普及以前は、富める人は、羊毛、レース、麻を用い、その他は直接手を用いるか、木の葉、草、干し草、トウモロコシの皮、苔、水、鉋屑(かんなくず)、石、貝殻、砂、雪、ぼろ布や、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}付近にヤツデを植栽して葉を用いるなどしていた[疑問点 – ノート]。古代エトルリアの便所(公共水洗便所を含む)では、使い捨てにしない用具として天然のスポンジである海綿が使われており、この習慣は古代ローマにも継承された。日本では、使い捨てにしない用具として、貝殻や籌木(しゃがんで排便する際に姿勢を維持するために用いる木片で、体などに便が付着した際は掻き落とすのにも用いる)が長いあいだ使われ続けた。 851年に中国を旅したアラブ人の旅行記に中国人が用を足したのちに紙で拭くことを記述しているが、水で洗わないことから、清潔を気にしない人種として記録されている[7]。 帝政ロシアでは、皇帝専用紙に皇帝の印が家臣によってなされた。イングランド王ヘンリー8世の宮廷では、王族の用便後に素手で清拭する便所担当には特に信頼された廷臣が選ばれ、王と個別に相対する好機として影響力を期待し望む者も多かった。日本でも、江戸時代の大奥に似たような慣習があり、大奥女中に拭わせるしきたりにどうしても馴染めない御台所が自ら拭うということもあったという。
清拭用紙の登場
日本では、明治中期頃より古紙が原料の塵紙とパルプが原料の落とし紙や京花紙などが主に用いられていた[要出典]。また、明治時代末からは巻き取り型のトイレットペーパーも使われ始めたが、当時は舶来品が占めていた[10]。それでも、そういった変化は都市部での話で、農村部では、大正時代の頃まで木の葉や藁のほか、古来の籌木が用いられ続けていた[2]。
日本で最も早い時期に巻き取り型のトイレットペーパーを発売した企業は、紙の博物館によれば、記録の残る限りで、神戸市内にあった貿易商の島村商会(嶋村商會)である[10]。1924年(大正13年)、島村商会は高知県の工場に原紙の製造を依頼し、同商会がトイレットペーパーに仕上げた上で外国汽船などに納入していた[10]。
上下水道整備の進捗に伴い、1955年(昭和30年)前後から便所の様式が「汲み取り式」から「水洗式」へ「和式便器」から「洋式便器」へ変化し、合わせて巻き取り型のトイレットペーパーの生産量も増加した。使用量は2008年から2011年で、日本人一人あたり年間およそ8キログラムと推算[11]されるほど生活必需品で、非常時に備えて平時の備蓄が望まれる。