舞いあがれ!
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大阪公立大学中百舌鳥キャンパス[19]

大阪府豊中市大阪国際空港南端千里川土手付近

長崎県五島列島[6]

奈良県生駒市[20]
生駒山上遊園地
北海道帯広市[21]
航空大学校・帯広分校がある「とかち帯広空港」で、ヒロイン・岩倉舞が入学する航空学校の訓練シーンが撮影された。
北海道幕別町[22]
十勝ヒルズ - 最終審査に合格した次の日に舞とその恋人・柏木弘明がデートした場所。
和歌山県白浜町[6]
南紀白浜空港
滋賀県彦根市

ロケ地ギャラリー

長崎県・五島列島[6]

生駒市 生駒山上遊園地[20]

豊中市 千里川土手付近

あらすじ
1994年(幼少期)

東大阪市で螺子工場を営む岩倉家の長女・岩倉舞は体が弱く、原因不明で頻繁に発熱し、小学校も欠席しがちとなっていた。母のめぐみは、舞の看病をしながら中学受験を控え神経質になっている兄の悠人を気にかける一方で、人手不足となった工場の仕事と家事に奔走していた。ある日、困憊し涙するめぐみを見た父の浩太は、彼女と舞に療養も兼ねて五島列島にあるめぐみの実家に帰省することを勧める。舞の祖母の才津祥子は2人を快く受け入れるが、舞を過剰に気にかけるめぐみと、めぐみの顔色を伺い本心を言えない舞の母娘関係に気づき、めぐみだけ東大阪に戻るよう要請する。大阪に戻るめぐみを見送った舞は、同行した祥子に、めぐみに対する本音を初めて口にする。舞は五島の小学校で、浦一太を始めとする地元の子供達とも交流を深める。

「自分のことは自分でやる」との祥子の指示に当初は戸惑った舞であったが、祥子に背中を押され島の人々に温かく見守られながら様々なことを体験するうちに自主性が身に付き、失敗すらも前向きにとらえる言葉を語ってくれる祥子のおかげで失敗することへの恐怖も克服する。また、五島の伝統であるばらもん凧を自分で空に飛ばすことができ、それがきっかけで舞は空に憧れを抱くようになる。その後、体質が改善したことを確認した祥子の太鼓判を押され、舞は東大阪に戻る。元気になった舞は、自宅の隣のお好み焼き屋の息子・梅津貴司や学校で共にうさぎの飼育係になった望月久留美と仲良くなり、詩や短歌を愛する八木巌が営む古本屋「デラシネ」を秘密基地として交流を深めた。

その頃、浩太の会社は経営が思わしくなく、浩太は客先の「カワチ鋲螺」に何度も仕事を求めに行くも断られ続けていた。そんな時、そのカワチ鋲螺でふと目にした特殊ねじの仕事に注目。そのねじは仕様が難しく、どこの会社からも断られているという。浩太はこの特殊ねじの仕事を引き受け、厳しい納期の中従業員と協力して試作品を作り上げて納品。その品質が客先に認められ、仕事の受注が回復していった。
2004 - 2005年(なにわバードマン)

それから10年後。五島のばらもん凧をきっかけに空への憧れを育んだ舞は、ものづくりをしている父の影響もあり飛行機づくりを夢見ていた。大学生になった舞は、浪速大学で航空工学を専攻。人力飛行機サークル(部活)に入り、「なにわバードマン」の一員として人力飛行機の制作に取り組む。一方、東大に入った悠人は一人暮らししているも、実家に連絡をしないためか、両親を心配させていた。

浩太の会社は、10年前の特殊ねじ製造の成功がきっかけで順調に業績を伸ばし、工場を拡大し従業員数も以前よりかなり増えていた。浩太は会社の知名度アップのため、会社のキャッチフレーズを考えたりホームページの開設を行い、社名も「岩倉螺子製作所」から「株式会社IWAKURA」に改名した。

