主に荒尾市内で乗合バス事業を行っていたが、交通局解散時まで市営バスセンター?南荒尾駅前?玉名郡長洲町(長洲港)まで越境路線を持っていたほか、1980年代までは四山から府本を経由して国道208号線を東進した玉名市の立願寺温泉までの越境路線を持っていた。
荒尾市には隣接する福岡県大牟田市同様、炭鉱住宅(社宅)が市内各地に点在していたことから、それらの住宅地と荒尾駅や市内随一の繁華街・四山地区をダイレクトに結ぶべく、市が直営でバス事業を始めたことに起源する。戦後復興の中、炭鉱景気に沸いていた1960年代まではかなりの利用者を誇っており、1964年に鉄道事業を廃止した後にバス路線を拡充した頃までが黄金時代であった。しかしエネルギー革命に伴う炭鉱の閉山やそれに伴う人口の流失・高齢化、またマイカー、バイク、自転車の普及でバス利用者は激減し、毎年多額の赤字を計上するようになっていた。
1990年代末から抜本的なバス路線網再編や大幅な合理化が進められ、従来行っていた貸切バス事業を廃止。またこの頃、荒尾市は駅の東側約4kmの位置にある旧炭鉱住宅街の緑ヶ丘地区の再開発事業を行っており、1997年4月25日に同地区にショッピングモール「あらおシティモール」をオープンさせたのに続き、同年9月1日に「あらおシティモール」に隣接する形で市営バスセンターを新設した。その際にそれまでの四山地区や荒尾駅を起点とした路線網をやめ、市営バスセンターを中軸とした路線網に再編している。この再編に合わせて特定乗継路線制度を新設して、一部路線において乗継割引制度を開始。また、この頃までに市民の通勤通学の大半がマイカーや自転車に切り替わっていたため、あえて朝夕のバス運行を減便し、お年寄りを中心とした日中の通院、買い物に特化したダイヤに改めた(前年のダイヤから約30%運行カット)。この結果、各系統が重複するメイン区間(四山?荒尾駅?市営バスセンター)や玉名市・熊本市方面へ向かう産交バスの路線が重複する区間以外は一日数本のみの運行となり、西鉄バス大牟田が周辺各地に30分?1時間間隔で運行している大牟田市などに比べると荒尾市内のバスの利便性は極端に低下してしまい、もはやバスを使おうにも気軽に使えない状況に陥っていた。
運行30%カットに対し、減収は9%と順調な再建であったが抜本的な赤字解消とは言えず、最終的に市はバス運行事業の撤退を表明し、2004年4月1日に一部の路線と車両が熊北産交(現・産交バス)に先行譲渡。翌2005年4月1日には残るすべての路線と車両が産交バスに譲渡され、同時に荒尾市交通局は閉局した。2008年の10月のダイヤ改正までは産交が市バス廃止直前の運行形態をほぼそのまま引き継ぎ運行していた。2008年10月のダイヤ改正で荒尾市内線、荒尾・玉名-熊本線は路線を大幅に再編した。
車庫は産交バス荒尾営業所となったが(同時に従来の産交バス荒尾営業所は廃止)、2006年12月1日に玉名営業所に統合され廃止されている(現在は産交バス玉名営業所荒尾車庫として存在し、車両と乗務員は引き続き駐在)。
車両旧塗装の一般路線車(1997年撮影)
一般路線車は1980年頃まで肌色地に赤色帯・薄青色帯の塗装で、それ以降の新規導入車はクリーム色地に紺色帯・赤色細帯の塗装となった。貸切車は白地に紺・灰色帯で窓より上の部分が薄黄色、屋根が薄緑色の塗装であった。メーカーは国内4メーカー全社が採用され、西日本車体工業の車体を架装した車両も存在していた。
1992年に鹿児島市営バスから中古車両が譲渡された際は、「鹿児島市営」の表記を「荒尾市営」に書き換えただけで鹿児島市営バスの塗装を塗り替えずに使用した。
1995年に再び鹿児島市営バスから中古車両が譲渡された際は、クリーム色地に紺色帯・赤色細帯の塗装に塗り替えられた。
1995年と1996年に大型の一般路線車が新規導入(95年は日産ディーゼル・RP、96年が三菱ふそう・エアロスターが2台ずつ)され、これらの車両は現在、主に九州産交バスの熊本市内から玉名方面に至る路線で使用されており、同じ「熊本22か?」のナンバープレートながら、テールライトの形状や窓形状の違いで産交が自社導入した同型車と容易に区別できる。(2016年11月現在)
1997年と1998年に東京都交通局から中古車両を譲り受け、上述の鹿児島市営バスからの譲受車や旧年式車が置き換えられた。
一部事業譲渡前の2004年3月31日の時点では一般路線車15台と、特定輸送(荒尾支援学校
