日本の政党自由党
Liberal Party
成立年月日2012年12月28日※
前身政党日本未来の党※
解散年月日2019年4月26日[1]
解散理由国民民主党との合併[1]
後継政党国民民主党[1]
れいわ新選組(一部)[2]
本部所在地〒100-0014東京都千代田区麹町4-5-6 麹町森永ビル 4階[3]
政治的思想・立場中道左派
社会自由主義[4]
地方分権[5]
国際協調主義[5]
環境主義[5]
平和主義[6]
福祉国家
機関紙『プレス自由』[7]
政党交付金3億5155万1000 円(2016年8月31日決定[8])
法人番号3010005019924
自由党(じゆうとう、英語: Liberal Party)は、かつて存在した日本の政党。略称は自由。新聞やメディアでは自由民主党と混同しないよう由と記される場合もある。前身は、「日本未来の党」→「生活の党」→「生活の党と山本太郎となかまたち」。そのうち後者2つもこの記事で取り扱う。
2012年12月、日本未来の党の党名を「生活の党」(英語: People's Life Party)に改称する形で発足した[11]。民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも「国民の生活が第一」のものを引き継いだものが使用されていた[12]。
後に、2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で政党要件を失ったが、12月26日に無所属の参議院議員である山本太郎が入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」(英語: The People's Life Party & Taro Yamamoto and Friends)に改めた[9][13][14]。
2016年10月12日に、「生活の党と山本太郎となかまたち」から「自由党」に政党名を改名する届を総務省に提出した[15]。それに伴いロゴマークや党則も改正した[16]。2019年4月26日、国民民主党に合併、山本太郎も離党し「れいわ新選組」を設立した為、解散した。 小沢一郎は、民主党内において最大派閥を率いていたが、野田内閣の施策への反対や党内の権力闘争などの結果、2012年に自派の議員を引き連れて離党、国民の生活が第一を経て2012年11月28日に設立された日本未来の党に参加する。同党は左派新政党の集合体であったが、12月16日の第46回衆議院議員総選挙で議席を61から9に減らす惨敗を喫する。直後、代表の嘉田由紀子と国会議員の大半を占める小沢系議員との対立が激化した[17]。
党史日本未来の党の系譜
日本未来の党の分裂と党名変更