茨城県
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茨城県(県庁所在地:茨城郡水戸)[注釈 7]:常陸国多賀郡、久慈郡、那珂郡、茨城郡、真壁郡
新治県(県庁所在地:新治郡土浦):常陸国鹿島郡、行方郡、新治郡、筑波郡、信太郡、河内郡、下総国海上郡、匝瑳郡、香取郡
印旛県(県庁所在地:葛飾郡加村〈現・流山市〉[注釈 8]):下総国結城郡、豊田郡、岡田郡、猿島郡、葛飾郡、相馬郡、印旛郡、埴生郡、千葉郡
1872年(明治4年、5年)
1月29日 - 水戸・弘道館裏に県庁開設。
1873年(明治6年)
2月3日 - 水戸に県下初の共立小学校創設。
4月 - 茨城県議事条例制定。
6月15日 - 印旛県と木更津県が合併し、千葉県が成立(県庁所在地:千葉郡千葉)。
1875年(明治8年)
5月7日 - 新治県が廃止・分割され、同県管下のうち下総国3郡は千葉県、常陸国6郡が茨城県と合併される。同日、千葉県管下のうち結城、岡田、豊田、猿島の4郡および葛飾、相馬2郡の利根川以北が茨城県に移管され、17郡を管下とする現在の茨城県が成立した。
9月15日 - 大区・小区制改正、12大区133小区に区分。
1876年(明治9年)
11月27日 - 真壁郡吉間村他数か村で農民一揆。
12月8日 - 那珂郡小瀬地方で農民一揆。
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により茨城郡を東茨城郡、西茨城郡に分割、茨城県管下の葛飾郡を西葛飾郡、相馬郡を北相馬郡と改称。県下18郡となる。
1888年(明治21年) - 県内人口が100万人を突破。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制・町村制施行、水戸市が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行。信太郡と河内郡が合併して稲敷郡となり、豊田郡および岡田郡が結城郡と、西葛飾郡が猿島郡と合併して県下14郡となる。
1899年(明治32年)4月1日 - 千葉県香取郡の一部(利根川および横利根川以北)を稲敷郡に編入。現・茨城県の県域がほぼ確定する。
1938年(昭和13年)
6月30日 - 台風接近に伴い桜川が決壊し、土浦町一帯が冠水。県下の被害は死者40人、家屋全壊154戸、半壊208戸、流失67戸、床上浸水13589戸以上、床下浸水20192戸以上[34]。
9月1日 - 再び台風接近に伴い被害。死者4人、家屋全壊170戸、半壊144戸、流失3戸、床上浸水844戸以上、床下浸水2339戸以上、橋梁流失12、堤防決壊25ヶ所[35]。
1939年(昭和14年)9月1日 - 日立市市制施行。
1940年(昭和15年)11月3日 - 土浦市市制施行。
1945年(昭和20年)
6月10日および7月19日 - 日立空襲。
8月2日 - 水戸空襲。死者300人以上。
昭和後期(第2次世界大戦後)
1947年(昭和22年) - 初の県知事選挙。人口200万人突破。
1949年(昭和24年)5月1日 - 茨城大学発足[36]。
1950年(昭和25年)8月1日 - 古河市市制施行。
1954年(昭和29年)
石岡市(2月11日)、下館市、結城市(以上3月15日)、龍ケ崎市(3月20日)、那珂湊市(3月31日)、下妻市(6月1日)、水海道市(7月10日)、常陸太田市(7月15日)、勝田市(11月1日)、高萩市(11月23日)市制施行。
横山大観と板谷波山が名誉県民に。
1956年(昭和31年)
2月1日 - 茨城県立図書館が開館[37]。
3月31日 - 北茨城市市制施行。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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