しかしゲーテは故郷に戻った後もシャルロッテのことが忘れられず、彼女の結婚の日が近づくと懊悩し、一時は自殺すら考えるようになる。そんな中、ヴェッツラーの友人の一人イェルーザレムが1772年10月末に、人妻への失恋がもとでピストル自殺したという報が届く。このときゲーテはこの友人の死と自身の失恋体験を組み合わせた小説の構想を思いつき、1774年2月から1か月あまりでこの小説を書き上げた。この小説を書く作業によりゲーテは彼自身の失恋自殺の危機から脱出できた[1]。
なおシャルロッテ・ブッフは1816年、60歳になったゲーテを訪問し再会を果たしている。トーマス・マンはこの出来事を題材に長編小説『ヴァイマルのロッテ』(1939年)を執筆した。 作品は1774年9月に刊行された。ゲーテはすでに前年に自費出版した戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』によってドイツにおいて文名を得ていたが、『ウェルテル』はそれに輪をかけて評判となりすぐに英語、フランス語、イタリア語に翻訳されヨーロッパ中でセンセーションを引き起こした。青年たちの間では作中でウェルテルが着ている、青い燕尾服に黄色いチョッキとズボンというファッションが流行し、作中人物のモデルが詮索され、ウェルテルのモデルであるイェールザレムの墓は愛読者の巡礼地となった。さらにウェルテルを真似て自殺するものが多数現れ、ここから著名人の自殺によって引き起こされる自殺の連鎖を指すウェルテル効果という言葉も生まれている。 ゲーテの同時代人ナポレオンは『ウェルテル』の愛読者であり、この作品をエジプト遠征の際にポケットに忍ばせて行き、7度読んだことを自ら述懐している。 最初の本格的な訳は1891年(明治24年)に、高山樗牛により『山形日報』に連載紹介された。高山訳は、原作の約5分の4を訳出している。初の完訳版は1904年(明治37年)に、漢詩人でもある久保天随(得二)訳『ゑるてる』である。重訳をふくめ谷崎精二、秦豊吉、茅野蕭々、高橋健二、澤西健、前田敬作、井上正蔵、高橋義孝、手塚富雄、柴田翔、竹山道雄、神品芳夫など多数の訳者により訳・出版された。下記が、現在入手しやすい書目。
影響
日本語訳について
若きウェルテルの悩み(高橋義孝訳、新潮文庫、初版1952年、改版2010年ほか)
若きウェルテルの悩み(竹山道雄訳、岩波文庫、改版1978年)
若きウェルテルの悩み(神品芳夫訳、潮出版社『ゲーテ全集 第6巻』所収、1979年、普及版2003年)
若きウェルテルの悩み(内垣啓一訳、中央公論社『世界の文学5』所収、1964年、のち新版)
若きヴェルターの悩み(大宮勘一郎編訳、「ポケットマスターピース02 ゲーテ」集英社文庫ヘリテージ、2015年)。他に各(抄版・第二部)で「ファウスト」「親和力」を収録。
若きヴェルターの悩み(大宮勘一郎訳、作品社、2023年)
若きウェルテルの悩み(酒寄進一訳、光文社古典新訳文庫、2024年)
関連項目
ウェルテル (オペラ)
ウェルテル効果
ロッテ - 社名はヒロインのシャルロッテに由来し、社票を「お口の恋人」としているのもシャルロッテが「永遠の恋人」と呼ばれていることに由来している[2]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 新潮社は、本作のような「泰西の高名なる恋愛文学の傑作を網羅」するとうたう全集「ヱルテル叢書」を刊行していた(第1回配本が本作である)。参考:古本夜話1201 新潮社「ヱルテル叢書」と秦豊吉訳『若きヱルテルの悲み』
^ シューベルトの作曲で有名な詩「野ばら」も、同じ経験が元になっているといわれる。
出典^ a b c 高橋義孝「解説」(新潮 1995, pp. 194?207)