荒川_(関東)
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荒川本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあるが、戦国時代水路が掘られて東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した[13]江戸時代初期頃は荒川は現在の元荒川の川筋を通り、現在の埼玉県越谷市吉川市付近で利根川と合流した。
利根川東遷事業詳細は「利根川東遷事業」を参照

1629年寛永6年)に関東郡代伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、現在の元荒川を流下していた河道を、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるように瀬替えを行なった[注釈 1][注釈 2]。なお現在、元の河道は、締め切られた熊谷市久下で地下水湧水(現在は人工揚水)を源流とし、吉川市で中川と合流する元荒川となっている。

付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を流下し東京湾へ注ぐこととなった。この部分は流速が遅く、台風で大が降るとしばしば溢れて江戸下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった[14]洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋農作物の被害は深刻であった。しかし、荒川の河川舟運にとってはこの瀬替えによって水量が増えたことにより物資の大量輸送が可能となり、交通路としての重要性を高めた[15]
荒川放水路

荒川放水路(あらかわほうすいろ)は、荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す。途中、足立区千住地区、および墨田区葛飾区の区境を経由し、全長22 km、幅約500 mである。1913年大正2年)から1930年昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事であった。
計画に至る過程

1910年(明治43年)8月5日頃から関東地方では長雨が続き、11日房総半島をかすめて太平洋上へ抜けた台風と、14日に山梨県甲府市から群馬県西部を通過した台風が重なり、荒川(現・隅田川)を含む利根川や多摩川などの主要河川が軒並み氾濫し、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。利根川左岸上五箇・下中森の破堤により群馬県邑楽郡一帯に被害が集中したほか、右岸でも中条堤の破堤によって利根川、荒川の氾濫流は埼玉県を縦断。死者202人、行方不明39人、家屋全壊610戸、家屋流出928戸に及ぶ甚大な被害を引き起こした。また、利根川や多摩川水系も含んだ東京府全体の被害総数は、死者41人、行方不明7人、家屋全壊88戸、家屋流出82戸であった[16]。長年豪雨災害によって被害を受けていたこともあり、翌1911年(明治44年)、政府は根本的な首都の水害対策の必要性を受け、利根川や多摩川に優先して荒川放水路の建設を決定する。

内務省によって調査、設計の準備を進め、土木技官青山士らを責任者に用地買収の済んだ箇所から逐次工事に着手したのは1913年大正2年)のことである。

この用地買収は実に1000ヘクタール、1300戸に及ぶ。これにより、南葛飾郡大木村平井村船堀村の3村が地方自治体としては廃止となり、周辺の町村へ編入されていった。
難工事荒川放水路完成時の青山士らによる記念碑

結局、この工事は当初の10年という予定期間を大幅に超え、関連工事が完全に完了するまで17年間という歳月を要し、3,200万あまりの工事費を費やした。これは最初に計上された総予算1,200万円の実に2.5に及んだ。さらに総数300万人以上を工事に動員し、出水や土砂崩れなど多くの災害により、30名近くの犠牲者も出した。

工事の大半が手作業であり、蒸気掘削機やトロッコ浚渫船も実用化されていたものの、油圧ショベルブルドーザーダンプカーの様な重機は無かった。また工事中も幾度も台風に襲われ、中でも1917年(大正6年)9月30日の台風では、記録的な高潮に見舞われ、工事用機械船舶を流出する他、関東大震災では各地の工事中の堤防への亀裂、完成したばかりの橋梁の崩落など枚挙に暇がない。さらに第一次世界大戦に伴う不況・インフレーションも、難工事に拍車をかけた。
完成後

1924年(大正13年)の岩淵水門完成により放水路への注水が開始され、浚渫工事など関連作業が完了したのは1930年(昭和5年)のことである。以後東京は洪水に見舞われることは無くなった。その後も荒川放水路により分断された中川の付け替えや、江戸川放水路の掘削が行われ、ほぼ東京周辺の流路が完成することとなる。

1938年(昭和13年)9月1日、台風接近と高潮が重なり荒川放水路を挟んで城東区向島区葛飾区江戸川区一帯が冠水。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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