自由権(じゆうけん)は、基本的人権の一つであり[1]、原則として[注釈 1]国家から制約も強制もされず、自由に物事を考え、行動できる権利である。 自由とは、自己のあり方を、自己の責任において決しうることをいう[2]。自己決定に委ねられるものには、何をなすかについてだけでなく、ある行為をなすか否かについての決定まで含まれる[2]。 ただし、その積極的効果については、社会規範としての法が保障する自由は、無制約な決定の可能性を認めるものではない[2]。例えば初期のフランス憲法は「自由」の定義とともにその限界を示していた[2]。 憲法による自由の保障は、何の自由であるかにより効果を異にするものであり、許容される制約の範囲や程度も一様でない[2]。ただ、自由主義諸国では概括的に経済的自由に比べて精神的自由についての憲法的保障の本質内容は広いという特徴があるとされる[3]。そこで違憲審査基準としては二重の基準論が主張される[4]。二重の基準論とは、経済的自由と精神的自由を区別し、前者の規制立法に関しては広く合憲性の推定を認め「合理性の基準」によって合憲性を判定するが、後者の規制立法に関しては合憲性の推定は排除され「合理性の基準」よりも厳格な基準によらなければならないとする法理をいう[4]。
概説
1791年憲法の冒頭に置かれた1789年人権宣言第4条
自由とは、他を害しない一切のことをなしうる能力をいう。各人の自然権の行使は、社会の他の成員のおなじ権利の享有を確保すること以外に限界をもたない。この限界は法律によってのみ定められる。[2]