芸術競技
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芸術競技(げいじゅつきょうぎ)とは、かつて近代オリンピックで採用されていたオリンピック競技の一つ。種目は絵画造形文学建築音楽があり、スポーツを題材にした芸術作品を制作し採点により順位を競うものであった。
概説
採用の理由

古代オリンピックは神を讃えるという信仰的要素が強いものであり、その点で、スポーツは強く美しい肉体で神を表現することから生まれたものであり、芸術表現も同じく神を表現する一手段であった。また、近代オリンピックにおいてもその理念として「肉体と精神の向上の場」が掲げられており、クーベルタン男爵の希望もあり芸術競技が採用された。
実施された大会

1912年ストックホルムオリンピックから1948年ロンドンオリンピックまで合計7回の大会で正式競技として実施された。1928年アムステルダムオリンピックでの優勝者は、ポーランドの詩人カジミェシュ・ウィルチンスキー(英語版)であった。
正式競技から外れた理由

芸術競技については、当時の輸送技術では建築や音楽・文学を除く美術作品の移動に関してスケジュールの調整や品質の管理が難しいことに加え、客観的な基準をもって採点を行うことが困難であり、しばしば恣意的な判定があったのではないかとの批判が生じたこと、参加する選手の多くがプロの芸術家だったことや展示された作品を転売することがアマチュアの精神に反する事などが理由として、1952年ヘルシンキオリンピックで、芸術競技の開催を主催者側に拒否され、芸術競技の開催は終了した[1]

これらのうち採点に関する問題については、現在のオリンピックにおけるフィギュアスケートアーティスティックスイミング等の芸術的要素が重視される競技においても議論の的になっている。芸術競技はそうした背景から、近代オリンピックが「世界的な祭典」からより純粋にトップアスリートの競技の場として変貌していくなかでそぎ落とされたものともいえる。
日本人選手

日本人選手は1932年のロサンゼルスオリンピック、1936年のベルリンオリンピックの2回参加している。一般のスポーツの国内競技団体に該当する団体として「大日本体育芸術協会」(現在の日本スポーツ芸術協会)があり作品募集・国内予選を行っていた。

1932年ロサンゼルスオリンピック - 出展41名、46作品:絵画(日本画、洋画、版画)33点、造形10点、建築3点[2][3]

建築種目・海外の部

小林政一 「水泳場(神宮プール)」「野球場(神宮球場)」 選外

石原憲治 「国際文化都市」 選外


絵画種目・西洋画部門

小杉放庵 「ラグビーの一構図」[2][4]選外


絵画種目・版画部門 

長永治良 「蟲(むし)相撲」 佳作

深沢索一 「明治神宮野球場早慶戦ノ日 [昭和6年] 」 選外

棟方志功 「ウォーミングアップ」「競馬」 選外

川上澄生 「野球大会之図」 選外

前川千帆 「ラグビー」 選外[5]

恩地孝四郎 「瞬間」 選外[6]

金山平三「氷滑り」 選外

山口進「東宮賜杯を持てる織田幹雄氏像」 選外

川西英「甲子園野球大会入場式之図」「神戸東遊園地蹴球」 選外


絵画種目その他出展者:榎本千花俊池部鈞神津港人南薫造

造形種目

日名子実三 「ラグビー」 選外 - 大分県立美術館所蔵[7]

長谷川義起「円盤投げ」選外[8]

北村西望「The Repose」(ボクシング) 選外

造形種目その他出展者:藤井浩佑武井直也



1936年ベルリンオリンピック - 出展68名、84作品:絵画(日本画、洋画、版画)63点、造形11点(工芸2点含む)、建築5点、音楽5点[2][9]

建築種目

内田祥三「プール」「球場」 選外

岸田日出刀「日本のゴルフ」(クラブハウス)[10]選外

ほか


絵画種目(絵画部門)

加藤栄三「水泳」 選外

山田申吾「釣り」 選外

藤田隆治「氷上ホッケー(アイスホッケー)」※油彩部門 銅メダル - 作品はナチスに買い上げられた後に行方不明になったが、後に復刻された[2]


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