落語協会分裂騒動
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注釈^ 金翁は、この時積極的に昇進の話を進めて行ったのは林家正蔵(8代目)で、自分たちは口を挟む余地もなかったと著書で述べている(三遊亭金馬『金馬のいななき 噺家生活六十五年』、朝日新聞社、ISBN 4-02-250173-1、2006年、263-264ページ)。正蔵はもともと圓生とは仲が悪かった。圓生会長の下で正蔵は副会長を務めていたが、圓生の退任とともに副会長を退任し、ともに最高顧問に就任していた。小さんは正蔵よりも香盤が下であったが、圓生は小さんを後任に指名した。なお、その後、圓生の葬儀に駆けつけた正蔵は、遺された弟子たちに「あたしがきっと帰れるようにしてあげるから」と声をかけていたという。
^ 歌丸が新協会に参加しなかったのは、最初の師匠の古今亭今輔(5代目)に弟子入りし古今亭今児として高座に上がっていた当時、新作派の今輔門下でありながら古典中心に演じていたことや、芸協で勃発した香盤問題に絡んだために今輔から破門状態になり、最終的に兄弟子だった桂米丸門下に移籍し桂米坊に改名して復帰という、いわゆる出戻りの形で落語家として活動していた経歴に理由があった。そのため、新協会加入を打診した圓楽にも、前述の経緯を話して断っている。
^ 吉川の他にも、川柳川柳や金原亭伯楽などが自著でほぼ同様の経緯を記している。
^ ただし、この時同時に試験を受けて合格した三遊亭きん歌(のち歌之介を経て、圓歌(4代目))によれば、志ん八は試験会場に来るのも遅れ、噺の出来も明らかに不出来であったという。原因はその前夜に兄弟子達が前祝いと称して遅くまで飲ませたためらしい[31]
^ 落語協会が真打昇進試験を廃止して以降の抜擢真打昇進は柳家花緑林家たい平柳家喬太郎春風亭一之輔古今亭志ん陽古今亭文菊林家つる子三遊亭わん丈
^ これは圓楽が「大学卒の落語家でも遅くとも30までには真打としてスタートするべき」と考えたための処置で、前座3年、二つ目5年を目安にしている(圓楽、248ページ)。
^ 本書の出版後も圓楽は反論やコメントを一切行わなかった。しかし圓丈によれば、圓楽が司会を務めていた『笑点』からの圓丈への出演依頼がなくなり(それまでは年3?4回出演があったという)、圓楽が番組を勇退して死去してからも『笑点』への出演は(派生番組も含めて)結局果たせず、圓丈の弟子にも出演に圧力がかかったという。ただし、三遊亭新潟(のち白鳥)・三遊亭わん丈のように圓丈の弟子が若手大喜利に出演した例はある。
^ 圓生の一門弟子ではないが、学生時代圓生の自宅へ稽古で通っていたことや、圓丈から落語芸術協会を紹介されて入門した縁から登場した。
^ 主に丈二天どん究斗彩大ふう丈
^ 特に萬橘は2020年3月31日、末廣亭が新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策による営業短縮で14時終了を余儀なくされたことに伴い、円楽一門会所属でありながら急遽トリをとった。
^ 晩年、圓生襲名に名乗りを上げていた円楽の法名は「泰通圓生上座」(6代目円楽は曹洞宗に帰依し、正式に出家している)である[42]

出典^ 吉川潮『戦後落語史』、新潮新書、ISBN 978-4-10-610343-8、2009年、46ページ。
^ a b c 吉川潮、47ページ。
^ a b c d e f g 川柳川柳『ガーコン落語一代』、河出文庫、ISBN 978-4-309-40988-7、2009年、138-139ページ。
^ a b 北村銀太郎冨田均「円生脱会」『聞書き・寄席末広亭』平凡社、2001年、50-51頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-582-76379-0。 
^ a b c d e 三遊亭圓丈『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』、主婦の友社、1986年、60-62ページ。
^ a b 立川談四楼『落語的ガチンコ人生講義』〈新潮OH!文庫〉2001年、55-56頁。 
^ 『落語家面白名鑑』、かんき出版、1982年、47ページ。
^ 山崎佳男『父、圓生』79-80頁。圓生自身も新作落語を演じている。宇野信夫作の新作落語「小判一両」「大名房五郎」「江戸の夢」「うづら衣」を口演し、レコード「圓生百席」にも収録している。
^ 暉峻康隆『対談落語芸談』318-323頁。
^ a b 吉川潮、55ページ。
^ a b c 吉川潮、56ページ。
^ a b c d 吉川潮、57-58ページ。
^ a b c d 吉川潮、59ページ。
^ 川柳川柳、140ページ。
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