芦田豊雄
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アニメ雑誌に関しては、1986年には『アニメージュ』の編集者に対して「なぜロリコンアニメを誌面で取り上げないのか」「『アニメージュ』自体が『ナウシカ』や『天使のたまご』を作って権威を持ってきちゃったから評論誌としては成り立たないんだよ」と述べた内容が掲載されたことがある[7]

しかし、2000年代後半になると、アニメ界のベテランとして、アニメ業界人が自らの仕事に誇りを持てないことを憂い、キャリアを重ねても何ら保証のない状況を危惧する発言をした[5]。そして、2007年に自らが発起人となり、アニメ業界への問題提議と地位向上を目的とした日本アニメーター・演出協会(JAniCA)を設立[8]。翌年に協会は、「文芸美術国民健康保険組合」に加入し、アニメーターが保険に入れるよう尽力した。しかし、文化庁事業受託に関する件での対立から、企画推進側であるJAniCA監事桶田大介弁護士によって行為差し止めの仮処分申し立てにより辞任に追い込まれた[9][10][11][12]

2011年7月23日死去。67歳没[13][1][2]。芦田はその少し前にスタジオ・ライブの社長から会長になっており、同社社長の職は神志那弘志が引き継いだ。
主要作品リスト
キャラクターデザイン
1976年


UFO戦士ダイアポロンエイケン

1979年


サイボーグ009日本サンライズ、作画監督)

1980年


メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行オフィスアカデミー

1982年


魔法のプリンセス ミンキーモモ葦プロダクション)※原案:みさきのあ、修正:服部あゆみ、仕上げ:芦田豊雄

1983年


銀河漂流バイファム(日本サンライズ、作画監督)

どくとるマンボウ&怪盗ジバコ 宇宙より愛をこめて(フジテレビ・東映、作画監督)

1984年


超力ロボ ガラット(日本サンライズ)

1985年


超獣機神ダンクーガ(葦プロダクション) - ゲストキャラクターデザイン

1986年


デルパワーX 爆発みらくる元気!!(日本コロムビア)

1987年


機甲戦記ドラグナー(サンライズ) - マンドリルクラブとの連名で27話以降のゲストキャラクターをデザイン

禁断の黙示録 クリスタル・トライアングル(アニメイトフィルム)

1988年


魔神英雄伝ワタル(作画監督・ストーリーボード)

1989年


魔動王グランゾート(サンライズ)

たいむとらぶるトンデケマン!(葦プロダクション、作画監督)  

アイドル伝説えり子(葦プロダクション) - サブキャラクターのみ

1990年


魔神英雄伝ワタル2(作画監督)

Pink みずドロボウあめドロボウ(東映動画、監督作品・作画監督)

1991年


超幕末少年世紀タカマルJ.C.STAFF、監督作品・原作・脚本・作画監督)

魔法のプリンセス ミンキーモモ(葦プロダクション) - 主役のミンキーモモは渡辺ひろしとみながまりが担当

1992年


新・超幕末少年世紀タカマル(J.C.STAFF、監督作品・原作・脚本・総作画監督)

伝説の勇者ダ・ガーン(サンライズ) - スタジオライブ名義でオーボス側キャラデザイン。クレジットは「デザイン協力」

1994年


ようちえん戦隊げんきっず(監督作品・原作)

1995年


空想科学世界ガリバーボーイ(東映動画、監督作品・原作)

1997年


超魔神英雄伝ワタル


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