噺」が一般に素で(語り中心で)上演される「素噺(すばなし)」であるのに対して、芝居のような書割や音曲を利用し、場合によっては演者が立って芝居のような見得をおこなったりする演目を「芝居噺」という。特に幽霊が出てくるような「怪談噺」は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多い。怪談噺もまた、笑いでサゲをつけるという落語の典型からは外れている[15]

広義には芝居を題材にしたり、パロディにしたりしている演目を「芝居噺」と呼ぶ場合もある。この場合には、全体として「落とし噺」の構造を取り、なかにところどころ歌舞伎ふうの台詞廻しが混じる程度で、立って所作を行うことはない。なお、桂米朝(3代目)によれば、上方落語においては、下座の鳴物囃子を利用する落語はいくらでもあるので、少しくらい演出が芝居がかりになったくらいでは「芝居噺」とは呼ばれないとのことであり、そこから角岡賢一は、本来の「芝居噺」の定義はごく狭いものであったと結論づけている[15][18][注 6]

大げさな所作が加わらなくても、音曲を利用して話をすすめてゆくネタもあり、これらを「音曲噺」と称する。ただし、上述のように上方では伝統的に噺の途中に「はめもの」として音曲が利用されることが多いため、「音曲噺」というカテゴリーは江戸落語に限られる。
難易度による分類

難易度の高さにより、初級者向けの「前座噺」「旅のネタ」と称される演目、難易度のきわめて高い「大ネタ」と称される演目がある。

前座が初めに習い覚える話を「前座ばなし」と呼ぶ。多くは口慣らしや口捌きを兼ねた単純で短い、しかし基礎的な技術を養うのに適したネタで、二つ目真打によって演じられることもあるが、比較的簡単な軽い話とみなされるためにトリの演目になることはない。

逆に、長編大作や人情噺などのうちで特に難易度の高い作品を「大ネタ」と称することがあり、もっぱらトリの演目となる。

なお、上方では前座噺として長い続きものの「旅のネタ」を行うことが多い。これは、噺がどの部分で切っても次の演者を迎えられる構成になっているためだといわれる。
「落ち」の種類による分類詳細は「落ち」を参照

大きくは、「地口オチ」と「考えオチ」がある[15]

また、にわか落ち(地口オチ)、考え落ち、ひょうし落ち、逆さ落ち、まわり落ち、見立て落ち、まぬけ落ち、じこく落ち、トントン落ち、とたん落ち、ぶっつけ落ち、しぐさ落ちなどに細分する分類もある。これは、必ずしも十分な分類法ではないが、現在も幅広く用いられている。

このほかに桂枝雀による四分類法(ドンデン、謎解き、へん、合わせ)がある[19]
噺の構成

マクラ、本題、落ち(サゲ)が基本構造となっている。
マクラ

本題への導入部である[3][20]。自己紹介をしたり、本題に入るための流れを作ったり、また、本題でわかりにくい言葉の説明をさりげなく入れたりする[3][20]。落語は「目の前の観客に対して語りかける芸能」である[20]。一般的に、落語家はいきなり落語の演目に突入することはほとんどなく、まずは聴衆に語りかける雰囲気をつくるために挨拶したり、世間話をしたり、軽い小咄を披露したりしてから本題に入っていく[20]。マクラは、噺の本題とセットになって伝承されてきているものが少なくない[20]

マクラの果たす役割は、小咄などで笑わせて、本題の前に聴衆をリラックスさせる、本題に関連する話題で聴衆の意識を物語の現場に引きつける、「落ち(サゲ)」への伏線を張る、などが挙げられる。古典落語の演題の中には、現在では廃れてしまった風習や言葉を扱うものがあり、それらに関する予備知識がないと、話全体や落ちが充分に楽しめないことがあり、6代目三遊亭圓生は、このような「解説のためのマクラ」の達人であった[20]


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