落語家
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

落語立川流は、2006年に立川こはる立川談春門下に入門したのが初であり[11]、2023年5月に同派初の女性の真打に昇進(同時に「立川小春志」を襲名)した。

円楽一門会は設立以来、長らく女性の落語家が在籍していなかったが、2022年に三遊亭竜楽に三遊亭たつみが入門。円楽一門会では初の女性落語家となったが、同年に正式に前座となる前に廃業している。

2023年現在では東西併せて女性の落語家は50名を超えており[10]、真打制度のある江戸落語3団体で15名が真打に昇進している(落語協会11名[注釈 16]、落語芸術協会4名[注釈 17]、落語立川流1名(立川小春志)。2024年4月現在)。現在では歌る多が落語協会の理事に就任しており、菊千代は女性の落語家として同じ女性の弟子である古今亭駒子を初めて真打に育て、歌る多も同様に女性の弟子である弁財亭和泉、三遊亭律歌を真打に昇進させた[12]。また、弁財亭和泉(夫は柳家小八)、春風亭一花(夫は金原亭馬久)の様に落語家同士が結婚するケースも出てきた。2024年には林家つる子が(女性の落語家が現在の共通の香盤になって以降では)初の抜擢真打として昇進している[13][14]。。

江戸落語のうち、毎年1月の新宿末廣亭の余一会では、昼夜を通じて落語協会所属の女性落語家がほぼ出演する「落協レディース」の特別興行が恒例となっており、定席以外でも江戸落語の所属団体横断のユニット「落語ガールズ」の落語会が2023年4月まで定期的に開催されていた[15]。女性落語家の所属者が比較的多い落語協会では、2023年3月上席の浅草演芸ホール夜の部の興行で、蝶花楼桃花を主任としゲスト[注釈 18]も含めたすべての演者が女性芸人の番組編成となる「桃組」と名付けられた「江戸落語の定席では初」の興行が行われた[16]

真打制度のない上方でも都が複数の女性の弟子を入門させ、育てている[注釈 19]。2021年のNHK新人落語大賞では、上方落語協会所属の桂二葉が女性として初めて大賞を獲得した[18]
落語家の所属団体
関東の落語家

落語協会1923年(大正12年)設立、現会長:四代目柳亭市馬、一般社団法人)

落語芸術協会1930年(昭和5年)設立、現会長:春風亭昇太、公益社団法人)

五代目円楽一門会(1978年(昭和53年)設立、現会長:六代目三遊亭圓橘、任意団体)

六代目三遊亭円楽2022年(令和4年)死去)のみ、落語芸術協会にも「客員」として真打扱いで加入していた。


落語立川流(1983年(昭和58年)設立、現代表:十代目土橋亭里う馬、任意団体)

このうち、前述の経緯もあり、東都の寄席定席(狭義では鈴本演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場)に出演できるのは、原則として落語協会と落語芸術協会(鈴本は芸協も絶縁中のため、出演不可)会員のみであるが、近年は芸協については円楽一門会、立川流の所属噺家も定席興行の顔付けに加わる事がある(主に新宿末廣亭)。なお、余一会などの定席興行以外の興行はこの限りではない(ただし、鈴本は余一会なども落語協会以外はほぼ出演できない)。
関西の落語家

上方落語協会1957年(昭和32年)設立、現会長:笑福亭仁智、公益社団法人)

笑福亭鶴光は、上方落語協会と落語芸術協会の両方(芸協では「真打(上方)」扱い)に加盟している。一門の弟子のうち総領弟子の笑福亭學光のみ上方落語協会に所属し、それ以外は落語芸術協会に加盟している。

