荏原郡
[Wikipedia|▼Menu]
797年 - 続日本紀には武蔵国の郡名として荏原郡の名が見える。

927年 - 延喜式神名帳に荏原郡の社として?田神社磐井神社が上げられている。

938年 - 和名類聚抄によれば、荏原の訓は「江波良」(えはら)とされている[3]

10世紀後半 - 延喜式 に、荏原郷の渡来人が大和朝廷に荏胡麻の油を献上したとある。

1830年 - 『新編武蔵風土記稿』によれば地名の由来は、奈良時代に荏(荏胡麻)が繁茂していたから、「荏の原」といわれる[4]。このほか、アイヌ語起源[5]説もある。

江戸時代には荏原郡の村々は、六郷(34村)・馬込(13村)・世田谷(30村)・品川(13村)・麻布(5村)の5領に分かれ、合計で95か村があった[6]

古地名

和名類聚抄に8郷および駅家郷が記されている。比定は日本歴史地名大系による[7]
蒲田(かまた)
大田区蒲田を遺名地とし、その一帯に比定されている。延喜式神名帳にある?田神社はもと蒲田神社であったと考えられている。
田本(たもと)
不詳。
満田(まんた)
不詳。
荏原(えはら)
郡衙所在地と考えられるが不詳。
尾輪(びりん)
不詳。
覚志(かかし)
不詳。
御田・美田(みた)
港区三田および目黒区三田を遺名地とし、両者にかけての一帯に比定されている。
木田(きた)
不詳。世田谷区の上北沢下北沢の「北」との関係をみる説(風土記稿)がある。
桜田(さくらた)
千代田区の南部に比定されている。桜田門はこれに関係した名称。
駅家(えきいえ)
延喜式にみえる大井駅にかかわる郷とされ、品川区大井の一帯に比定されている。
近代
町村制以前の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は代官・松村忠四郎(長為)支配所が管轄した。●は村内に寺社領が存在。×は町地(町奉行支配地)と代官支配地の両方が存在。全域が町地である品川歩行新宿、南品川猟師町は掲載されていない。(9町93村)[注釈 2]

知行村数村名
幕府領幕府領8町
58村×三田町(現目黒区の三田村を指す)、×下高輪町、×上高輪町、今里村、白金村、白金台町、●南品川宿、南品川宿ノ内・利田新地(南品川利田新地を指す)、●北品川宿、二日五日市村、居木橋村、●戸越村、上蛇窪村、●下蛇窪村、大井村、桐ヶ谷村(現品川区)、●不入斗村、西大森村、北大森村、東大森村、●堤方村、●女塚村、糀谷村、萩中村、●八幡塚村、古市場村、池上村、道々橋村、●雪ヶ谷村、●中延村、●上目黒村、谷山村、小山村(こやま)、市ノ倉村、奥沢村、石川村、池沢村、深沢村、野沢村、上沼部村、下沼部村、嶺村、下丸子村、矢口村、●高畑村、●道塚村、原村、町屋村、雑色村、久ヶ原村上知(馬込領久ヶ原村のうち)、鵜ノ木村、上大崎村、下大崎村、松原村、赤堤村、経堂在家村、代田村、池尻村、三宿村、下北沢村、馬込領・桐ヶ谷村(現大田区。正式には桐ヶ谷村だが、現品川区の桐ヶ谷村と区別するため馬込領を冠する)、羽田村、羽田村ノ内・源太郎新田、●羽田猟師町、鈴木新田、羽田村之内・増田新田
旗本領9村若林村、上馬引沢村、中馬引沢村、下馬引沢村、奥沢本村、●等々力村、●碑文谷村、下袋村、新井宿村
幕府領、旗本領3村●馬込村、古川村、●久ヶ原村(六郷領久ヶ原村とも)
藩領彦根藩9村●世田ヶ谷村、●弦巻村、世田ヶ谷新町村、用賀村、野良田村、小山村(おやま)、上野毛村、瀬田村、馬引沢村(上馬引沢村、中馬引沢村、下馬引沢村のうち彦根藩領分)
幕府領・藩領幕府領・旗本領・彦根藩1村太子堂村
幕府領・彦根藩1村下野毛村
その他寺社領15村馬込領・久ヶ原村(1872年まで六郷領久ヶ原村とは別)、小林村、安方村、北蒲田村、蒲田新宿村、浜竹村、御園村、今泉村、下池上村、下目黒村、中目黒村、蓮沼村、徳持村、衾村、上北沢村


慶応4年

6月29日(1868年8月17日) - 旧幕府代官の松村長為が武蔵知県事に就任し、当郡域を管轄。

8月 - 松村長為知県事が古賀定雄(一平)に交代。


明治元年11月5日(1868年12月18日) - 町地および隣接する区域(下高輪町・上高輪町・今里村・白金村・白金台町)が東京府(第1次)に編入。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:65 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef