自由海論
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なぜグロティウスは『自由海論』のみを出版し『捕獲法論』を未刊のままとしたのかについては定かではなく様々な憶測があるが[25]九州大学法学部教授伊藤不二男は東インド会社の活動がオランダ国民に大きな利益をもたらすことが明らかとなって会社に対する批判が少なくなったために、もともと会社を擁護するために書かれた『捕獲法論』を刊行する必要がなくなったからではないかと指摘する[17]。あるいは同じく九州大学教授の柳原正治は、スペインからの東インド貿易放棄の提案に対し英仏が明確に反対の意を表さなかったことから、交渉の実質的責任者でありグロティウスの上司でもあったヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトが政治的理由から航行や交易の自由を真正面から論じた『捕獲法論』の出版をこころよく思わず、グロティウスもオルデンバルネフェルトの許可なしには出版することができなかったのではないかと指摘する[16]。しかし『捕獲法論』未刊の理由に関しては確定的な資料はない[16]。『自由海論』の初版は匿名で出版され、グロティウスの名が記されるようになったのは1614年のオランダ語訳において、ラテン語のものでは1618年に出版された第2版のことであった[2][26]。『自由海論』を匿名で出版した理由について、グロティウスは1613年から1616年にかけて執筆した『ウィリアム・ウェルウッドによって反論された自由海論第5章の弁明』(Defensio Capitis Quinti Maris Liberi Oppugnati a Guilielmo Welwod)のなかで、他人の評価を探り、そして反論された際にはその反論についてもっと正確に考察することが自らにとって安全であるからと述べている[10]
『捕獲法論』発見

グロティウス死後の1864年、グロティウスの子孫コロネー・ドゥ・フロート家においてグロティウスの原稿がみつかり、同家の依頼でこの原稿がオランダの書店マルティヌス・ナイホフで競売にかけられた[9][13]。このなかに「未刊の自筆の原稿。第12章の一部だけが、自由海論の表題で1609年に公刊された。」という目録が付された全280頁の原稿が発見された[27][9]。これが 『捕獲法論』である[14][注 2]。このときまで『自由海論』ははじめから独立した著書として書かれたものであると信じられていた[13]。この『捕獲法論』の原稿はライデン大学法学部が落札し1868年に公刊された[13]#『捕獲法論』第12章との比較も参照。
内容

『自由海論』は、初版においては全体で80頁弱[1]、序の章を除くと66頁程度、全13章からなる[29]。各章は以下の通り。

各章の題名#日本語訳[30]ラテン語原文頁番号[注 3]
序文キリスト教世界の諸君主と自由な諸国民に対して。Ad principes popvlosqve liberos orbis christiani-
第1章航行は、万民法によってなに人にも自由である。Jure gentium quibusvis ad quosvis liberam esse navigationem1-4
第2章ポルトガル人は、オランダ人が航行する東インド諸島に対して、発見によっていかなる支配権をも有しない。Lusitanos nullum habere ius dominii in eos Indos ad quos Batavi navigant titulo inventionis4-7
第3章ポルトガル人は、東インド諸島に対して、教皇の贈与によって支配権を有しない。Lusitanos in Indos non habere ius dominii titulo donationis Pontificiae7-9
第4章ポルトガル人は、インド人に対して、戦争にもとづいて支配権を有しない。Lusitanos in Indos non habere ius dominii titulo belli9-13
第5章インド人のところへ行くまでの海と、その海を航行する権利は、占有によってポルトガル人の独占とはならない。Mare ad Indos aut ius eo navigandi non esse proprium Lusitanorum titulo occupationis13-36
第6章海と航行の権利は、教皇の贈与によってポルトガル人の独占とはならない。Mare aut ius navigandi proprium non esse Lusitanorum titulo donationis Pontificiae36-38
第7章海と航行の権利は、時効や慣習によってポルトガル人の独占とはならない。Mare aut ius navigandi proprium non esse Lusitanorum titulo praescriptionis aut consuetudinis38-51
第8章通商は、万民法によっていかなる人の間においても自由である。Iure gentium inter quosvis liberam esse mercaturam52-54
第9章東インドとの通商は、先占によってポルトガル人の独占とはならない。Mercaturam cum Indis propriam non esse Lusitanorum titulo occupationis55
第10章東インドとの通商は、教皇の贈与によってもポルトガル人の独占とはならない。Mercaturam cum Indis propriam non esse Lusitanorum titulo donationis Pontificiae55-56
第11章インド人との通商は、時効や慣習によってもポルトガル人の独占とはならない。Mercaturam cum Indis non esse Lusitanorum propriam iure praescriptionis aut consuetudinis57-59
第12章ポルトガル人が通商を禁止するのは、衡平にもとづいても、いかなる支持をもうけない。Nulla aequitate niti Lusitanos in prohibendo commercio59-62
第13章オランダ人は、インド人との通商の権利を、平和のときでも、休戦のときでも、戦争のときでも、維持しなければならない。Batavis ius commercii Indicani qua pace, qua indutiis, qua bello retinendum62-66[注 4]

構成

序文では、海洋に関する問題解決のため、普遍的人類社会の思想を説き、キリスト教世界に対し問題の審議を求めている[7][33]。この問題とはスペインとオランダの間で争われている、一国が大洋を領有できるのか、他国民同士の通商や交通を禁止することができるのか、他人の物を他人に与えることができるのか、他人の物を発見したという理由で取得することができるのか、という論争であるとしている[34]。そしてこの問題は、普遍的人類社会の法である万民法によって解決されなければならないとしている[34]。この序文は『自由海論』のもととなった『捕獲法論』第12章にはなかったもので、『自由海論』に初めて書かれたものであった[35]。そして本文ではふたつの命題を示し、以下のように『自由海論』はこのふたつの命題を論証する内容構成となっている[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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