自由主義
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ヨーロッパと北アメリカでは、社会自由主義(米国では単に「自由主義」と呼ばれることが多い)の確立が、福祉国家の拡大における重要な要素となった[19]。今日、自由主義政党は世界中で権力と影響力を行使し続けている。しかし、自由主義には、アフリカとアジアで克服すべき課題がまだある。現代社会の基本的な要素は自由主義のルーツを持っている。自由主義の初期の波は憲法上の政府と議会の権限を拡大しながら経済的個人主義を広めた[12]。自由主義者は、言論の自由や結社の自由、陪審員による独立した司法裁判および公判、貴族の特権の廃止など、重要な個人の自由を尊重する憲法上の秩序を求め、確立した[12]。最近の自由主義思想と闘争の後の波は、市民権を拡大する必要性によって強く影響された[20]。自由主義者たちは、公民権を推進するためにジェンダー人種的平等を提唱し、20世紀の世界的な公民権運動は両方の目的に向けていくつかの目的を達成した。ヨーロッパ大陸の自由主義は、穏健派と進歩派に分けられ、穏健派はエリート主義になる傾向がある一方、進歩派は普遍的な参政権、普遍的な教育、財産権の拡大などの基本的制度の普遍化を支持している。時を経て、穏健派はヨーロッパ大陸の自由主義の主要な後見人として進歩派と取って代わった[14]
語源と定義

リベラル、リバティ、リバタリアンリバティーンなどの言葉は、すべて「自由」を意味するラテン語のliberにその歴史を辿ることができる[21]。リベラルという言葉が最初に記録されたのは1375年のことで、自由に生まれた人間にとって望ましい教育という文脈でリベラルアーツを説明するために使われていた[21]。この言葉が中世の大学の古典的な教育と結びついた初期の段階では、すぐに様々な意味合いが生まれた。リベラルは早くも1387年には「自由に与えられる」という意味になり、1433年には「気力のない」、1530年には「自由に許される」、16世紀と17世紀には「拘束から解放される」という意味になり、しばしば蔑称として使われるようになった[21]。16世紀のイングランドでは、リベラルは、誰かの寛大さや軽率さを指すときに、肯定的な属性と否定的な属性を持つことができた[21]ウィリアム・シェイクスピアは、『空騒ぎ』の中で、「下品な出会いを告白する」リベラルな悪女のことを書いている[21]啓蒙主義の台頭とともに、1781年には「狭い偏見から解放された」、1823年には「偏見から解放された」と定義されるようになり、この言葉はより肯定的な意味合いを持つようになった[21]。1815年には、英語で「自由主義」という言葉が初めて使われるようになった[22]。スペインでは、政治的な文脈でリベラルという言葉を使った最初のグループであるリベラレス[23] は、1812年憲法施行のために何十年にもわたって戦った。1820年から1823年にかけての「トリエニオリベラル」では、フェルナンド7世はリベラル派から憲法を守ることを誓うよう強制された。19世紀半ばまでには、リベラルは世界中の政党や運動の政治用語として使われるようになった[24]

時が経つにつれ、リベラリズムという言葉の意味は、世界の様々な地域で多様化し始めた。ブリタニカ百科事典によると、「米国では、自由主義は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の民主党政権のニューディール計画の福祉国家政策に関連しているが、ヨーロッパでは、制限された政府と自由放任主義の経済政策へのコミットメントに関連しているのが一般的である」という[25]。その結果、アメリカでは、以前は古典的自由主義と結びついていた個人主義と放任主義経済学の考え方が、リバタリアン思想の新興派の基礎となり[26]アメリカの保守主義の重要な構成要素となっている。

ヨーロッパやラテンアメリカとは異なり、北米のリベラリズムという言葉は、ほとんどが社会自由主義を指している。カナダの支配的な政党は自由党であり、米国では民主党が通常リベラルと考えられている[27][28][29]
種類
古典的自由主義

古典的自由主義(Classical liberalism)とは、ジョン・ロックジョン・スチュアート・ミルなどのイギリス啓蒙主義時代の政治哲学を源泉とする思想である。彼らはホッブス社会契約論をもとに個人の生命(Life)、自由(Liberty)、財産(Property)の3権利を自然権として主張し、以前の神学から決別した形で社会のあり方を説いた。初期の自由主義は王政のイギリスで主張されたもので、必ずしも民主主義を主張するものではない。この場合の自然権とは政治的権利はともかく個人の権利として、国王であろうとも犯すことのできない最低限の権利を論じるものであった。その後のフランスなどの革命思想において民主主義平等主義共和主義世俗主義などの要素が先に述べられた3権利の維持には不可欠であるとの主張が加わる。個人の自由の尊重、平等な個人の観念、寛容の尊重、権力の分立議会制度、市場経済の承認といった価値観を主張する思想ともいえる。

特に、前者の最初期の自由主義をもって古典的自由主義という場合はレッセ・フェール(放任される自由)を強調する思想となり、個人主義の哲学・世界観に基づく市場経済社会と、政治体制として最小限の政府(小さな政府)を理想とする「夜警国家」を主張する。古典派自由主義経済学は、利己的に行動する各人が市場において自由競争を行えば、その意図しない結果として(「見えざる手」)、公正で安定した社会が成立すると考える思想(→アダム・スミス)である。経済的自由を重視する立場から、英語圏ではEconomic liberalism(経済自由主義)やMarket liberalism(市場自由主義)とも呼ばれる[注釈 1]。一方で後者の後期の自由主義の場合は、放任される自由という観点とは逆に政府によって保護される権利という観点に立ち、国民の生活水準を守る目的での累進課税や保護主義、さらには公共機関においての宗教的服装を禁止など、自由との表現と矛盾するように見えるものである。これは日本語に明確に翻訳されていないLibertyがどのように解釈されるかでその政策的意味が変化することもあげられる。
近代自由主義

近代自由主義(モダン・リベラリズム、: Modern liberalism, Reform liberalism)は、自己と他者の自由[注釈 2] を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう[30]レッセフェール(自由放任)を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりする(無政府資本主義リバタリアニズム新自由主義)のではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズの格差原理では、格差ないし不平等の存在は、それをもたらす職務につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が図られない限り、その存在は公正ではないものとされている。

よって、近代自由主義は積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による富の再配分または地域社会による相互扶助を肯定する。すなわち、市場原理主義では大企業が利益を最大化する一連の行為のために、失業問題や構造的貧困や環境問題などさまざまな弊害・社会問題が生じ、それは古典的自由主義の「意図に反して」人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、古典的自由主義を修正する思想である[注釈 3]


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