自転車
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

しかし、これは画期的なものとは考えられず却下されてしまった[8]。1817年、ドライスは試行錯誤の末、二本足で地面を蹴って走る「ドライジーネ」を発明した。1817年6月12日、ドライジーネを一般に公開。マンハイムからシュヴェツィンゲンまで約15 kmの区間をわずか1時間で往復。そのスピードは駅馬車よりも速く、人々に大きな衝撃を与えた[9]。更に1カ月後の1817年7月、ドライスはドライジーネにまたがり、駅馬車とレースを行った。駅馬車の4分の1の所要時間となる4時間で約50 kmを走破。当時の書物には、駅馬車に完勝した記録が残っており、これが二輪車が初めて歴史に登場した記録であり、史上初の二輪車レースの記録とされている[10]。1817年、バーデンとパリの登記所にて「ドライジーネ」の特許は受理され、1818年1月22日、ドライス男爵はバーデンにて10年にわたる商業権を認められた[11]
ドライジーネが他の二輪車起源説と違う点
特許申請証が現存している
1817年末、バーデンとパリの登記所にて「ドライジーネ」の特許を申請。1818年1月22日、ドライス男爵はドイツ・
バーデンにて10年にわたる商業権を認められた。また、1818年2月17日にフランス・パリでも特許を取得しており、この時の記録は現在も残っている[12]。加えて、1817年7月に駅馬車とレースを行った記録も複数の書物で確認できることから、極めて信憑性が高い[13]
後の自転車の発展に影響を与え、歴史が連続している
ドライス男爵は特許申請の翌年、1818年にドイツ国内だけでなく、パリにも出向き、公園にて「ドライジーネ」の試乗会を開催した。試乗会は3000人もの大観衆を集め、新聞、戯画など人々の間で大きな話題となり、更にはドライス男爵の風刺劇まで公演される大成功を収めた。話題はドーバー海峡をこえ英国人のジョンソンの耳に届くと、彼が鉄製フレームを使って模造することで、自転車はさらなる進化を遂げていくことになる[14]
他国による起源の主張

ドライジーネの登場と同時代にフランスやロシアで同様の二輪車が発明されていたという起源の主張があり、日本でも1970年頃まではフランスの「セレリフェール」という二輪車が自転車の始祖であるという説が有力であった。しかし、それらは後の研究で反証され、存在の立証ができずに自転車の正史としては認められることはなかった。特にイタリアで主張されたレオナルド・ダ・ヴィンチの自転車のスケッチは大きな物議をかもすことになった。1500年代にレオナルド・ダ・ヴィンチが自転車のスケッチをしたという原稿が見つかった。しかし、これは1960年代にダ・ビンチの手書き原稿を修復したイタリア人のある修道士が、もともと描かれていた二つの円を自転車の車輪に見立て、ペダルやチェーンなどを加筆することで、自転車に仕立てたものだとされている。このスケッチが描かれた紙は、16世紀に保存上の必要から二つ折りに糊付けされていたが、修道士が加筆する直前、歴史学者のペドレッチが強い照明を使い透かした当初、描かれていたのは二つの円だけだった[15]
ペダル式自転車の誕生

1732年に彦根藩藩士の平石久平次時光が世界初のペダル式の自転車@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(自動車)[要出典]である新製陸舟車を発明する[16]

1839年に、イギリスのマックミランによってヨーロッパ初のペダル式の自転車が考案された[17]ミショー型ベロシペード

1861年フランスでミショー型が発売された[注釈 2]。これは現在の小児用の三輪車と同じようにペダルを前輪に直接取り付けたものであった。ピエール・ミショーがオリビエ兄弟(en)より出資を受けて製造販売を始めたもので、これは初めて工業製品として量産された自転車でもある。なお、ミショー型については、ミショーの元で雇用されていたピエール・ラルマンが「自分こそがペダル付き二輪車の発明者であり、ミショーにそのアイデアを盗用された」と主張し、1866年アメリカにて特許を取得している。詳細は「ベロシペード」を参照典型的なペニー・ファージング(オーディナリー)型自転車

1870年頃、英国ジェームズ・スターレーが、スピードを追求するために前輪を巨大化させたペニー・ファージング型自転車を発売し好評を博したため、多くのメーカーが追随。前輪は拡大を続け、直径が1.5メートルを超えるものも出現した。当時盛んに行われたレースなどスポーツ用に特化したもので、長距離のクロスカントリーライドまで行われた。しかし極端に重心位置が高いため安定性が悪く、乗車中は乗員の足がまったく地面に届かないことなどにより日常用としては運用が困難であり、転倒すれば高所より頭から落ちるような危険な乗り物であった。日本ではだるま車などと呼ばれた。詳細は「ペニー・ファージング」を参照

1879年に英国人ヘンリー・ジョン・ローソン(英語: Harry John Lawson) により後輪をチェーンで駆動し、座席(サドル)の高さが低いため重心が低く、乗員の足が容易に地面に届く物が製作され、ビシクレット(Bicyclette…二つの小輪)と名付けられた。これが英語の Bicycle の元となった。マキャモンによる初期の安全型

1884年スターレー・アンド・サットン(Starley & Sutton)、ハンバー、マキャモン(McCammon)(en)、BSAなどがビシクレットに改良を加えた自転車を発売する。
安全型自転車の誕生安全型自転車の一例

1885年にジェームズ・スターレーの甥ジョン・ケンプ・スターレーが「ローバー安全型自転車(Rover Safety Bicycle)」の販売を開始する。側面から見て菱形のシルエットを持つダイヤモンド型のフレームを持ち、前後輪が同じ大きさで、後輪チェーン駆動の現在の自転車に近い姿になった[17]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:119 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef