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わかさ しんいち
若狭 新一
生年月日 (1960-03-02) 1960年3月2日(64歳)
出生地 日本・東京都
国籍日本
職業彫刻家
ジャンル日本映画・テレビドラマ
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若狭 新一(わかさ しんいち[1]、(1960年〈昭和35年〉[1]3月2日[出典 1] - )は日本映画の怪獣造形専門の彫刻家、特殊メイク師。モンスターズ代表取締役[4][5]。東京都[出典 2]台東区浅草[3]出身。 少年時代に『仮面ライダー』(1971年)に憧れ、登場する怪人の造形に興味を抱く[4]。自宅近くの松屋デパートで仮面ライダーショーを行っていた大野剣友会の殺陣師高橋一俊に話しかけたところ、隣町に住んでいることがわかり、そのよしみから『仮面ライダーV3』(1973年)の撮影現場を見学させてもらうようになった[4]。中学生時代には、仮面ライダーシリーズの造形を担当するエキスプロダクションの造形現場やウルトラシリーズを手掛ける円谷プロダクションの特撮現場なども見学するようになった[4]。 高校時代には、高橋からの誘いで大野剣友会に研修生として入り[出典 3]、『仮面ライダーストロンガー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』(ともに1975年)などのショーで戦闘員役を務めた[4][7]。同会では、スーツの補修や武器の制作なども行うようになり[4][7]、大野剣友会のオリジナル企画『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』(1978年)ではレッドタイガーのスーツ制作にも携わった[4]。高校卒業後の進路を選ぶにあたり、身長が低くアクションでは主役になれないことや、『スター・ウォーズ』(1977年)や『未知との遭遇』(1977年)などの影響により特撮への興味が再燃したことなどから、造形の道へと進む[4]。 1978年、前年から高校卒業後にアルバイトとして通っていたコスモプロダクション
経歴
1980年には20歳の誕生日に同僚の話に乗ってコスモプロを辞めて独立し、モンスターズを設立する[出典 6]。『Xボンバー』や『仮面ライダースーパー1』(ともに1980年)の制作で多忙であったコスモプロに替わり、『ウルトラマン80』の怪獣造形を担当する[出典 7]。編集者の安井尚志とつながりを持ち、雑誌企画の『アンドロメロス』(1983年)やイベントやCMのキャラクター造形などを手掛けた[2][4]。
1985年より特殊メイクを中心に活躍し、オリジナルビデオ作品『餓鬼魂』を皮切りに日本映画界の特殊メイク界の草分け的存在となった[出典 8]。
1993年に原口智生の結婚式で、原口と同様に『ウルトラマン80』の職場仲間であった鈴木健二と再会し、彼の誘いで『ゴジラvsメカゴジラ』で怪獣造形に復帰する[出典 9]。その後、東宝特撮映画を中心に造形を手掛ける[出典 10]。
次第に制作会社ごとにバラバラにキャラクターを作る体制に不満を持ち[13]、1998年の『モスラ3 キングギドラ来襲』は一度は断ろうとしたが、造形面のすべてをプロデュースすることを条件に引き受けた結果、映画業界で初となる「造型プロデューサー」に就任した[4][5]。若狭の起用は特殊技術に昇格した鈴木健二からの要望であった[14]。
1999年の『ゴジラ2000 ミレニアム』以降、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)を除くミレニアムシリーズでゴジラの造型を手掛けた[出典 11]。
ゴジラシリーズの終了後も、『ヤッターマン』(2009年)や『GANTZ』(2011年)などで特殊メイクを担当している[3]。