ローマ・ストア派の思想家たちは、完成された状態よりもそこにいたる過程を重視し、人間の可謬性を許容した[14]。彼らの思想の下に見られるのは、自然法を通俗化、人間化し、実際的な使用を容易ならしめることであった[15]。このような現実主義的傾向は、ローマ法における自然法の次のような定義において、やや極端な形で述べられている。自然法とは、自然が全ての動物に教えた法である。なぜなら、この法は、人類のみに固有のものではなく、陸海に生きる全ての動物および空中の鳥類にも共通しているからである。雌雄の結合、すなわち人類におけるいわゆる婚姻は、実際にこの法にもとづく。子供の出生や養育もそうである。なぜなら、私が認めるところによれば、動物一般が、たとえ野獣であっても、自然法の知識を与えられているからである。 ? 学説彙纂第1巻第1章第1法文第3項[16]
ストア派の自然法概念をローマの法律家や教父たちに広めたのは、専らキケロであった[17]。キケロ自身は哲学の専門家ではなかったが、ウァロを除けば、当時のローマにおける最も哲学的造詣の深い人物のひとりであった[18]。そもそも自然があらゆる種類の生物に授けた性質として、生けるものはみな自己の生命と身体を守り、害になると思われるものは避け、生きるために必要であるものすべて、たとえば、食物、住処といった類のものを探して用意する。…(中略)…自然はまた、理性の力によって、人と人を結び合わせて言葉と人生をともにする関係を作り出す。わけても、生まれてきた子供たちへのある特別な愛を生じさせる。さらに自然は人を促して、人々が集まり、賑わう場をなし、これに参加したい気持ちを起こさせる。そのために、生活の糧にもたしなみにも十分なだけのものをそろえようという努力の気持ちを起こさせる。そして、この気持ちは自分ひとりのためだけでなく、妻や子ら、その他、大切な人として守らねばならない人たちのために生ずる。こうした心がけがまた勇気を駆り立て、事を成し遂げる大志を育てる。 ? キケロ『義務について』第1巻4節[19]
セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスにおいては、宇宙や自然がやや宗教的な口調で語られる[20]。セネカは、友人の「いったいなぜ、世界が摂理によって導かれているのに、善き人々に数多の悪が生じるのか」という質問に対して[21]、次のように答えている。君を神々と和解させよう。最善なる者たちに対して最善なる神々と。当然ながら、善きものが善きものを害するなどということは、自然が許さないからだ。 ? セネカ『摂理について』1節[22] 自然法思想は、ギリシャ哲学とキリスト教の融合によって、キリスト教の倫理学にも影響を及ぼすようになった。既に4世紀には、カッパドキア三星を中心とする司教たちの説教の中に、ストア哲学と自然法の教えが流れ込んでいる[23]。11世紀から12世紀にかけての「改革」(reformatio)の理念は、教父たちの解釈によれば、権威ある書物に則りながら、自然と理性に従って生きることを目標とする[24]。 この流れの中で、キリスト教もまた自然法思想に影響を与え、自然法をキリスト教化していく。アウグスティヌスとその後継者たちは、永久法としての神定法を導入し、自然法をこれに帰属せしめた[25]。教令集を編纂したグラティアーヌス
キリスト教の自然法論
アウグスティヌスの自然法論アウグスティヌスは神定法と自然法とを結び付けた。