落語立川流
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 初代司会者であった立川談志の出演時期は、落語立川流創設前の落語協会在籍時であった。
^ 同番組で不定期に放送される真打昇進披露口上も他流派と合同で行われるほか(但し、口上で恒例となっている新真打の師匠や関係者の出演は無い)、地上波や派生番組(『笑点 特大号』等)で行われる「若手大喜利」には立川流の落語家も出演している。
^ 二番弟子の三遊亭さん生(後の川柳川柳)と三番弟子の三遊亭好生(後の春風亭一柳)。師の圓生との関係が悪化していたことから、三遊協会に加わらない判断をしており、圓生からは破門されて高座名の強制返却となり、それぞれ改名の上で他の一門(川柳は小さん、一柳は八代目林家正蔵)の客分となった。
^ すなわち、それまでは志ん朝、圓楽、談志であった香盤順を、談志、圓楽、志ん朝に入れ換えようと目論んだ。談志が決行直前に新団体設立の動きから離脱したのは、新団体における志ん朝の香盤を談志の下にすることを圓生が拒否したためと、談志本人も認めるところである。
^ この「温情」については北村銀太郎の圧力が働いていた。復帰者の処罰(香盤降下)を検討していた小さんに対し、北村は幹部側にも落ち度があったとして協会執行部の総辞職を要求している。また、圓楽とともに「騒動」の首謀者でありながら、直前に裏切って勢力を温存した談志を牽制する小さん派の協会幹部の思惑も含まれていたとされる。
^ 立川ぜん馬の妻である歌手のさこみちよが「江戸の唄」の演目で色物として出演する(前出の「余一会」では常連となっている)ほか、松元ヒロ(スタンドアップコメディ)、柳家小菊(粋曲、夫は元立川流顧問の吉川潮)、元立川流Aコースの落語家であったマグナム小林(ヴァイオリン漫談)、東京ボーイズ米粒写経などが顔付けされた事がある。また過去には高田文夫が「立川流の落語家」ではなく「漫談」で出演したほか、落語立川流顧問の野末陳平や談志と親交の深い毒蝮三太夫も出演したこともある。
^ 落語立川流顧問であった元衆議院議員で法務・文部大臣を歴任した稲葉修(故人)の息子。
^ 演芸場側の責任者から「立川流の落語家を定席の仲入り前と主任として出演させたければ、落語協会と落語芸術協会からの許可をそちら(立川流)で直接もらってください(つまり「立川流が両協会に直接頭を下げてください」というお願い)」という難題を突き付けられ、出演を断念した。
^ 一方で師である談幸や吉幸本人は、改めての前座修業について肯定的なコメントをしている。吉幸は「お茶くみ一つとってもやり方が違う。(立川流は)太鼓をたたく機会が格段に少なかった。システムが違うしやって良かったと思います」と語っている[15]。なお、談幸は立川流に移籍する前の落語協会在籍時に約4年間、定席寄席での前座修業を経験している。
^ 通常は二ツ目昇進後約10年が真打昇進の基準[16]とされる。
^ のちに、立川談春の落語会に出演してからは「立川梅春(たてかわばいしゅん)」に改名して落語を何度か口演している。
^ Aコース「立川談かん」からビートたけし門下へ移籍、改名後、1986年2月にBコースへ再入門、そのまま「ダンカン」を名乗る。
^ 師匠の談志から芸名を付けてもらうにもネタが尽きたらしく(師匠曰く『直木賞作家に敬意を表して』と)、師匠から「芸名は自分で考えて来るように」と言われ困っていたところ、新宿駅でふと見た中央線快速の行き先表示『立川・八王子方面』に、コレだと思って芸名にした、という[17]。景山本人もざこば・鶴瓶らくごのごのゲスト出演の際に立川八王子の由来を同じように語っている。
^ 1990年頃に所属。既に円楽一門会所属の落語家ではあったが、プロ落語家としての二重加盟を避ける意味で著名人枠のBコースにも所属していた。三遊亭円楽_(6代目)#人物・逸話を参照。
^ (1940年5月15日 - 2022年3月11日)静岡県沼津市出身。1972年立川談志に色物弟子として入門「立川文志」。弟子に立川談文(本名:三浦淳一、1968年 - )、「談文」の命名は立川談志。文志没後は江戸文字(有)文志の代表を務める。

出典^ “落語立川流:家元制度廃止 今後は理事会が意思決定”. 毎日jp. (2012年6月7日). ⇒オリジナルの2012年7月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/M1c1 2012年6月7日閲覧。 
^ “「笑点」新メンバーに立川晴の輔さん 日テレ”. 時事通信 (2024年4月7日). 2024年4月8日閲覧。
^ 立川流の新年会 談志を喜ばせることが最大の験担ぎだった - NEWSポストセブン 2021年1月2日
^ 立川こしら (2024年1月3日). “落語立川流新年会2024”. youtube. 2024年1月4日閲覧。
^ 5月特別企画公演「立川流落語会」【渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール】 - 独立行政法人 日本芸術文化振興会
^ 吉川潮『談志歳時記』新潮社、2012年11月21日、168 - 170,192 - 193頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784104118076。 
^ <芸道まっしぐら>立川流初、女性真打ちへ 落語家・立川こはる (日本語) - 東京新聞 TOKYO Web 2023年2月24日
^ 立川志らく、二つ目の弟子全員を前座に降格処分 (日本語) - 日刊スポーツ 2019年5月21日
^ 立川志らく、志獅丸を真打ちに昇進「戻さないといろんな人に迷惑がかかる」 (日本語) - SANSPO.COM 2019年7月14日
^ 立川志らくの弟子、志ら鈴と志ら門が二つ目復帰!新年の節目に決断 (日本語) - SANSPO.COM 2020年1月1日
^ 東京かわら版編・東西寄席演芸家名鑑。
^ 立川談四楼 [@Dgoutokuji] (2015年10月21日). "立川談四楼さんはTwitterを使っています: 「文字助が立川流を離脱すると言う。ほう、隠居ですな。そりゃいい、祝儀不祝儀の義理から開放されますよ。違う、立川流を辞めて文字助組を結成し、組長になるんだ。組長? 流行りだけど子分はいるの? 飲み友達が子分だ。組長という発想は分からないが、一門に迷惑をかけているとの自覚はあるようだ。」 / Twitter". X(旧Twitter)より2022年11月9日閲覧。
^ 井上正弘 編『落語 第30号 最新東西全落語家名鑑』弘文出版、1990年11月1日、29頁。 NCID AN10301576。 
^“立川談幸、立川流を脱退 談志の内弟子、落語芸術協会へ”. 朝日新聞. (2014年12月28日). ⇒http://www.asahi.com/articles/ASGDM563WGDMUCVL01C.html 2014年12月28日閲覧。 
^ a b 真打ち目前で前座に逆戻り 数奇な運命を歩んだ立川吉幸が来年5月に真打ち昇進決定 - スポーツ報知 2018年8月6日
^ 落語家の階級 - 落語ってなに? - 落語はじめの一歩 - 落語芸術協会
^ 立川談四楼のツイッター - 2019年7月18日閲覧
^ 佐藤榮子. “夫 立川文志儀 かねてから自宅療養中でございましたが 去る3月11日に永眠いたしました(享年81)”. 江戸文字の文志. facebook. 2022年7月22日閲覧。

関連項目

落語協会

落語芸術協会

五代目円楽一門会

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:74 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef