舞鶴港
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東港は、もともとは漁港として栄えていたが、1889年に帝国議会により軍港に指定されると政府によって大規模な開発が進められた。1901年鎮守府が開設されると、日本海軍が港湾のみならず、本来単なる入り江に過ぎなかった東舞鶴地区の土地造成も行い、現在の形となった。

1904年日露戦争時は東港より海軍艦隊が出撃し、日本海海戦ロシア帝国バルチック艦隊と交戦している。その後、軍需施設が建設、集積化されると軍港色を強め、商業、貿易港の西港と住み分けるようになった。アジア・太平洋戦争での敗戦によって帝国海軍は解体されたが、現代では海上保安庁海上自衛隊が基地を構えており、日本列島の日本海側の防衛や海上警備において重要な拠点となっている。近年では北朝鮮の工作船事件などで国防上の重要度が高まり、舞鶴飛行場が建設された他、工作船の活動に備えるためミサイル艇2隻、また日本海の戦略的重要性からイージス艦2隻も順次配備された。また直近では、隣接する大波燃料庫施設が拡充されるなどしている。舞鶴地方隊島根県山口県県境から秋田県青森県県境までという広大な守備範囲を持ち、舞鶴港は本州日本海側の海の守りをほぼ一手に引き受ける海上自衛隊の主要基地として機能の増強が図られている。

東港では旧帝国海軍舞鶴工廠の伝統を受け継ぐ造船所があり、自衛隊桟橋の先に造船ドックを見ることができる。

なお、軍港として栄えた東港であったが、1987年(昭和62年)にフェリー専用埠頭である前島埠頭(舞鶴フェリーターミナル)が造成されると、近畿圏と北海道を直結させる新日本海フェリーが西港より移ってきた。現在の舞鶴港東港は海上警備・国防上の役割のみならず、国内海運の日本海側航路の拠点としても重要になっている。

造船所並びに海上自衛隊基地周辺は制限海域となっており、原則関係船舶以外は立ち入りできない。
舞鶴フェリーターミナル舞鶴フェリーターミナル

関西地方のみならず、西日本北海道を結ぶ大動脈として機能する新日本海フェリーの発着する旅客ターミナルで、東舞鶴駅より2.3km先にある前島埠頭に設置されている。通常、公共交通機関でのアクセスはないが、夏季や大型連休等繁雑期のみフェリー発着時間に合わせて東舞鶴駅より路線バスの運行が行われることがある。また新大阪駅からの連絡バスが繁雑期以外にも運行されていることが多いため比較的使いやすい。タクシー東舞鶴駅まで約5分ほどかかる。車の場合舞鶴東インターチェンジより約15分程度。

なお以前は西港の舞鶴港湾合同庁舎付近がフェリー専用埠頭であり、東港の前島埠頭付近に海上保安庁が常駐していたが、船舶の大型化や旅客・貨物の増加に伴い、西港より東港に移っている。

新日本海フェリー

舞鶴港 - 小樽港(毎日運航)

舞鶴港 - 苫小牧港(不定期)

フェリーターミナル内には飲食店の他、売店などが入店している。24時間営業コンビニ等はターミナル内及びふ頭内にはないため、JR東舞鶴駅付近及び潮路海岸沿い、舞鶴市役所付近にあるコンビニを利用する必要がある。
観光名所・遺跡国の重要文化財にも指定される舞鶴赤レンガ倉庫群

東港は前述の通り、明治時代より軍港として発展してきた関係から、多くの旧日本海軍関連の遺跡を有している。特に近年では舞鶴赤レンガ倉庫群などでは映画の撮影なども行われるなどしている。他にも世界中の煉瓦を集めた赤れんが博物館や、舞鶴市の歴史や風俗を展示した舞鶴市政記念館まいづる知恵蔵なども整備されており、観光名所ともなっている。また2008年(平成20年)には国の重要文化財に指定された。春には引揚記念公園、共楽公園、円山公園、夕潮台公園などの桜が市民にも親しまれている。
舞鶴西港舞鶴港第2埠頭のガントリークレーン。コンテナ専用埠頭として定期航路が発着する。

西港は舞鶴城の城下町として発展してきたため、江戸時代より商業港として発展してきた。また明治期以降は対岸貿易の拠点港に指定され、朝鮮・満州などに複数の定期航路を有するまでになり、最盛期には取扱貨物量が63万トンに達するなど日本海側随一の貿易港にまでなる。しかし太平洋戦争が激化すると海軍の要請により商業港としての機能を停止し、軍港として整備された。


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