草野マサムネ
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音楽的影響

小学生のころ、ラジオのヒットチャートカウントダウン番組のベスト10を毎週ノートにつけており、
チープ・トリックなどの洋楽や、浜口庫之助吉田拓郎[5]などのフォークソング歌謡曲を愛好していた[2]。今でも影響を受けたアーティストとしてチープ・トリックを挙げている[1]

バンドに興味を持つようになると、ユーライア・ヒープなどのハードロックヘヴィメタルに夢中になり、パンク・ロックに傾倒をはじめた[2]

組んでいたバンドの名前は「ラディッシュ」→「からす屋」→「チーターズ」→「スピッツ」。チーターズではチータこと水前寺清子の「365歩のマーチ」をパンクロック調で演奏したり、「『いちご白書』をもう一度」をブラック・サバス風に演奏したりするなど奇をてらい、洋楽と歌謡曲の融合傾向が当初より見られた。

学生時代にスピッツの前身といえる「ザ・スピッツ」を結成した当時はパンクかぶれだったが、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」に出会い、自分の求めていた音楽を先にやられたことにショックを受けて自信をなくし、一旦音楽活動を休止した。再開してもしばらくはTHE BLUE HEARTSの影響を抜け出せず、自分の個性を模索し始め、たどり着いたのが、ドノヴァンを参考としたアコースティックギターを持ってのフォーク・ロックだった。また、同じくショックを受けたアーティストととしてたまをTHE BLUE HEARTSと共に挙げている。

「自分の声が好きではない」と度々公言しており、自身のハイトーンなヴォーカルが激しいロックのイメージとは合わずコンプレックスであると明かしている。特にイギー・ポップのようなシャウトに憧れがあると言う。

洋楽だけではなく、EARTHSHAKER[2]アンジー[2]ゼルダ[2]スターリン[2]エレファントカシマシニューエスト・モデルばちかぶりなど日本のロックからも多大な影響を受けている[2]。パンク音楽を脱した影響の一つに、ザ・コレクターズのアルバム『虹色サーカス団』を挙げている[2]

音楽活動

スピッツの楽曲の全ての
作詞と、ほとんどの作曲を担当している。作詞、作曲の際の名義は本名の「草野正宗」を用いる。他アーティストへの楽曲提供もしている。聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。

作詞に関しては他のメンバーから全面的に信頼されており、外部プロデューサーの笹路正徳も一切口出しをしたことがない。

歌手としても多くの作品に参加している。

他アーティストへの提供曲

※カバーは除く。

ファンタジー(
トランジスターグラマー
作詞のみ。アルバム『TRANSISTOR GLAMOUR』収録。

青い星のまん中で(五島良子
作詞のみ。アルバム『froggie』収録。

野生のチューリップ(遊佐未森
もともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲。2ndアルバム『名前をつけてやる』の時にレコーディングされたが収録には至らず、歌詞を一部変更して提供した(その後、『花鳥風月』にオリジナルを収録)。

テディベアに埋もれて(rosy
1994年、スピッツとしてライブで一度だけ演奏され、1年後にrosyに提供となった。プロデュースは、後にスピッツの9thアルバム『ハヤブサ』を手がける石田ショーキチ

流れ星(辺見えみり
これももともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲(後に『花鳥風月』でセルフカバー,シングル『流れ星』になった)。ちなみに辺見えみりはスピッツの大ファンであり、この曲と同名のアルバムでは「夢じゃない」「ハニーハニー」「サンシャイン」もカバーしている。

愛のしるしPUFFY
これも後に『花鳥風月』でセルフカバー。メロディーはもともと『フェイクファー』の候補曲として書いていたもの。奥田民生から依頼を受けたため、同じく依頼を受けたトータス松本と電話で相談してお互いに提供することを決めたという(トータス松本は「ネホリーナ・ハホリーナ」を提供)。

水中メガネChappie


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