かつては二代目露の五郎兵衛2009年(平成21年)死去)が「露の五郎」を名乗っていた当時、落語協会にも「客分」として一時加入していた。


関東の団体間の移籍

所属していた協会を何らかの理由で別の団体へ移籍するケースも散見される。主に前座や二ツ目の落語家が一度廃業または破門され、その後改めて別の師匠の門下になるケースが多いが、真打の身分でありながら他団体に移籍し、その団体でも真打の身分で活動するレアなケースも数例存在する。師匠が変わるために亭号とそれに合わせた高座名に改名するケースもある。この場合は移籍先の香盤の扱いが難しくなることから、一定期間「準会員」の身分であったり、香盤を真打の序列の最下位、あるいは別枠にしたりして、一定程度の経年により香盤に組み入れるケースが多い。上記の団体の枠組みが固まって以降、真打の身分のまま、団体を移籍した主な例を列挙する(落語協会分裂騒動や円楽党の結成、落語立川流の創設に関わるものは省略)。

林家九蔵→三遊亭好楽(落語協会→大日本落語すみれ会・のちの円楽一門会、1983年)

二代目桂文朝桂南喬桂文生[注釈 20](落語芸術協会→落語協会、1984年)

立川談生→鈴々舎馬桜(落語立川流→落語協会、1985年)

立川小談志→四代目喜久亭寿楽(落語立川流→落語協会、1992年)

柳家三太楼→三遊亭遊雀(落語協会→落語芸術協会、2006年[注釈 21]

立川談幸[注釈 22](落語協会→落語立川流→落語芸術協会、2015年[注釈 23]

このほか、三笑亭笑三のように、日本芸術協会→落語協会→日本芸術協会(現在の落語芸術協会)と一度は別団体に移籍したものの、再び元の団体に出戻るケースもわずかながら見られる。
諸派・無所属の落語家

一部を除き、上記5団体に属さないプロ落語家を以下に挙げる。いわゆる天狗連でなく、プロとしての修業を積んだ経験のある者、かつ存命の人物に限定する。ただし、既に名を成した芸能人などが副業、余興として落語もやる場合[注釈 24]は除く。

以下、◎印がついている者は「東西寄席演芸家年鑑2」(2021年、東京かわら版刊)に、◯がついている者は「東都寄席演芸家年鑑2」(2023年、東京かわら版刊)[19]に名前・顔写真・プロフィールの掲載がある者である。
上方落語協会を離脱している落語家

詳細は上方落語協会・各個人の項を参照。主な者のみ。

旧2代目桂枝雀一門 ※雀三郎一門・雀松九雀む雀はその後、上方落語協会に復帰。

三代目桂南光

二代目桂南天

◎桂天吾



桂雀々 - 活動拠点を東京に移しており、お江戸上野広小路亭の「しのばず寄席」などにも出演している。

桂優々


四代目桂文我

桂まん我

◎桂笑我


桂紅雀

その他

桂文鹿 - 弟子の桂白鹿・桂雪鹿は上方落語協会に引き続き所属している。

名古屋の落語家

大須演芸場(2014年閉場→2015年9月再開)を定席とし、東海地区を中心に活動している。

雷門小福(2012年死去)(登龍亭、なごや雷門)一門[20](もとは東京落語・雷門福助の系譜)、 以下は小福門下である。なお、獅篭・幸福は最初に入門したのは東京の立川談志門下である。小福の没後、2020年4月に亭号を「雷門」から「登龍亭」に改名した。小福の孫弟子にあたる獅鉄、幸吉、篭登、ゆり篭(「登龍亭」改名後初の女性)の入門で名古屋の落語家は昭和初期以降で最多の人数となった[21]

登龍亭獅篭

登龍亭獅鉄(獅篭門下)

◯登龍亭篭登(獅篭門下、前座)


登龍亭幸福

◯登龍亭幸吉(幸福門下、前座)


登龍亭福三


立川わんだ:落語立川流所属の真打だが、2022年10月から拠点を実家のある名古屋に移して活動している。大須演芸場には不定期で出演している。

仙台の落語家

落語芸術協会仙台事務所所属。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:141 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef