落語家
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このこともあり、主に上方落語四天王(松鶴・三代目桂米朝五代目桂文枝三代目桂春団治)の弟子には、寄席やテレビなどで早くに知名度をあげ、入門から7?10年程度で弟子を採る者も多くいた[注釈 12]。なお、上方落語では修業は年季奉公のシステムであり、年季明けとともに独り立ちとなる。真打の代替としてコンクールなどの各賞の受賞がステイタスの一つとなっており、受賞記念に定席となる天満天神繁盛亭および神戸新開地喜楽館で1週間主任を務める。

また、修業中に師匠が死去しても、別の師匠の元に移籍するというようなことがない。代表的な例には六代目松鶴の最後の弟子、笑福亭鶴二がおり、入門から1年も経たずに師匠松鶴が死去し、兄弟子にあたる笑福亭松葉(贈・七代目笑福亭松鶴)らの指導を仰いだが、現在でも「松鶴の弟子」として活動している。ただし全員がその限りではなく、東京のように元の師匠の兄弟弟子などに移籍する場合も稀にある。後者の例では、五代目林家小染などがいる。

真打・香盤問題は、上方落語協会では東京よりもナイーブな理由(ほとんど口喧嘩)で大物が脱退したことすらある[注釈 13]

香盤制度・真打制度は完全な実力主義でもないので、『急激に売れた人』『若い時から売れっ子になった人』に対する処遇が難しいというのも理由の一つである。真打昇進と真打昇進披露興行はリンクさせるが、上方落語協会(繁昌亭)は(香盤と関係なく)「賞」を落語家に受賞させそれと興行をリンクしている。東京の協会では幹部を話し合いで選ぶが、上方落語協会では協会員による直接選挙(正式には協会員の互選により会長候補者を選出する選挙[7])で選ぶ。

笑福亭仁智が上方落語協会会長在職中の2024年、上方落語の活性化を目指し「真打」の代替となる新たな試みとして、入門から15年程度の協会所属の若手中堅落語家を対象とした「上方落語・噺家成人式(仮称)」を実施する事となった。2024年度の対象者は桂團治郎、桂和歌ぽん、林家愛染、桂福点桂三語の5名で、同年9月の愛染を皮切りに前出の繁昌亭と神戸新開地・喜楽館で1週間主任(トリ)を務める[8]

東京の流れを汲む中でも、名古屋の登龍亭(旧・名古屋雷門)一門のように、「仮に真打を名乗ったとしても一門外の落語家や客が認めてくれるかどうかわからない」という理由から真打制度を棚上げする意向を示している一門もある[9][注釈 14]
アマチュアの落語家

大学の落語研究会に所属する学生などのほかにもアマチュアの落語家が昔から存在し、これらの人々はプロの落語家と区別するために「天狗連」「落語愛好家」などと呼ばれる。プロの落語家が使わない亭号屋号を名乗ることが多いが、指導しているプロの落語家が自身の亭号を与えるケースも多い。その他にも、地方で落語をベースにした独自の活動を主体にしている、大分県の県南落語組合・宮城県の東方落語などのような社会人活動グループなどもある。
女性の落語家

昭和後期になるまで、正式にプロの落語家に入門・団体に所属する女性落語家は存在しなかったが、1975年に上方落語の二代目露乃五郎(後の二代目露の五郎兵衛)に入門した露の都が初のプロの女性落語家とされる。当時は「落語は男がやるもの」という観念が強く、都は五郎に何度か断られた末に入門している[注釈 15][10]

その後、江戸落語でも落語協会では1981年に三代目三遊亭圓歌に入門した三遊亭歌る多(当時:歌代)が初の女性落語家となり、1993年には古今亭菊千代とともに女性落語家として初の真打に昇進している。歌る多・菊千代は当初は「女真打」として別枠であったが、2002年に女真打枠が撤廃され、通常の真打として男性と同列に扱われるようになった。

落語芸術協会は、1986年に桂右團治(当時:小文)が十代目桂文治に入門、2000年に真打に昇進し初の同協会所属の女性真打となった。

落語立川流は、2006年に立川こはるが立川談春門下に入門したのが初であり[11]、2023年5月に同派初の女性の真打に昇進(同時に「立川小春志」に改名)した。

円楽一門会は設立以来、長らく女性の落語家が在籍していなかったが、2022年に三遊亭竜楽に三遊亭たつみが入門。円楽一門会では初の女性落語家となったが、同年に正式に前座となる前に廃業している。

2023年現在では東西併せて女性の落語家は50名を超えており[10]、真打制度のある江戸落語3団体で15名が真打に昇進している(落語協会11名[注釈 16]、落語芸術協会4名[注釈 17]、落語立川流1名(立川小春志)。2024年4月現在)。現在では歌る多が落語協会の理事に就任しており、菊千代は女性の落語家として同じ女性の弟子である古今亭駒子を初めて真打に育て、歌る多も同様に女性の弟子である弁財亭和泉、三遊亭律歌を真打に昇進させた[12]。また、弁財亭和泉(夫は柳家小八)、春風亭一花(夫は金原亭馬久)の様に落語家同士が結婚するケースも出てきた。2024年には林家つる子が(女性の落語家が現在の共通の香盤になって以降では)初の抜擢真打として昇進している[13][14]

江戸落語のうち、毎年1月の新宿末廣亭の余一会では、昼夜を通じて落語協会所属の女性落語家がほぼ出演する「落協レディース」の特別興行が恒例となっており、定席以外でも江戸落語の所属団体横断のユニット「落語ガールズ」の落語会が2023年4月まで定期的に開催されていた[15]。女性落語家の所属者が比較的多い落語協会では、2023年3月上席の浅草演芸ホール夜の部の興行で、蝶花楼桃花を主任としゲスト[注釈 18]も含めたすべての演者が女性芸人の番組編成となる「桃組」と名付けられた「江戸落語の定席では初」の興行が行われた[16]

真打制度のない上方でも都が複数の女性の弟子を入門させ、育てている[注釈 19]。2021年のNHK新人落語大賞では、上方落語協会所属の桂二葉が女性として初めて大賞を獲得した[18]
落語家の所属団体
関東の落語家

落語協会1923年(大正12年)設立、現会長:四代目柳亭市馬、一般社団法人)

落語芸術協会1930年(昭和5年)設立、現会長:春風亭昇太、公益社団法人)

五代目円楽一門会(1978年(昭和53年)設立、現会長:六代目三遊亭圓橘、任意団体)

六代目三遊亭円楽2022年(令和4年)死去)のみ、落語芸術協会にも「客員」として真打扱いで加入していた。


落語立川流(1983年(昭和58年)設立、現代表:十代目土橋亭里う馬、任意団体)

このうち、前述の経緯もあり、東都の寄席定席(狭義では鈴本演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場)に出演できるのは、原則として落語協会と落語芸術協会(鈴本は芸協も絶縁中のため、出演不可)会員のみであるが、近年は芸協については円楽一門会、立川流の所属噺家も定席興行の顔付けに加わる事がある(主に新宿末廣亭)。なお、余一会などの定席興行以外の興行はこの限りではない(ただし、鈴本は余一会なども落語協会以外はほぼ出演できない)。
関西の落語家

上方落語協会1957年(昭和32年)設立、現会長:笑福亭仁智、公益社団法人)

笑福亭鶴光は、上方落語協会と落語芸術協会の両方(芸協では「真打(上方)」扱い)に加盟している。一門の弟子のうち総領弟子の笑福亭學光のみ上方落語協会に所属し、それ以外は落語芸術協会に加盟している。

かつては二代目露の五郎兵衛2009年(平成21年)死去)が「露の五郎」を名乗っていた当時、落語協会にも「客分」として一時加入していた。


関東の団体間の移籍

所属していた協会を何らかの理由で別の団体へ移籍するケースも散見される。主に前座や二ツ目の落語家が一度廃業または破門され、その後改めて別の師匠の門下になるケースが多いが、真打の身分でありながら他団体に移籍し、その団体でも真打の身分で活動するケースも数例存在する。師匠が変わるために亭号とそれに合わせた高座名に改名するケースもある。この場合は移籍先の香盤の扱いが難しくなることから、一定期間「準会員」の身分であったり、香盤を真打の序列の最下位、あるいは別枠にしたりして、一定程度の経年により香盤に組み入れるケースが多い。上記の団体の枠組みが固まって以降、真打の身分のまま、団体を移籍した主な例を列挙する(落語協会分裂騒動や円楽党の結成、落語立川流の創設に関わるものは省略)。

林家九蔵→三遊亭好楽(落語協会→大日本落語すみれ会・のちの円楽一門会、1983年)

二代目桂文朝桂南喬桂文生[注釈 20](落語芸術協会→落語協会、1984年)


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