こうした傾向を、脱俗的な超越性から世俗的な視点の相対性をいうものとみれば、従来踏襲されてきた見方であるが、老荘思想を神秘主義思想の応用展開として読むことになる。他方で、それが荘子の意図であったかはもちろん議論の余地があるが、近年の思想研究の影響を受けつつ、また同時代の論理学派との関連に着目して、特権的な視点を設定しない内在的な相対主義こそが荘子の思想の眼目なのであり、世俗を相対化する絶対を置く思想傾向にも批判的であるという解釈もなされている。
荘子の思想を表す代表的な説話として胡蝶の夢がある。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」。この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている。
近年では、方法としての寓話という観点や、同時代の論理学派や言語哲学的傾向に着目した研究もあらわれている。 荘子の場合、「道」についての記述は、二種の思想に区分できる。 「道」と「無為」とを同一視して考える。至人は、物との調和を保ち、その心が無限の広さを感得することをもって善しとする。(大宗師篇)[注 1][注 2]。 道は万物が皆よって生ずる根本的な一者であるとしている。道は無為無形の造物主として古より存在するが、情あり、信ありとされている[4]。 自然の道から見れば、分散することは集成であり、集成することは、そのまま分散破壊することに他ならない。道を体得するとは、すべてを通じて一であることを知るということである。すべてのものは、生成(無為)と破壊・分散(有為)の区別なく道において一となっている、とされる(斉物論篇)[5]。 著書とされる『荘子』(そうじ)は、西晋の郭象が刪訂した内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇の構成のものが現在に伝わっている。 内篇は逍遙遊、斉物論、養生主、人間世、徳充符、大宗師、応帝王 外篇は駢拇、馬蹄、?篋、在宥、天地、天道、天運、刻意、繕性、秋水、至楽、逹生、山木、田子方、知北遊 雑篇は、庚桑楚、徐無鬼、則陽、外物、寓言、譲王、盗跖、説剣、漁父、列禦寇、天下 [6] この現行『荘子』は、西晋の郭象が注釈を加えた際に刪定したものだが、『史記』には「荘子十余万字」とあり、現行より多いことがわかる。また『漢書』の芸文志には「五十二篇」あったと記録されているが、郭象の刪定したもの以外は現在見ることはできない[6]。これらのうち内篇のみが荘子本人の手による原本に近いものものされ、外篇・雑篇は弟子や後世の手によるものと見られている[7]。 荘子「内篇」は逆説的なレトリックが随所に満ち満ちており、多くの寓話が述べられ、読者を夢幻の世界へと引きずり込む。 荘子は孔子を批判しているとされているが、文章をよく読むと孔子を相当重んじており、儒家の経典類もかなり読んだ形跡がある。このことから、古来より、荘子は儒家出身者ではないかという説があり、内容も本質的には儒教であると蘇軾が『荘子祠堂記』に於いて論じているほどである。白川静は孔子の弟子の顔回の流れを汲むのではないかと推定している。 老荘思想が道教に取り入られ老荘が道教の神として崇められる様になっているが、老荘思想と道教の思想とはかけ離れているとされている。しかし、これに@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}反対する説[誰?]もある。 老子と荘子の思想が道教に取り入られると、荘子は道教の祖の一人として崇められるようになった。道教を国教とした唐は、皇帝玄宗により神格化され、742年に南華真人(なんかしんじん)の敬称を与えられた。また南華老仙とも呼ばれた。『三国志演義』の冒頭に登場する南華老仙は荘子をさしている。著書『荘子』も『南華真経』(なんかしんきょう)と呼ばれた。
荘子の「道」について
荘子における「道」の区分について
普遍的法則としての道
根本的実在としての道
著書『荘子』詳細は「荘子 (書物)」を参照
儒家との関係
後世の受容
道教
文学(中国語版
著名な語句
胡蝶の夢
知魚楽
万物斉同
木鶏
衛生 庚桑楚篇
江湖 逍遥遊篇
庖丁解牛 養生主篇 - 庖丁という男が刀一本で一頭の牛を見事に解体した故事。転じて調理用の刃物を「包丁」と呼ぶ語源となった。
寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多し 天地篇
己を虚しくする 山木篇
嚆矢 在宥篇
無用の用 人間世篇
碧血(碧血碑・碧血剣) 外物篇
心斎坐忘(英語版) - 修行の方法
無為(中国語版)
真人(英語版)
朝三暮四
古人糟魄
鯤・鵬・図南の翼
井の中の蛙大海を知らず
卵を見て時夜を求む(鶏となって時を告げる)
脚注
注釈^ こうした思想は、後代になって、解脱を目的とする禅宗の成立に大きな影響を与えたとされる。(出典『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社 1978年 P256の注 小川環樹)
^ また、「明」によって照らすとは、是非の対立を超えた明らかな知恵を持つことであり、絶対的な智慧を指し、こては仏教でいう無分別智にあたるとされる(出典『老子・荘子』講談社学術文庫 1994年 P178 森三樹三郎
出典^ 玄侑宗久『NHK 100分de名著ブックス 荘子』2016年 NHK出版 5頁。
^ 岸陽子、松枝茂夫、竹内好『中国の思想[?]荘子』(第三版第一刷)徳間書店(原著1996年8月31日)、12頁。
^ 橋本敬司「『荘子』研究への前哨」(『広島大学大学院文学研究科論集 特輯号 64-2』)11-13,18頁
^ 『中国古典文学大系4』平凡社1973年 P64 金谷治
^ 『老子・荘子』講談社学術文庫1994年P184森三樹三郎
^ a b 岸陽子、松枝茂夫、竹内好『中国の思想[?]荘子』(第三版第一刷)徳間書店(原著1996年8月31日)、17頁。
^ 福永光司『新訂 中国古典選 第7巻 荘子 内篇』1966年 朝日新聞社 14-15頁。
^ a b c 三田明弘 著「荘子のキャラクター学」、相田満 編『古典化するキャラクター』勉誠出版〈アジア遊学〉、2010年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-585-10427-8。 151頁。
参考文献
森三樹三郎 『老子・荘子』 講談社学術文庫、1994年
福永光司『新訂 中国古典選 第7巻 荘子 内篇』朝日新聞社、1966年
岸陽子訳『中国の思想[?] 荘子』松枝茂夫・竹内好監修、徳間書店、新版1996年