のスクールバス)に使用される貸切車1台を保有していた。一般路線車は全車産交バスに引き継がれ、産交塗装(白・青ツートンカラー)に塗り替えられ使用されている。その後は当局が運行していた路線はもとより時として熊本都市圏路線にも乗り入れるなど幅広く同社で活躍している。徐々に他社からの移籍車両に置き換えられ方向幕もLED化し、2014年4月現在で当局から譲渡された車両は残り4台となっている。一般路線車(2004年3月当時)四山を起点してバスセンターへ向かう下り便には経由地別に行き先番号が付けられる。循環系統は番号と合わせてA・Bの番号がついていた。(例外あり) 1系統は八幡台1丁目到着後、23系統となりバスセンターへ折返していた。 33系統は2000年のダイヤ改正で登場。唐池始発の片道のみの運転、バスセンター始発便も設定されたが2002年のダイヤ改正で唐池始発便のみの運転となる。 長洲町にまたがって運転する唯一の越境路線。 8B系統は山の手発車後に行先番号が8B→27に切り替わる。 2000年のダイヤ改正で2系統、8A系統を廃止して24,25系統を新設。8B系統は市役所循環(29,30系統)に編入。 片道のみの運転。 2000年のダイヤ改正で2Aの循環運転を取りやめ、31,26系統新設。 八幡台線や桜山線(一小下経由)の補完路線。 18系統は2000年のダイヤ改正で廃止 2005年の産交バスへの譲渡時点で16系統は荒尾市営バスの路線として最多本数の運転頻度であった。
八幡台線
■ 1
四山 - 荒尾駅 - 老人センター - 市民病院 - バスセンター - 八幡台1丁目
■ 23
バスセンター - 八幡台1丁目
■ 33
唐池→府本→樺→八幡台2丁目→バスセンター→市民病院→老人センター→荒尾駅
23系統は八幡台1丁目到着後は、1系統として四山へ向かっていた。
グリーンランド線
■ 3
四山 - 荒尾駅 - 一小下 - グリーンランド正門 - バスセンター
牛水・長洲港線
■ 7
バスセンター - 市民病院 - 南荒尾駅 - 牛水下 - 長洲港
1993年に長洲町が荒尾市営バスと熊北産交の路線バスの相互乗り入れを要望していた。
これを受けて荒尾市と熊北産交は、路線バスの相互乗り入れ協定を締結。
1999年に荒尾市側が荒尾市営バスの7系統・牛水線を長洲港まで延長運転。(牛水下?長洲港延長運転)
熊北産交側が長洲環状線のルートを見直し、荒尾市へ乗り入れ開始した。
聖人原循環
■ 2A
四山 → 荒尾駅 → 倉梶B→ 助丸 → 聖人原 →グリーンランド正門前→バスセンター→ 市民病院 → 老人センター → 荒尾駅 → 四山
■ 2B
四山→ 荒尾駅 → 老人センター → 市民病院 → バスセンター → グリーンランド正門 →聖人原 → 助丸 → 倉梶B→ 荒尾駅 → 四山
■ 8A
四山 → 荒尾駅 → 倉梶B→ グリーンランドホテル → 聖人原 →グリーンランド正門前→バスセンター→ 市民病院 → 老人センター → 荒尾駅 → 四山
■ 8B
四山→ 荒尾駅 → 老人センター → 市民病院 → バスセンター → グリーンランド正門 →聖人原 → 弥生の湯→ 倉梶B→ 荒尾駅 → 四山
2002年のダイヤ改正で平日のみの運転となる。
倉掛線
■ 9
四山 → 荒尾駅 → 倉梶B→ グリーンランドホテル前 → 聖人原 → バスセンター
■ 27
バスセンター → 聖人原 → 弥生の湯 → 倉梶B→ 荒尾駅 → 四山
2000年のダイヤ改正で9系統の上りは27系統に分離。運転区間は同じ。
聖人原循環とは異なり、グリーンランド正門前は経由しない。
■ 31
四山 → 荒尾駅 → 倉梶B→ 助丸 → 聖人原 → バスセンター
■ 26
バスセンター → 聖人原 → 助丸 → 倉梶B→ 荒尾駅 → 四山
聖人原循環とは異なり、グリーンランド正門前は経由しない。
山の手線
■ 14
四山 - 荒尾駅 - 老人センター - 市民病院 - 中央区 - バスセンター
■ 18
四山 - 荒尾駅 - 一小下 - 市民病院 - 中央区 - バスセンター
桜山線
■ 15
四山 - 荒尾駅 - 一小下 - 市民病院 - 桜山(旧道) - 自動車学校 - バスセンター
■ 16
四山 - 荒尾駅 - 老人センター - 市民病院 - 桜山(旧道) - 新図団地 - バスセンター
下金山循環
■ 17A
バスセンター -→聖人原→唐池団地→府本→海行原→府本校→下金山→一里木→赤田→桜山(国道)→桜山団地上→市民病院→老人センター→荒尾駅→四山
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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