自由民主党総裁
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首相指名

内閣総理大臣指名選挙による総裁の内閣総理大臣への指名は、自民党議員だけでなく連立政権の他党の議員の協力を得て行われる。

1955年昭和30年)の自民党結成から1993年平成5年)の宮澤内閣までは自民党が単独で与党を務め、自民党が独力で総裁を首相へ指名し続けた(ただし例外として1983年から1986年までの3年間は自民党から分離した新自由クラブとの連立政権状態だったが、新自由クラブは再び自民党に合流した)。

しかし、1996年(平成8年)の橋本内閣では、他に連立与党として日本社会党および新党さきがけの協力を受けることで、総裁が首相に指名された。

また1999年(平成11年)から2003年(平成15年)にかけては自由党保守党公明党の協力を受けた。とくに公明党とは1999年の小渕第2次改造内閣以来、現在に至るまで協力関係にあり、公明党議員は自民党総裁を首相に指名し続けている。
総裁に就任したが、総理に就任しなかった事例

歴代の自民党総裁のうち内閣総理大臣首相)を兼任しなかったのは、第16代の河野洋平と第24代の谷垣禎一の僅か2人のみである。

河野洋平は1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけて、細川内閣および羽田内閣に対する野党・自民党の党首を務めたのち、自社さ連立政権における与党・自民党の党首となったが、当時の首相は日本社会党党首の村山富市が務めた。

また谷垣禎一は2009年(平成21年)から2012年(平成24年)にかけて、民主党政権下における野党・自民党の党首として任期を終えた。
総裁就任後に首相になった例

なお、第17代の橋本龍太郎と第25代の安倍晋三(2度目の総裁)も総裁就任時は首相ではなかったものの、総裁在任中に首相に就任した。

橋本龍太郎は1995年自社さ連立政権での連立与党の党首として総裁に就任したが、当初の首相は日本社会党委員長の村山富市であった。しかしその後、村山が退陣を表明。それに伴う協議の結果、当時の総裁であった橋本龍太郎が首相に指名された。

安倍は2012年に第25代総裁として就任した時点では民主党政権下における野党の党首であったが、任期中に第46回衆議院議員総選挙で自民党が大勝し、政権を奪還したことで、与党の党首として首相に指名された。
権限

党則に規定される権限を示す。
総則


党の最高責任者として、党を代表し党務を総理する。

人事


副総裁を指名する(被指名者が党大会において承認されることで正式就任)。

総務25名のうち、6名を指名する。

総務会の承認を受け幹事長政務調査会長選挙対策委員長、財務委員、組織運動本部長、広報本部長、人事委員を決定する。

総務会の議を経て顧問、参与、党友、賛助員を委嘱する。

人事委員の中から、人事委員長を指名する。

党紀委員18名のうち、6名を推薦する。

役員連絡会の参加者を指名する。

なお、総務会長は総務会の互選で選出され、国会対策委員長は総務会の承認を経て幹事長が決定する。党則上は総裁がこれらの人事に関与する規定はない。
執行


役員会を招集し、議長として運営に当たる。

選挙対策本部長、中央政治大学院総長の任につく。

総務会の議を経て、党大会を招集する。

総務会の議を経て、党の臨時特別機関を設ける。

総務会の議を経て、党費額を決定する。

歴代自由民主党総裁一覧

名前太字は、就任時点で派閥領袖。形式上の派閥解消または派閥離脱をしている場合は、実質的な所属派閥を記載。

は、任期中に内閣総理大臣に就任した者。

は、自由民主党が政権を失い野党になった時点での総裁。

は、自由民主党が政権復帰して与党になった時点での総裁。

選挙名斜字は、衆参同日選挙

背景灰色は、任期中通して野党党首としての総裁(2024年4月現在、谷垣禎一が歴代唯一の例)。

自由民主党総裁代行委員(1955年 - 1956年)
代人総裁代行委員就任日
退任日[6]旧所属政党総裁選挙
(結果一覧)衆院選
(一覧)参院選
(一覧)統一地方選期在職期間
--鳩山一郎
1955年11月15日


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