芹沢光治良
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召集と配属がこの件への報復か否かは立証が困難だが、芹沢は「氏の戦死を今も私の責任のように強く感じている」と書いている[11]。戦後『巴里に死す』は森有正によってフランス語訳され、1953年にフランスのロベール・ラフォン社から出版され[12]、1年で10万部のベストセラーとなる。

1962年 より自伝的長編『人間の運命』を刊行し始める[注釈 1]。これは当初から大変な反響を呼び、1965年[注釈 2]『人間の運命』最初の6巻により芸術選奨文部大臣賞を受賞する。同年10月、 川端康成のあとを受け、第5代日本ペンクラブ会長に就任した。1969年、『人間の運命』全14巻により日本芸術院賞を受賞[13]、1970年日本芸術院会員となる。1974年金芝河減刑嘆願事件に端を発したペンクラブ批判で会長を辞任。1986年より「神シリーズ」全8巻を死去の年まで書き続ける。1993年3月23日、普段通りの原稿執筆の後[3]、午後7時老衰のため東京都中野区の自宅で死去[14][15]。遺骨は静岡県の沼津市営墓地に埋葬された。

代表作に『巴里に死す』、『一つの世界』、『人間の運命』、『神の微笑』などがある。「神シリーズ」では大江健三郎との手紙のやり取りで、大江側が「先生」と呼ぶ等、二人の親睦が深いものと思われる描写がある。なお、フランス留学中に[1]百武源吾海軍大将と義兄弟の約束を結んでいる[16]
家族親族

妻 金江(
岐阜県、弁護士・実業家・政治家藍川清成の二女)

長女 万里子(1927-1972)[1]

二女 野沢朝子(ともこ)(1930- )

回想記『父、芹沢光治良、その愛』がある(明窓出版、2020)


三女 芹沢文子(1933[注釈 3]-2015[17])声楽家、東京音楽大学教授[18]

四女 岡玲子(1938[1]-2021[19] ) ピアニスト

実弟 小山武夫

主な作品沼津市芹沢光治良記念館沼津市芹沢光治良記念館沼津市芹沢光治良記念館沼津市芹沢光治良記念館

『ブルジョア』改造社 1930

『愛と死の書』小山書店 1939 のち角川文庫 新潮文庫

『巴里に死す』中央公論社 1943 のち角川文庫、新潮文庫、勉誠出版 新版2019。
フジテレビで高野悦子脚本・演出によりテレビドラマ化され、1964年4月より放映された。

『孤絶』創元社 1943 のち角川文庫

『命ある日』新潮社 1940 のち角川文庫

『夜毎の夢に』 1947 ※映画『異国の丘』原作

『緑の校庭 少女小説』ポプラ社 1948、復刻版2017。挿画蕗谷虹児

『離愁』全国書房 1948

『故国』全国書房 1949

『春の谷間』小説朝日社 1952 のち角川文庫
NHK銀河テレビ小説で1977年2月14日‐3月4日放映(脚本・田中澄江、主演・酒井和歌子)。

『一つの世界』角川小説新書 1955

『サムライの末裔』角川小説新書 1955 のち小学館

『巴里夫人』光文社カッパ・ブックス 1955 のち角川文庫

『結婚』河出新書 1955 のち角川文庫 新潮文庫
TBSでテレビドラマ化され1962年7月27日・8月3日放映。

『芹沢光治良自選作品集』全6巻 宝文館 1957

『女にうまれて』文藝春秋新社 1958 のち角川文庫
1965年2月15日‐5月15日、日本テレビで放映(主演・磯村みどり)[1]

『教祖様』[注釈 4]角川書店 1959

『坂の上の家』中央公論社 1959、のち角川文庫、中公文庫
NHKラジオ「朝の小説」のための書き下ろし作品で、放送は1959年4月6日‐8月1日の全102回(語り・小沢栄太郎)[1]。放送終了後に作品刊行。1973年12月3日‐28日、NHK銀河テレビ小説で放映(脚本・高橋玄洋、主演・加東大介)。

