菅田俊
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1992年には『事件屋稼業』で映画初主演を果たす[7][13][14]。この間、テレビドラマでは、『追いかけたいの!』『愛してるよ!先生』『鞍馬天狗』『ニュースなあいつ』『家なき子2』などにレギュラー出演した[1]

1993年、東映のメタルヒーローシリーズ特捜ロボ ジャンパーソン』に敵役であるビルゴルディこと帯刀龍三郎役で準レギュラー出演[13]。他の作品も掛け持ちしていたため、その合間に出られるならとのことでオファーを承諾したという[13]

2001年に役者仲間らを集めて「劇団東京倶楽部」を結成し[8]、年1回の舞台を行っている。

2003年、ハリウッド映画『キル・ビル Vol.1』『ラスト サムライ』に出演し、以後海外作品での活躍の場が増える[15]

太田プロを経て[1][4]2007年よりティー・アーティストに所属し、コワモテのヤクザや刑事からコミカルな役柄まで幅広くこなせる個性派俳優として活躍する。長年、脇役を中心に演じてきたが、2009年には『ポチの告白』『TOCHKA』の2本の主演映画が公開された[16]。特に、『ポチの告白』の主人公の警官は菅田を当て書きしたものである[7]

特技は、殺陣、サッカー[4]大杉漣とはサッカー仲間で「イワシクラブ」というサッカーチームを一緒に結成している[17]
エピソード

『特捜ロボ ジャンパーソン』では、変身後のビルゴルディをマスク無しの状態で演じることもあったが、ジャンパーソンのスーツアクターを務めた横山一敏はすごく動けると評価していた[18]

2005年12月にひったくり犯の逮捕に協力したとして、翌年の2月に警視庁目白署から表彰を受けた[17]。本人によると自転車での帰宅途中であり、池袋で「ひったくりだ」との声を聞いて巻き込まれないようにしようと思ったが、路地に走る影が見えたので自転車を置いて回り込み、鉢合わせた犯人を取り押さえたという。
『仮面ライダーZX』関連

俳優を目指して東映本社を訪れた当時、関係者から東映のスターが載ったカレンダーに載ることを目標に頑張れと言葉をかけられ、そのカレンダーに仮面ライダーも載っていたことから、仮面ライダーには特別な想いを抱いていた[19]

『ZX』の前作品『仮面ライダースーパー1』の最終オーディションまで残り[12][20]、実際に仮面ライダースーパー1 / 沖一也 役を演じた高杉俊价がレンジャー部隊出身でその経験を生かした特技を披露したことに驚き、彼に勝つためには自分も屋上から飛び降りるぐらいのことはしなくちゃいけないだろうという意気込みで挑んだ[21]。当時の東映のプロデューサーだった平山亨から、後年にオーディションで高杉にほぼ決まっていたとのエピソードを聞いたことを明かしている[19]

その後、平山に見込まれて『ZX』の主人公の村雨良 / 仮面ライダーZX 役に選ばれた[3]。しかし、テレビ放送が予定されていない企画のために低予算で、衣裳もバイクも自前だった[3][22]。そのうえ、直前には映画『制覇』に出演していたため、髪型がパンチパーマであった[19]。また、映画での役作りのために太っていたことから、毎日8キロメートルを走ったり、JACの友人と立ち回り練習を行うなどして、15キログラムの減量を行った[12]

ステージ『仮面ライダーZXショー』への出演時、敵役の人たちが手弁当で出演していたのを見て「自分も頑張らねば」と演じていたという[3]。それを見に来ていた平山が、財布から「少ないけど」と3万円を渡してくれた[3][19]。それがうれしかったと後に懐古しており、その小遣いはとても申し訳なく今でもそのままにしているという[19]

インタビューでは「またZXをやりたい」と答えており[13]、2010年には『仮面ライダーバトル ガンバライド』でZXの声を担当している[23]。2012年1月に行われたトークショーでは、裏話や変身ポーズを披露した[24][25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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