東京都目黒区に生まれる[2]。幼少期を調布市仙川で過ごし、当時開設されたばかりの桐朋学園の幼稚園に1期生として通う[3]。幼い頃から譜面と地図が大好きで[4][注釈 1]、中野区に引っ越した後中野区立谷戸小学校[注釈 2]では音楽部鼓笛隊に所属し大太鼓を担当[5]。
中学時代に吹奏楽部で出会ったサックスに夢中になった後[3]、早稲田大学高等学院から早稲田大学政治経済学部経済学科へ進む[2]。大学時代はビッグバンドの「ハイソサエティ・オーケストラ」に所属しサックス奏者(コンサートマスター[2])として活動する[4]。また、音楽の素質を認めていた大学の先輩の紹介で3年の時からアルバイトでヤマハ音楽振興会でヤマハポピュラーソングコンテストの仕事をして編曲の基礎を学ぶ[2]。その後、大学は中退するが[2]、1974年からフリーの作・編曲家として活動を開始[2][4]。編曲家としてのデビュー作は中島みゆき「アザミ嬢のララバイ」[6]。
1977年、沢田研二「勝手にしやがれ」が、第19回日本レコード大賞を受賞[2][4]。渡辺真知子、野口五郎などを手掛けた後、作曲家・筒美京平と出会い彼の作品の編曲に携わり始める[3]。
1981年から2年間はロサンゼルスに活動拠点を移し[4]、そこで出会ったフェアライトを帰国後に導入[2][4]。コンピューターを使った新しいスタイルで、柏原芳恵[7]、C-C-B、中山美穂、小泉今日子、松本伊代、Winkや森川由加里等、1980年代に活躍したアイドルやミュージシャンの楽曲を数多く手がける[2][4]。特に筒美京平作品の編曲数は最も多く、数々の賞を受賞している。
1990年代以降は、アニメソングやCMソング、ジャニーズタレント[8]、ミュージカルなどの舞台音楽制作を手がけている。
2014年には増崎孝司とユニットを組み、『Moto&Masu』名義でCDもリリースしている。
2019年時点で編曲した曲は2700曲を超え、歴代編曲家シングル総売上は小室哲哉に次ぐ2位[8]。
2020年、47年間のキャリアで手掛けた歌謡曲、アイドルソング、ニューミュージックなどの楽曲が収録された作品集のCD BOX「船山基紀 サウンド・ストーリー 時代のイントロダクション」を発売[3]。
2021年4月17日・18日、『?筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト? ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』が東京国際フォーラムにて開催された。全編、筒美が手掛けたヒットナンバーで構成され、29組の歌手・アーティストが出演して歌い上げた。この日のために日本を代表する実力派ミュージシャンによって結成されたバンド「船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズ」が演奏を担い、指揮と音楽監督を船山が務めた[9][10]。 小学校時代はラジオを聞くのが大好きで、毎日FEN[注釈 3] を聴いていた。当時はイタリアのポピュラー音楽の祭典「サンレモ音楽祭」の楽曲やザ・ビートルズの曲などを好んで聞いていた[3]。
エピソード
学生時代