『運命の河』角川書店 1959

『愛と知と悲しみと』 新潮社 1961 のち新潮文庫。『人間の運命』の関連作品と位置付けられる。

『人間の運命』 新潮社(全14巻)1962-68 のち新潮文庫(全7冊) 1976、新潮社(愛蔵版全7冊) 1991。
「父と子」から「再会」まで、初刊は1冊1巻で、以後の新潮社(「作品集」「文庫」「愛蔵版」)再刊は1冊に2巻ずつ収録。

『われに背くとも』新潮社 1970 『人間の運命』の関連作品と位置付けられる。

『遠ざかった明日』新潮社 1972 『人間の運命』の最終章と位置付けられる作品。1951年の占領下の日本からヨーロッパへの旅。

『告別』中央公論社 1973 のち中公文庫

『芹沢光治良作品集』全16巻 新潮社 1974-75 
巻7(1974)収録の書き下ろし『海に鳴る碑』は、『人間の運命』序章と位置付けられる作品で、次郎の幼年時代がより克明に描かれる。巻10‐巻16には『人間の運命』本体全14巻(「父と子」から「再会」まで)を収録。『遠ざかった明日』(巻6)、『愛と知と悲しみと』(巻7)を再録。

『死の扉の前で』[注釈 5] 新潮社 1978

『神の微笑』新潮社 1986、新潮文庫 2004

『神の慈愛』新潮社 1987

『神の計画』新潮社 1988

『人間の幸福』新潮社 1989

『人間の意志』新潮社 1990

『人間の生命』新潮社 1991

『大自然の夢』新潮社 1992

『天の調べ』新潮社 1993

『芹沢光治良文学館』全12巻 新潮社 1995-97

1巻. 命ある日

2巻. 夜毎の夢

3巻. 愛と知と悲しみと
『海に鳴る碑』『遠ざかった明日』『愛と知と悲しみと』、および『人間の運命』第1・6・14巻初版のみにあった「あとがき」、創作当時のエッセイを収録。

4巻. ここに望みあり

5巻. 教祖様

6巻. 一つの世界

7巻. 幸福の鏡 『巴里に死す』『幸福の鏡』を収録。

8巻. 春箋・秋箋

9巻. 短編集 明日を逐うて

10巻. 短編集 死者との対話

11巻. エッセイ 文学と人生

12巻. エッセイ 心の広場


『人間の運命 完全版』全18巻 勉誠出版 2013
序章「海に鳴る碑」→第1巻「次郎の生いたち」、第1巻「父と子」→第2巻「親と子」と改題、「遠ざかった明日」を第16巻とする。芹沢自身が晩年の20年間に手を加え続けた多くの修正箇所を忠実に再現。別巻1は『愛と知と悲しみと』と関連資料、別巻2は『岡野喜太郎伝』、関連資料、関連エッセイ等を収録。

『芹沢光治良 戦中戦後日記』勉誠出版 2015。勝呂奏解説

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 新潮社より1冊ずつ書き下ろし刊行。第1巻「父と子」の初版は1962年7月。
^ 1964年の実績が対象だが、発表・授賞式は1965年。
^ 日外アソシエーツ『人物レファレンス事典 音楽篇』(2013年3月)によると生年月日は1935年7月23日だが、中野区立中央図書館編『第14回 中野区ゆかりの著作者紹介展示 芹沢光治良』[1](PDF)の年譜では1933年7月生まれ。訃報の「享年81歳」と計算が合うのは後者。
^ 中山みきがモデル。
^ 中山正善(2代目真柱)がモデル。

出典^ a b c d e f g h i “第14回 中野区ゆかりの著作者紹介展示 芹沢光治良(2017年11月25日‐2018年1月25日)”. 東京都中野区立中央図書館. 2021年7月15日閲覧。


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