興雲院
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こうした経緯を経て羽柴秀吉の庇護下に置かれ、化粧領(化粧料とも)として近江国神埼郡高野村で500石を与えられた[1]。秀吉の正室・おねに仕えて孝蔵主東殿大谷吉継の母)と共に側近の筆頭であったという。長男・甚五郎が天正11年(1583年)に加賀松任城主に任じられたという記録もあり、豊臣政権の奥向きにあって重きをなしたことは確かなようである。お鍋が秀吉の側室・松の丸殿の侍女であった可能性も指摘されている[3][4]

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで子の信吉が西軍について改易されたため連座して500石の化粧領を取り上げられる。そこで困窮したお鍋に豊臣秀頼(実質は淀殿)から50石の知行、北政所からは30石の知行が与えられ、共同でお鍋の晩年を支えた[5]。京都で晩年を過ごしている。慶長17年(1612年)6月25日、死去した[1]。墓所は京都の大徳寺塔頭総見院[1]。文学に造詣が深く公家との交流があったという。
登場作品

信長 KING OF ZIPANGU1992年NHK大河ドラマ) - 演:若村麻由美、役名は「なべ」

織田信長1994年テレビ東京) - 演:森崎めぐみ、役名は「奈々」

秀吉1996年、NHK大河ドラマ) - 演:櫻井公美、役名は「お鍋」

信長の棺2006年テレビ朝日) - 演:浅野ゆう子、役名は「興雲院」

脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 松田亮「信長の側室、おなべの方」『歴史研究』12月号、1969年。 
^ a b 宮本義己「戦国「名将夫婦」を語る10通の手紙」『歴史読本』42巻10号、1997年。 
^ 桑田忠親『太閤秀吉の手紙』〈角川文庫〉1965年。 
^ 桑田忠親『桃山時代の女性』吉川弘文館、1972年、140-141頁。 
^ 跡部信「高台院と豊臣家」『大阪城天守閣紀要』第34号、2006年。 


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