自由民主党総裁
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自由民主党(略称:自民党)は、1955年昭和30年)11月の結党以来ほぼ全期間にわたって、衆議院過半数または比較第一党[注釈 3]を維持している。そのため、初代総裁の鳩山一郎から現職の岸田文雄に至るまでの歴代総裁26人[注釈 4]のうち24人が政権与党第一党の党首として、国会での内閣総理大臣指名選挙において日本国内閣総理大臣に指名されている。例外は河野洋平谷垣禎一の2名である(詳細は後述)。したがって、自由民主党総裁選挙は、ほとんどの期間において、内閣総理大臣を決定する事実上の首相指名選挙と位置づけられている(いわゆる「総理総裁」)。

そのため、歴代の自民党総裁の大半はマスメディアでの報道においてもほとんどは「首相」としての肩書で紹介されており、「総裁」として報道されるのは、党首として出演する国政選挙(衆議院議員総選挙参議院議員通常選挙)の関連番組や、党首候補者として取り上げられる総裁選関連のニュースなどに限られる。

国会での内閣総理大臣としての答弁が「守り」であるのに対し、選挙演説で野党を徹底批判するといった自民党総裁としての演説は「攻め」であるともいわれる[2]

内閣総理大臣と党総裁とをそれぞれ別の人物が務めるという「総理・総裁分離論」が案として検討されたことは過去にあるが、実現した例は一度もない(後述)。

なお、総裁が首相を兼務する場合、党務は幹事長(総裁に次ぐ党内序列ナンバー2)が主に担当する。
選出詳細は「自由民主党総裁選挙」を参照

総裁は自由民主党総裁選挙によって選出され、自由民主党則第6条1項が引用する総裁公選規程第1条により「党所属国会議員、党員、自由国民会議会員および国民政治協会会員による公選」が原則である。

また、党則第6条2項により、総裁が任期中に欠けた場合で緊急の事態により正規の総裁選挙が行えない場合には、「党大会に代わる両院議員総会」において、所属する全ての現職国会議員(衆議院議員・参議院議員)及び各47都道府県連合の代表者による投票によって新総裁を選出する場合もある。また、党の有識者や幹部等による話し合い調整に基づいて新総裁候補者を一本化し、両院議員総会での承認を受けて新総裁を決定する場合もある。

なお、総裁に立候補できる者は、総裁公選規程第9条により、党所属国会議員(衆議院議員・参議院議員)に限定される。
任期規定

総裁の任期はたびたび変更されている。現在の任期は3年と規定されている(党則第80条1項より)[3]

また、任期満了後に再び総裁選挙で当選した場合については、1974年以降には連続で合計2期(6年)まで(前任者の途中退任による残任期間を除く)とする規定が追加された。その後2017年以降には「連続3期(9年)まで」と変更された[4]

期間任期再選規定
1955年 - 1972年2年制限なし
1972年 - 1974年3年
1974年 - 1978年連続2期まで
1978年 - 2003年2年
2003年 - 2017年3年[3]
2017年 - 現在連続3期まで[4]

1974年に連続3選を禁止する規定が導入されて以降、規定の上限まで務めて任期満了に伴い退任した総裁の例は、2例ある。

中曽根康弘 - 1986年に2期4年の任期を全うするも、同年の衆参同日選挙での圧勝などの理由で、特例により1年延長。計5年の任期を務めた。

小泉純一郎 - 2003年に1期目(2年)を、2006年に2期目(3年)を満了。中曽根と同じく特例による任期延長が検討されたが、小泉本人がこれを固辞。2期5年(残任期間を含めると3期5年5ヶ月)の任期を全うした。

なお、安倍晋三は自身の総裁就任時点での規定の上限である2期6年を務めた後、自身の総裁在任中に規定を改正して就任が可能となった3期目の途中で病気により退陣している。


総裁を一度退任した人物が再び就任することを制限する規定はなく、再就任した例は安倍(第21代・第25代)が唯一となっている。

なお、安倍は第25代に限っても連続2822日(約8年)間にわたり在任し、歴代最長の自民党総裁かつ歴代最長の内閣総理大臣となった。次点は安倍の大叔父佐藤栄作である[5]


首相指名

内閣総理大臣指名選挙による総裁の内閣総理大臣への指名は、自民党議員だけでなく連立政権の他党の議員の協力を得て行われる。

1955年昭和30年)の自民党結成から1993年平成5年)の宮澤内閣までは自民党が単独で与党を務め、自民党が独力で総裁を首相へ指名し続けた(ただし例外として1983年から1986年までの3年間は自民党から分離した新自由クラブとの連立政権状態だったが、新自由クラブは再び自民党に合流した)。

しかし、1996年(平成8年)の橋本内閣では、他に連立与党として日本社会党および新党さきがけの協力を受けることで、総裁が首相に指名された。

また1999年(平成11年)から2003年(平成15年)にかけては自由党保守党公明党の協力を受けた。とくに公明党とは1999年の小渕第2次改造内閣以来、現在に至るまで協力関係にあり、公明党議員は自民党総裁を首相に指名し続けている。
総裁に就任したが、総理に就任しなかった事例

歴代の自民党総裁のうち内閣総理大臣首相)を兼任しなかったのは、第16代の河野洋平と第24代の谷垣禎一の僅か2人のみである。

河野洋平は1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけて、細川内閣および羽田内閣に対する野党・自民党の党首を務めたのち、自社さ連立政権における与党・自民党の党首となったが、当時の首相は日本社会党党首の村山富市が務めた。

また谷垣禎一は2009年(平成21年)から2012年(平成24年)にかけて、民主党政権下における野党・自民党の党首として任期を終えた。
総裁就任後に首相になった例

なお、第17代の橋本龍太郎と第25代の安倍晋三(2度目の総裁)も総裁就任時は首相ではなかったものの、総裁在任中に首相に就任した。

橋本龍太郎は1995年自社さ連立政権での連立与党の党首として総裁に就任したが、当初の首相は日本社会党委員長の村山富市であった。しかしその後、村山が退陣を表明。それに伴う協議の結果、当時の総裁であった橋本龍太郎が首相に指名された。

安倍は2012年に第25代総裁として就任した時点では民主党政権下における野党の党首であったが、任期中に第46回衆議院議員総選挙で自民党が大勝し、政権を奪還したことで、与党の党首として首相に指名された。
権限

党則に規定される権限を示す。
総則


党の最高責任者として、党を代表し党務を総理する。

人事


副総裁を指名する(被指名者が党大会において承認されることで正式就任)。

総務25名のうち、6名を指名する。

総務会の承認を受け幹事長政務調査会長選挙対策委員長、財務委員、組織運動本部長、広報本部長、人事委員を決定する。

総務会の議を経て顧問、参与、党友、賛助員を委嘱する。

人事委員の中から、人事委員長を指名する。

党紀委員18名のうち、6名を推薦する。

役員連絡会の参加者を指名する。

なお、総務会長は総務会の互選で選出され、国会対策委員長は総務会の承認を経て幹事長が決定する。党則上は総裁がこれらの人事に関与する規定はない。
執行


役員会を招集し、議長として運営に当たる。

選挙対策本部長、中央政治大学院総長の任につく。

総務会の議を経て、党大会を招集する。

総務会の議を経て、党の臨時特別機関を設ける。


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