菅田俊
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大学卒業後は不動産会社に就職し、ゴルフ場で働く会社員になるが[8]勝新太郎菅原文太に憧れ、高校時代より師事していた詩人の竹内てるよの口添えで東映プロデューサーの俊藤浩滋を紹介してもらい、東映へ出入りするようになる[7]。当初は本名のまま『電子戦隊デンジマン[9]特捜最前線』などのテレビドラマに端役として出演。

やがて、菅原の付き人となり、菅原文太の「菅」、鶴田浩二の「田」、俊藤浩滋の「俊」を貰い、芸名を「菅田 俊」とする[3][7]

ボディビルダーと腕相撲した際に相手の腕をへし折った強さを誇り、菅原の付き人は用心棒を兼任したものではとの声もあったが[10]、3年目に撮影現場で高倉健に呼ばれて「付き人は一生付き人のままだぞ」と言われ、「菅原のオヤジとケンカして」破門となる[8](その後、破門は解かれ、菅原が山梨県で農業を始めると菅田も手伝いに行った)。

1980年から放映の『仮面ライダースーパー1』のスーパー1 / 沖一也役のオーディションでは最終選考まで残っていた[11]ことが縁で、1982年に村雨良 / 仮面ライダーZX役に抜擢され、児童誌のグラビアとイベントショーの展開に参加することとなる[12][13]。児童誌での展開が終了した後の1984年正月、テレビ特番として映像化された『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』で、テレビドラマとしては初の主役を演じる[7][13]

その後、飲み屋で松田優作らが語っていたアクターズ・スタジオを見るために渡米し、帰国後は東映を離れて27歳で唐十郎率いる劇団・状況劇場に入団し、活動の中心を舞台に移す。演劇時代には唐十郎についていくために大量の読書で演劇理論を学び、読書で得た知識で理論的に役を解釈する。30歳のときに唐とふたりで劇団「唐組」を結成して、下町唐座の舞台に立った後、東京乾電池に所属を移し、ふたたび映像の仕事を始めることとなる[2]1987年長谷部安春監督の映画『あぶない刑事』において屈強な傭兵・豹藤幸次郎役で出演し、この悪役を好演したことで以後、テレビや映画では主に悪役を演じるようになった[8][7][13]

先輩の片桐竜次の誘いで1989年には東映Vシネマに出演するようになり、以後40本以上に出演[13]。ヤクザを多く演じたが、かつて的屋で働いていたときに知り合った人たちを参考にしたという。オリジナルビデオの世界で、黒沢清室賀厚福岡芳穂といった監督との出会いを得る。1992年には『事件屋稼業』で映画初主演を果たす[7][13][14]。この間、テレビドラマでは、『追いかけたいの!』『愛してるよ!先生』『鞍馬天狗』『ニュースなあいつ』『家なき子2』などにレギュラー出演した[1]

1993年、東映のメタルヒーローシリーズ特捜ロボ ジャンパーソン』に敵役であるビルゴルディこと帯刀龍三郎役で準レギュラー出演[13]。他の作品も掛け持ちしていたため、その合間に出られるならとのことでオファーを承諾したという[13]

2001年に役者仲間らを集めて「劇団東京倶楽部」を結成し[8]、年1回の舞台を行っている。

2003年、ハリウッド映画『キル・ビル Vol.1』『ラスト サムライ』に出演し、以後海外作品での活躍の場が増える[15]

太田プロを経て[1][4]2007年よりティー・アーティストに所属し、コワモテのヤクザや刑事からコミカルな役柄まで幅広くこなせる個性派俳優として活躍する。長年、脇役を中心に演じてきたが、2009年には『ポチの告白』『TOCHKA』の2本の主演映画が公開された[16]。特に、『ポチの告白』の主人公の警官は菅田を当て書きしたものである[7]

特技は、殺陣、サッカー[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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