花押
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出典検索?: "花押" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年10月)
日本の歴代内閣総理大臣の花押(初代から44代まで)

花押(かおう)は、自署の代わりに用いられる記号もしくは符合であって、その起源は直筆の草書体にある。草書体の自署を草名(そうみょう)とよび、草名の筆順、形状がとうてい普通の文字とは見なしえない特殊性を帯びたものを花押という[1]。このような筆順、形状の特殊化は、自署する主体が独自の自署をもとうとする意識的記載行為の結果である[1]

元々は、文書へ自らの名を普通に自署していたものが、署名者本人と他者とを明確に区別するため、次第に自署が図案化・文様化していき、特殊な形状を持つ花押が生まれた。花押は、主に東アジア漢字文化圏に見られる。発祥は中国の先秦紀元前3世紀以前)や5世紀ごろ)、代(7世紀から9世紀ごろ)など諸説ある[2]。日本では平安時代中期(10世紀ごろ)から使用され始め[2]、判(はん)、書判(かきはん)、判形(はんぎょう)などとも呼ばれ[3]江戸時代まで盛んに用いられた。世界各地においても、花押の類例(イスラム圏でのトゥグラなど)が見られる。
中国の花押徽宗の花押日清修好条規。日本と清の国璽が押され、日本側大使大蔵卿伊達宗城、清側大使の直隷総督李鴻章の花押が書かれている。

中国の花押の起源は、文献(高似孫『緯略』)によると南北朝時代にまで遡ることができる(の時代とする説もある)。代には韋陟の走り書きの署名があまりに流麗であったので「五朶雲(ごだうん)」と称揚された(『唐書』韋陟伝)。この署名は明らかに花押のことである。中国では現存する古文書が少ないこともあり、花押の実態は必ずしも明らかではない。代の文書に記されている花押は、直線や丸を組み合わせた比較的簡単なものであり、日本の禅僧様もこの形式である[4]。また、明の太祖が用いたとされる明朝体は、日本に伝わり、江戸時代の花押の主流をなした[5]

なお、五代の頃より花押を印章にした花押印が使われ始め、宋代には花押印そのものを押字あるいは押と呼称した。元朝では支配民族であるモンゴル人官吏の間でもてはやされたが、これを特に元押という。モンゴル人官吏は漢字に馴染めなかったようである[6]。花押印はまで続いたが次第に使われなくなった。
日本の花押

江戸中期の故実家伊勢貞丈は、『押字考』のなかで花押を5種類に分類しており、後世の研究家も概ねこの5分類を踏襲している。5分類は、草名体、二合体、一字体、別用体、明朝体である[7]

坂上経行(草名体)

源頼親(二合体)

平忠盛(一字体)

三好宗渭(別用体)

徳川家康(明朝体)

日本では、初めは名を楷書体で自署したが、次第に草書体にくずした署名:草名(そうみょう)となり、それが文字を離れ、極端に特殊化したものを花押と呼んだ[1]。日本の花押の最古例は、10世紀中葉ごろに求められるが、この時期は草名体のものが多い[8]933年承和3年)における右大史坂上経行の署名は草名から花押への過渡期のもので、日本における花押の初見ともされる[8][9]


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