戦国時代になると、花押の様式が著しく多様化した。名前の漢字を裏返したり倒したりして偽造を防止したものが現れたほか[22]、必ずしも実名ではなく、通称や苗字、または無関係な字をもとに作成されるようになり、最初期では足利義持や義政の「慈」字花押、のちには織田信長の「麟」字花押[23]や羽柴秀吉(豊臣秀吉)の「悉」字花押[注釈 1]などの例が見られる。三好宗渭(水鳥)や伊達政宗(セキレイ)などのように、鳥を図案化した別用体も現れた[9][24]。家督を継いだ子が、父の花押を引き継ぐ例も多くあり、花押が自署という役割だけでなく、特定の地位を象徴する役割も担い始めていたと考えられている[25]。花押を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)は、鎌倉期から見られるが、戦国期になって広く使用されるようになり、江戸期にはさらに普及した[26]。この花押型の普及は、花押が印章と同じように用いられ始めたことを示している[26]。また、上下に並行した横線を2本書き、中間に図案を入れたものを明朝体という。明朝体は、明の太祖がこの形式の花押を用いたことに由来するといわれ、徳川家康が採用したことから徳川将軍に代々継承され、江戸時代の花押の基本形となり、徳川判とも呼ばれた[27]。しかし江戸時代には花押の使用例は少なくなり、印鑑の使用例が増加していった[28]。特に百姓層では、江戸中期ごろから花押が見られなくなり、もっぱら印鑑が用いられるようになった[28]。
1873年(明治6年)には、実印のない証書は裁判上の証拠にならない旨の太政官布告が発せられた[29]。花押が禁止されたわけではないものの、ほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとなった。その後、押印を要求する文書については必要に応じて法定され、対象外の文書であっても押印の有無自体は文書の真正の証明に関する問題として扱われることに伴い、上記太政官布告は失効した。しかし、花押に署名としての効力はあり、押印を要する文書についても花押を押印の一種として認めるべき旨の見解(自筆証書遺言に要求される押印など)が現れるようになった。一方、2016年6月3日の最高裁判決では、遺言書について「花押を書くことは、印章による押印と同視することはできず、民法968条1項の押印の要件を満たさない」との判断がなされた[30][31][32][33]。
日本国政府の閣議における閣僚署名は、明治以降も花押で行うことが慣習となっている[34]。多くの閣僚は閣議における署名以外では花押を使うことは少ないため、閣僚就任とともに花押を用意しているケースが多い。
21世紀の日本では、パスポートやクレジットカードの署名、企業での稟議、官公庁での決裁などに花押が用いられることがあるが、印章捺印の方が早くて簡便である為非常に稀である。旧日本国有鉄道においては、駅内文章に駅長の花押が用いられており、JR移行後の現在でも、一部の駅長(特に国鉄出身者)は花押を以って確認の証としている。 イスラム圏では、装飾的なアラビア書道(カリグラフィ)が発達した。特にオスマン帝国のスルタンのみに許された非常に壮麗な署名はトゥグラと呼ばれ、イスラム文化を代表する芸術作品の一つとされている。
世界の花押
脚注
注釈^ 一説には、「秀吉」を音読みにして「しゅうきつ」とし、その最初と最後の一文字を合わせて「しつ」に由来するといわれている。
出典^ a b c 佐藤 1988, p. 10.
^ a b 佐藤 1988, p. 11.
^ 佐藤 1988, p. 16.
^ a b 佐藤 1988, pp. 35?37.
^ 佐藤 1988, pp. 62?63.
^ 陶宗儀『南村輟耕録』巻2「今、蒙古・色目人之為官者、多不能執筆花押、例以象牙或木刻而印之。」
^ 佐藤 1988, p. 12.
^ a b 佐藤 1988, pp. 11?12.
^ a b 日立デジタル平凡社『世界大百科事典 第2版』1998年、「花押」。
^ 佐藤 1988, pp. 12?13.
^ 佐藤 1988, pp. 12?14.
^ 佐藤 1988, pp. 13?14.
^ 佐藤 1988, pp. 14?15.
^ 佐藤 1988, pp. 17?18.
^ 佐藤 1988, p. 22.
^ 佐藤 1988, pp. 22?23.
^ 佐藤 1988, pp. 23?24.
^ 佐藤 1988, p. 38.
^ 佐藤 1988, pp. 28?31.
^ a b 佐藤 1988, pp. 31?33.
^ 佐藤 1988, p. 36.
^ 佐藤 1988, pp. 39?40.
^ 佐藤 1988, pp. 42?43.
^ 佐藤 1988, p. 42.
^ 佐藤 1988, pp. 48?51.
^ a b 佐藤 1988, pp. 53?58.
^ 佐藤 1988, p. 62.
^ a b 佐藤 1988, pp. 65?67.