舞は部員達と共に人力飛行機「スワン号」を完成させるが、テスト飛行中にスワン号がバランスを崩して地面に落下。パイロットの由良冬子が脚を骨折し、本番の記録飛行までに快復が望めなくなってしまう。舞は自らパイロットに立候補し、由良の励ましを受けながら厳しい食事制限とトレーニングを重ねる。そして迎えた本番の日。琵琶湖での記録飛行に臨み、舞は人力飛行機で初めて空を飛ぶ。記録の数値としては残念な内容だったが、その年が最後のフライトになる3年生の想いも乗せて飛ぶことが出来たという意味では成功で、皆に喜んでもらえた。そして舞は、このとき空を飛んだことがきっかけで、空を飛ぶことに魅せられ、パイロットになることを夢見るようになる。その後、舞は大学を中退して航空学校入学する決意を固め、意を決しそれを両親に話す。最初は「大学をきちんと卒業してほしい」と反対されたが、必死に両親を説得して理解してもらい、入学試験に向けて猛勉強に励む。

そして迎えた入試当日。舞は緊張して面接に挑むが、その面接試験会場で同じく受験に来ていた柏木弘明と出会う。その後、舞の元に合格通知が届き、舞は航空学校へ入学を果たす。
2006 - 2007年(航空学校)

舞は航空学校に入学し、宮崎本校で寮生活に入る。そこで舞は面接会場で出会った柏木と再会し、柏木や寮のルームメイトとなった矢野倫子ら同期達と切磋琢磨しながら日々勉強を重ねていく。

宮崎本校での座学過程を終えると、帯広校に移動して訓練課程に入る。そこで舞は、鬼教官と恐れられる大河内守教官に出会い、同期の柏木と水島祐樹と同じ班で大河内から指導を受けることになる。舞は訓練機を飛ばして実地訓練を行うが、着陸が苦手で、大河内から度重なる厳しい指導を受ける。同期達とは切磋琢磨し合う過程で絆が強くなっていくが、プリソロチェックの際に水島が不合格になり、フェイル(退学)になってしまう。舞は水島を容赦なくフェイルにした大河内に反感を抱くが、自身が体調を崩した際に大河内が見せてくれた気配りや彼の厳しい指導の裏にある本心を垣間見たことで、大河内に対する認識を改めていく。

柏木とは訓練や学校生活の中で徐々に距離が縮まっていき、彼から告白されるに至る。舞はその場では返事はしなかったが、帯広校での最終試験に合格後に返事をし、柏木と恋人として交際することになる。その後、大阪に帰省した際、同行した柏木を両親に紹介する。浩太は舞が男を連れて帰ってきたことに最初は動揺するが、その夜の食事の席で柏木の誠実な挨拶を目にしたことで、彼を舞の交際相手として認める。

その後、舞は宮崎本校で更なる訓練を積み、同時に就職活動を行う。就活は不採用続きで苦戦したが、ハカタエアライン株式会社から内定をもらうことができ、航空学校の最終試験にも合格し、無事卒業する。柏木は国際線のパイロットになるため、卒業後はアメリカに留学することになり、2人は遠距離恋愛となる。
2008 - 2009年(リーマンショック)

IWAKURAの新しい工場が稼働開始した矢先の2008年、世間にリーマンショックの影響が波及し、IWAKURAもその影響を受けて受注が激減。売上が足りず、従業員の給料を岩倉家の貯蓄から捻出しなければならないほどの苦境に陥る。また、舞の就職が内定していたハカタエアラインもリーマンショックの影響を受け、舞の入社が一年延期になってしまう。一方、悠人はヘッジファンドでマネージャーを務めており、雑誌にインタビュー記事が掲載されるほどの敏腕投資家になっていた。浩太は総務経理課長の古川輝海から従業員のリストラを要請されるが、リストラだけは避けたいと拒否し、仕事を得るべく客先を周り頭を下げ続けた。その心労が祟り、2009年1月にはストレス性の胃潰瘍を発症して倒れてしまうが、幸い大事には至らなかった。退院して職場に復帰すると、信用金庫から融資の返済を督促され、会社の抜本的な立て直しを迫られる。舞はIWAKURAの苦境を知ると、就職が一年延びたこともあり、工場の仕事を手伝うと申し出る。頭を悩ませた浩太は、古川の要請に従い、苦渋の決断でパート従業員3名のリストラを断行。彼女らが担っていた商品の梱包作業を舞が行うことになる。

そんな折、突如悠人がIWAKURAの工場にやってきて、その夜、浩太に工場の売却を提案する。浩太はその提案を断り、体調不良を押して会社の立て直しに奔走し、新規の仕事を獲得。試作品も取引先から合格が出て、納期の関係で本発注前に量産を開始。しかしこれが仇となり、取引先から急な設計変更の通知があり、本注文が立ち消えになってしまう。さらにその夜、浩太が工場で心筋梗塞を起こして倒れ、病院に搬送され懸命の救命措置が行われるも、急逝。舞とめぐみは、浩太の突然の死に悲しみ憔悴する。

五島から駆け付けた祥子や梅津家の支えで葬儀を行った後、舞とめぐみは落ち着く間もなく、今後会社をどうするか選択を迫られる。社長代理となっためぐみは、一度はIWAKURAを畳むことを決意。しかし、信金が視察に来る日の早朝に従業員達が工場内を掃除している姿を目の当たりにし、彼らの情熱を知ったことで考えを改め、会社を続けていくことを決意し、IWAKURAの3代目社長に正式に就任する。舞はめぐみを支えるため、ハカタエアラインの内定を辞退してIWAKURAの仕事をやっていくことを決断。柏木に再会した際にその旨を伝える、柏木は「今パイロットを諦めたらきっと後悔する」と舞を説得するが、舞の決意が固いことを悟ると彼女の意思を尊重。二人は別れることになる。

正式にIWAKURAの社員となった舞は、営業担当になり、新しい仕事を得るために客先に営業に向かう。しかし、客先の担当者から知識不足を指摘され、全く仕事を得ることが出来なかった。舞はこのままではいけないと思い、ねじ製造を一から勉強することを決意。笠巻からねじの製造方法の講習を受けながら独学でも猛勉強して知識をつけ、再度営業に挑戦し、薄型テレビに使われるねじの仕事を獲得することに成功した。また、悠人が投資家としてIWAKURAを買い取ることに同意し、それによって信金からの融資も完済。他社に引き抜かれていた結城もIWAKURAに戻り、IWAKURAの復活に希望の光が差した。
2013年(飛行機部品への挑戦と兄の疑惑)

リーマンショックから4年後の2013年。IWAKURAの業績は順調に伸びて、舞は営業部のエースとして活躍していた。貴司は八木から預かった鍵で古本屋「デラシネ」を再開し、地元の子供たちに開放。デラシネを経営しながら短歌作りを行っており、後に短歌界の芥川賞と言われる「長山短歌賞」を受賞する。

ある日、舞は「航空機産業参入支援セミナー」があると知り、めぐみと共に参加。翌日、そのセミナーでの舞の発言に注目した日本トップクラスの重工業「菱崎重工」の荒金正人がIWAKURAに来社し、航空機の新型エンジンに使われるボルトの試作を提案される。図面を確認すると、今のIWAKURAの設備では難しいと思われたが、舞は浩太の航空機部品製造の夢を実現するために絶対に挑戦したいと従業員達を説得し、笠巻らの賛同を得る。このボルト試作のプロジェクトは「IWAKURA・夢プロジェクト」と名付けられ、舞がプロジェクトリーダーとなる。舞はこのプロジェクトと並行して、航空機部品の製造に必要な認証規格「JIS Q 9100」の取得に向けた勉強も行う。試作を始めると、材質がこれまでIWAKURAで扱ったことのない硬いの金属のため、圧造・転造共に困難を極める。舞たちは東大阪の他の町工場の設備も借りて試行錯誤の末にボルトを完成させ、そのボルトは品質試験で高い評価を受ける。荒金はめぐみに、IWAKURAも航空機部品に特化しないかと提案するが、めぐみは考えた末に今のIWAKURAの事業を継続することを選択し、航空機部品への参入を断念する。こうして、IWAKURAの航空機部品への挑戦は幕を下ろした。

同年12月、テレビで悠人にインサイダー取引の疑惑があると報じられる。


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