自由・平等・友愛
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自由フランスにおいては「自由、平等、友愛」の標語は1年ほどの間は「政治的」であるとして時勢的な理由から避けられていたが[12]、1941年の秋からは再び掲げられるようになった[13]

20世紀半ばには、この標語は1946年憲法の発布と共にフランス共和国の歴史に恒久的に刻まれた。

1948年国際連合総会で採択された世界人権宣言の第1条にもこの標語の精神が継承された。全ての人間は生まれながらに尊厳と権利において自由にして平等である。人間は理性と良心を授けられており、互いに友愛の精神をもってふるまうべきである。 『世界人権宣言』第1条
それぞれの語が持つ意味政教分離法を受けて1905年に国有教会ティンパヌムに掲げられた銘
自由

1789年の人間と市民の権利の宣言自由をこう定義している――自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行うことができるということである。よって、各人の自然権の行使には、それが社会の他の人々が同じ諸権利を享受することを保証するもの以外には限界がない。こうした限界は法によってのみ決定される。

1793年の人間と市民の権利の宣言では定義はこう修正されている――自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行う属人的な権利である。それは自然を原則とし、正義を規則とし、法を防壁とする。その倫理的な限界はこの格言にある通りである――己の欲せざる所は人に施すなかれ。

「自由に生きるか、さもなくば死を」は共和国の重大なスローガンであった。
平等

標語の2番目である「平等」は法が全ての人民に対して同じであり、生まれや身分による差別は廃止され、全員がその資力に応じて国庫に寄与しなければならないことを意味する。1793年の人間と市民の権利の宣言はこう宣言している――全ての人間は生まれながらにして平等であり、法の下で平等である。

1795年の人間と市民の権利と義務の宣言(フランス語版)では――平等とは、保護を与えるにせよ、罰を与えるにせよ、法は全ての人間に対して同一であるということである。生まれによるどのような差別も、また権力のどのような世襲も許されない。

平等にもやはり社会的な側面があり、ロベスピエールによれば、平等は祖国と共和国への愛から生じ、それは極端な富の偏在を許さないからである。共和国の創設者にとっては、「平等」は世襲を廃し、各人が仕事を持ち、課税累進的なものであることを要求するものであった。要するに、サンキュロット労働者)の平等はブリッソー派ブルジョワジー)の平等とは異なるものであった。ジャン=ジャック・ルソーは平等を、自由と不可分なもので、いかなる市民も他の市民を金で買うほど豊かであってはならず、またいかなる市民も自らを売らざるを得ないほど貧しくあってはならない。

という主題として定義した[14]
友愛ベトナムホー・チ・ミン博物館にある「自由、平等、友愛」の展示。フランスの植民地支配下で拷問されたベトナム人たちの写真と重ね合わされている。

標語の3番目である「友愛」は、共和暦3年憲法の前文である1795年の人間と市民の権利と義務の宣言でこう定義されている――己の欲せざる所は人に施すなかれ。常に、自分がされたいと思う善事を他者に施すように。

フランス革命の間は、「友愛はフランス人のみならず外国人も含め、自由と平等の実現と維持のために戦う全ての者を抱擁するという十全な使命を持っていた。」[15]

哲学者で、『エスプリ』誌の元編集長のポール・チボーによれば[16]、自由と平等が権利として受け取られうる一方で、友愛は各々が他者に対して負う義務である。よって、これは倫理的なスローガンなのである。

つまり、友愛とは他者に対する親愛の念というだけではない。

社会・共同体への義務・奉仕を意味するのである。
脚注^ a b棚沢直子 グローバル化時代の国家アイデンティティ —日仏比較— 名古屋大学大学院国際言語文化研究科 日仏二国間セミナー「グローバル化で変化する日仏の国家アイデンティティージェンダー関係、社会格差」2007年11月3日-4日
^ モナ・オズーフ, Liberte, egalite, fraternite, in Lieux de Memoire (dir. Pierre Nora), tome III : Les France. De l'archive a l'embleme, ed. Quarto Gallimard, 1997, pp.4353-4389
^ 小林 1969, p.214
^ les Societes populaires
^ 『Discours sur l'organisation des gardes nationales』
この演説のテクストはオンラインで利用できる : ⇒Discours sur l'organisation des gardes nationales :「XVI. 国民軍兵の胸部にはこれらの語が刻まれる――自由、平等、友愛。同じ語が、国の3つの色(トリコロール)を持つその旗にも記される。」
^ a b Michel Borgetto, La Devise : ≪ Liberte, Egalite, Fraternite ≫, PUF, 1997, p. 32.
^ Marcel David, Le peuple, les droits de l'homme et la republique democratique, p. 235.
^ エタンプの市長ジャック・ギヨーム・シモノーを称えて1793年6月3日に行われた「法の祭典」では、「自由、平等、友愛」は「自由、平等、所有」に置き換えられていた。Ernest Hamel, Histoire de Robespierre d'apres des papiers de famille, les sources originales et des documents entierement inedits, Paris, Chez l'auteur, 1866, tome II : ≪ les Girondins ≫, p. 278 を参照。
^ David, p. 238.
^ David, p. 239-240
^ Philippe Roger, ≪ La Revolution francaise et la Justice ou le second exil d’Astree ≫, in ⇒Justice, Liberte, Egalite, Fraternite, Sur quelques valeurs fondamentales de la democratie europeenne (sous la direction d'Olga Inkova), institut europeen de l’universite de Geneve.
^ Jean-Louis Cremieux-Brilhac, La France Libre. De l'appel du 18 Juin a la Liberation, Paris, Gallimard, 1996, p. 195-197. エドガー・ド・ラルミナ大将は、1940年7月のBBCでのモーリス・シューマンの放送で、「名誉と祖国」という代わりの標語を手に入れた。それに反して、ラルミナとフォンテーヌを始めとする将校たちのさまざまな介入にもかかわらず、新聞『フランス』と雑誌『自由フランス』はその副題を保ち続けた。1941年7月8日の電報で、シャルル・ド・ゴールはこう説明している――「もし我々が民主主義のために戦うのであると単純に宣言していたなら、アメリカからは称賛されたであろうけれども、肝心のフランスの版図では多くを失うことになっていたであろう。現時点では、フランスの民衆は民主主義という言葉をこの戦争の前まではこの国で機能していた議会制と混同している。政治的な出自を問わず、我々自身の信奉者たちと、とりわけ我々の兵士たちの圧倒的多数はこのことに確信を抱いている。この体制は事実を以て、輿論において断罪されている。 他方で、我々はヒトラーファシスト体制の執拗な敵である。その証に、我々は至るところでそれと戦うのであるし、その破壊と放逐のためには、内戦をも躊躇わない。」
^ シャルル・ド・ゴール『演説とメッセージ』第1巻、「戦時中、1940年6月-1946年1月」, Paris, Plon, 1970, p. 137-138 :「『自由、平等、友愛』と言おうではないか、なぜなら、我々の祖先が我々の種族から引き出した精髄であり、この生死を賭けた戦いにかかっているものである民主的な原則を堅持することが我々の意志なのだから。」Jean-Louis Cremieux-Brilhac, La France Libre. De l'appel du 18 Juin a la Liberation, Paris, Gallimard, 1996, p. 209-210 を参照。
^ ジャン=ジャック・ルソー社会契約論』(1762)第2部11章(ウィキソース原文)
^ Borgetto, p. 34
^ ≪ Il etait le bon cote du christianisme ≫, リベラシオン, 23 janvier 2007


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