明治元年3月28日(1868年4月20日)の「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年太政官布告第195号)で、提灯・陶器・貢物などに菊紋を描くことを禁止し、明治2年8月25日(1869年9月30日)の「社寺菊御紋濫用禁止ノ件」(明治2年太政官布告第803号)で、社寺で使用されていた菊紋も、一部の社寺[8] を除き一切の使用が禁止された。その後、徐々に社殿の装飾や幕・提灯には菊紋の使用を許され、1879年(明治12年)5月22日の「明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件」(明治12年太政官達第23号)で、一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として使用することが許されている。ただ、社寺以外の団体や個人による菊花紋章の使用は、引き続き厳しく制限された。
菊花紋章の取り締まりに関する主な法令・通達
菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件(明治元年3月28日太政官布告第195号)
社寺菊御紋濫用禁止ノ件(明治2年8月25日太政官布告第803号)
皇族ノ外菊御紋禁止ノ件(明治4年6月17日太政官布告第285号)
官幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治7年4月2日太政官達)
国幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治12年4月2十2日太政官達第20号)
明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件(明治12年5月22日太政官達第23号)
菊御紋章ヲ売品ニ画ク者禁止方(明治13年4月5日宮内省達乙第2号)
菊御紋章取締ニ関スル件(明治33年8月18日内務大臣訓令第823号、明治37年8月9日内務大臣訓令第507号)
菊御紋章類似品取締ニ関スル件(大正13年9月25日内務省警保局警発甲第96号)
菊御紋章ニ関スル件(大正14年2月26日内務省警保局警発乙第296号)
菊御紋章類似図形取締内規(昭和4年11月21日内務省警保局訓第1368号)
上記各法令のうち、「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年3月28日太政官布告第195号)と「皇族ノ外菊御紋禁止ノ件」(明治4年6月17日太政官布告)は、法律に匹敵する法令として、取り締まりの法的根拠とされた。この2つの太政官布告は、いずれも1947年(昭和22年)12月31日限りにおいて失効している[9]。なお、皇室儀制令についても、「皇室令及附属法令廃止ノ件」(昭和22年5月2日皇室令第12号)により廃止されている。
菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、幕末の流行り歌にも「菊(=皇室)は咲く咲く、葵(=徳川将軍家)は枯れる」と歌われている[10]。日本軍においても、幕府や諸藩が明治政府へ環納した小銃に種々様々な紋所や刻印が刻まれていたのを、菊花紋章に改刻して統一したのを端緒に、村田銃以降のすべての国産軍用小銃に刻印されていた[11]。これらの小銃を部外に払い下げる場合には、菊花紋章を削り取る、または丸印等の刻印を重ねて打って潰す措置が行われた。また陸軍の軍旗(連隊旗)の旗竿先端(竿頭)や、海軍の軍艦[12]の艦首に金色の菊花紋章[13]が付されていた。
戦後(第二次世界大戦後?昭和後期・平成)ウィンザー城のセント・ジョージ・チャペルに掲げられたガーター勲爵士のバナー。右側には皇室の菊花紋章(天皇旗)が見える。
1947年(昭和22年)に皇室儀制令は廃止されたため、菊花紋章を天皇・皇室の紋章と定め、または日本の国章と定める現行法令はない。しかし、慣例的に天皇・皇室の紋章として、または日本の国章に準じる紋章として、菊花紋章が用いられ続けている。
日本の在外公館の玄関には、戦前から引き続き、菊花紋章の浮き彫りが飾られている。また、日本国発行の旅券の表紙にも「十六一重表菊」をデザイン化したものが使われている[14]。国会議員の議員記章には「十一菊」の図案が使用されている。そのほか、菊花紋は日本の勲章の意匠にも取り入れられるなど、菊は桜と並び、国花に準じた扱いを受ける。日本の国章に準じた扱いを受け、法的には国旗に準じた扱いを受けるため、それに類似した商標等は登録できない(商標法第4条第1項第1号)。国際的にも、十六八重表菊は、工業所有権の保護に関するパリ条約第6条の3[15]に基づいて、1967年に同条約の同盟国に通知されており[16]、これらの国では商標登録をすることができない。
また旭日章が司法機関紋章であり使用できない(軽犯罪法による規制)ため、探偵業者が権威を表現するために自社の表号として使用する例がある。漫画家の魔夜峰央は、かつて絵の背景に菊の花をあしらった模様を頻繁に描いていたが、これが菊花紋章に酷似していることに気付き宮内庁に問い合わせたところ「できれば使わないでいただきたい」と言われ、以後は描画を差し控えている、と語っている[17]。
宮家の紋章
秋篠宮
常陸宮
三笠宮
高円宮
以下は廃絶または皇籍離脱で現存しない一家 自民党のシンボルは、「陰十四菊」の中央に“自民”のモノグラム。また、日本会議の紋章も、「陰十四菊」の中央に桜花をあしらったものである。 仏教の一宗派である日本天台宗は、十六菊の中央に3つの星をあしらった紋(三諦章)を宗章としている。星は三諦星、または三台星とよばれ、「三台」とは中国の星座体系において、天帝を囲む3つの星の意味である。また「三諦」と書く場合は、天台宗の教理において実相の真理を明かす3つの要諦、すなわち空諦・仮諦・中諦を指す。十六菊を用いることについては、「天台宗の皇室を守護する役割を表すため」「皇室が菊紋を用いるきっかけとなった菊の花を最澄が桓武天皇に献上したため」などの伝説がある。ただし上述のように、現在では皇室の菊花紋が定着したのは後鳥羽朝以降のことだったと考えられている。
有栖川宮
高松宮
北白川宮
旧竹田宮
民間団体等による使用例
天台宗の菊紋天台宗正法院、東京都豊島区
用例
旗の図案
日本の皇室・皇族
天皇旗
上皇旗
皇后旗、皇太后旗、太皇太后旗、上皇后旗
摂政旗
皇太子旗、皇太孫旗
皇太子妃旗、皇太孫妃旗
皇嗣旗
(左記以外の)皇族旗[18]