菅原洋一
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同大学声楽専攻科入学後は、関種子[注釈 3]に師事[2]。本心ではタンゴを習いたかったが、同大学では当時軽音楽の類[注釈 4]を勉強するのが禁止だったため、密かにタンゴのレコードを聞いたり、タンゴ喫茶に足繁く通うことで欲求不満を解消した。また、スペイン語(タンゴで有名なアルゼンチンの言語)とイタリア語が似ていることからこれを隠れ蓑に、関に「イタリア音楽を勉強したい」と告げ、イタリア歌曲やカンツォーネを歌うことでタンゴの下地を作った[2]

大学4年生になった頃、まだまだ音楽を勉強したいとの思いから、国立音楽大学大学院声楽専攻に進学[2]。この頃からタンゴ喫茶のステージで歌わせてもらったり、後日関の紹介で知り合った服部良一のコンサートにも出始める。正式に服部の弟子となった後、いくつかのレコード会社の口利きをしてもらうが、中々所属先が決まらない日々を過ごす[2]

先述のタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」での歌手デビューを経て、ポリドールからソロ歌手としてレコードデビュー[2]。『知りたくないの』の発売後、札幌のダンスホールや銀座のクラブホステスの間で徐々に人気が出始め、その後大ヒットに繋がった[2]。菅原が後に聞いた話では、所属先から「売れない歌手の君を、このレコードを最後にクビにするつもりだった」と打ち明けられ、同曲がヒットしたことで契約を打ち切られずに済んだとのこと[2]
私生活

家族は妻の菅原明美(旧姓・平井明美。1962年11月17日東京銀座の東京都中小企業会館にて菅原洋一と挙式。)、長女の菅原歌織[注釈 5]、長男のピアニストである菅原英介[注釈 6]

歌織は、成蹊中学校高等学校を経て、成蹊大学文学部英米文学科を卒業。成蹊大学在学中の学生時代には、フジテレビオールスター家族対抗歌合戦」のアシスタント(1984年7月?1986年3月)を務めた。成蹊大学を卒業後はソニーに入社。1993年の結婚を機にソニーを退職,高瀬姓となる。

英介は、幼い頃から菅原の影響を受けて音楽に興味を持ち、高校卒業後単身で渡米。現在(2016年頃)は作業療法士として働きながら作曲・演奏活動を行っている[3]。他にも菅原と演奏会で共演したり、デュエット・アルバム(アルバムの欄を参照)を発表している。

菅原と妻との出会いは菅原が歌手デビュー前にタンゴ喫茶のステージで歌っていた頃、たまたま人に付き添って来店した妻(当時、女子大生)と親しくなりその後結婚。ただし菅原が売れない歌手だったことから、両家の親から反対されたため駆け落ち同然で結婚し、しばらくは六畳一間の部屋で夫婦で貧乏生活を送った[2]

ちなみに菅原姓について菅原は、「昔僕が家族(父親など)から聞かされた話」として以下のように証言している。「菅原の姓は、大昔に政争に破れた菅原道真が京都から太宰府に下向する際、たまたまうちの先祖が自宅(現在の加古川市)で長期間宿を提供した。旅立つ前に道真公から大変感謝された先祖は菅原姓を拝領し、それから菅原姓を名乗るようになったそうです。本当の話かは分からないですけど、とりあえず僕は信じています」[2]
その他

「生涯現役」をモットーにしている。加齢により普段の話し声はかすれることもあるが、本人は「歌う時は、声の出し方が違うため大丈夫」としている[2]

趣味は、写真、ドライブ。普通自動車第一種免許と4級小型船舶免許を所有している[3]
ニュークラシカルコンサート

ニュークラシカルコンサートとは、円熟味を増した菅原の「歌声をいかにお楽しみいただくか」に拘り、敢えてクラシックスタイルに立ったコンサート。最小限の音飾で「生の歌声と生音の演奏」が中心。菅原自身もライフワークと語るこの新しいコンサートスタイルを全国クラシックホールを中心に展開している。このコンサートのスタジオ録音盤というべきアルバムもリリースしている。

菅原洋一 New Classical Concert ?日本の唄?(2005年 ユニバーサルミュージック)

菅原洋一 New Classical Concert Vol.2 ?世界の唄?(2006年 ユニバーサルミュージック)

菅原洋一 New Classical Concert Vol.3 ?父と子の唄?(2007年 ユニバーサルミュージック)

受賞

1968年 - 「誰もいない」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。

1970年 - 「今日でお別れ」で日本レコード大賞を受賞。

1975年 - 「乳母車」で東京音楽祭歌唱賞を受賞
[1]

1977年 - 「第11回リサイタル」で芸術祭に参加し、優秀賞受賞[3]

1978年 - 「歌手生活20周年記念アルバム」で日本レコード大賞・20周年記念顕彰を受賞[1]

1982年 - アルバム「ホテル?それぞれの人生」で日本レコード大賞企画賞を受賞[1]

1992年 - 第1回加古川市民文化賞を受賞[1]

2008年 - 日本レコード大賞功労賞受賞[1]

2018年 - アルバム「?歌い続けて60年? ふり返ればビューティフルメモリー -85才の私からあなたへ-」で第60回日本レコード大賞企画賞受賞[1]

2019年 - 文化庁長官表彰を受賞。


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