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出典検索?: "荒川洋治"
荒川 洋治(あらかわ ようじ、1949年4月18日 - )は、日本の現代詩作家、随筆家。日本芸術院会員。本名の読みはひろはる。 福井県三国町(現坂井市)に生まれる。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。 高校2年生のときに詩誌「とらむぺっと」を創刊し、全国から同人を募って、19号の終刊まで100余名の高校生が参加した[1]。大学の卒業論文として提出された『娼婦論』は平岡篤頼の推薦で小野梓記念賞芸術賞を受賞[2]。26歳で詩集『水駅』を刊行し、H氏賞を受賞[3]、以後、多くの詩集・随筆・評論を刊行している。日本近代小説の読み巧者でもある。1974年から詩を専門にする出版社である紫陽社を経営。大阪文学学校、青山学院大学、早稲田大学などで教壇に立つ。2013年愛知淑徳大学教授、2017年退職[4]。2019年、日本芸術院会員。2024年大岡信賞受賞。 『坑夫トッチルは電気をつけた』で、「宮沢賢治研究がやたらに多い。研究に都合がいい。それだけのことだ」と書き、一人の詩人に多くの研究者が群がる事態を批判するなど、党派にとらわれない鋭い指摘を、詩、エッセイの双方で展開している。長く務めた文芸時評では、大江健三郎や笙野頼子を厳しく批判するなど、いわゆる「文壇」的な発言をあまり行わない異色の存在である。「詩人」ではなく「現代詩作家」を名乗る[4]。「口語の時代はさむい」「文学は実学である」など、時代を挑発するフレーズで知られる[5]。 1986年の、鮎川信夫、大岡信との討議において、北川透は「荒川洋治の場合、最初に詩を書き始めた頃は見た目には難しい詩を書いていて、今は易しい詩を書いてますよね。ぼくは今でも荒川洋治は、多分難しい詩というよりも、ああいう修辞的に混みいった詩を書こうと思えば書けると思いますね。書けるのにすごく分り易い詩を書くでしょう。ぼくはそこが屈折だと思うんですね。」「平出隆や稲川方人は荒川洋治をすごく嫌っているでしょう。それから「麒麟」の人たちも彼をほとんど評価しませんよね。」と述べている。[6] 2006年11月14日、ラジオ番組『森本毅郎・スタンバイ!』内のコーナー「話題のアンテナ 日本全国8時です」において、名前の読みが本当は「あらかわ ひろはる」であることを明かした。26歳のとき、『朝日新聞』の「ひと」欄で「ようじ」とルビがふられたことから、自身もそう名乗るようになったらしい。
来歴・人物
来歴
人物・評価
受賞歴
1976年『水駅』(詩集)でH氏賞[3]
1997年『渡世』(詩集)で高見順賞[3]
1999年『空中の茱萸』(詩集)で読売文学賞[3]
2003年『忘れられる過去』(エッセイ集)で講談社エッセイ賞[3]
2005年『心理』(詩集)で萩原朔太郎賞[3]
2006年『文芸時評という感想』(評論集)で小林秀雄賞[3]
2016年『過去をもつ人』(書評集)で毎日出版文化賞書評賞