自然主義文学
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ゾラの作品は、猥雑、露骨だと批判を受け、彼が1887年に、貧しく陰鬱な農村を舞台に、零細な土地に異常なまでに執着し奪い合う貧農たちの、素朴で貪欲、悲惨な動物的生き様、醜い人間の獣性を描いた『大地(フランス語版)』を出版すると、彼の弟子たちも反旗を翻し、自然主義を離れた[1][10]。ゾラ自身も社会主義的理想主義に転身し、フランスの自然主義文学は1880年代の終わりから急速に衰退した[1]
思想

自然主義文学の小説作法の下敷きとなったのが、決定論的思考である[5]。人間の意志や行動は様々な要因によって決定されるという決定論は、十八世紀の主流の考え・価値観であった「人間の理性への信仰」を否定する[8]。理性を否定された人間は、主体性を失った現象にすぎず、生命を持った存在というより、一個の物体であるといえる[8]。そうなると、理性よりも感性が台頭し、理性の力で抑えられていた人間生来の本性、性欲・物欲といった欲望が表面化すると考えられ、自然主義文学では、どぎつく生々しい欲望の葛藤が描かれる[8]

平野信行は、「自然主義の自然とはまさにそうした『本性』『本能』の意であって、その意味では、自然主義は『本性(能)主義』と称されてしかるべき特質を有しているのである。」と述べている[8]。暗い、悲観的な思想であると言える[8]
批評

批評家ポール・ブールジェは、自然主義文学全盛期と同時代の『現代心理論集』の中で、ゾラやゴンクール兄弟の文学を「観察の文学」と呼び、その文学の特徴や厭世観の源を探った。彼らの文学は、外的環境の描写を重視し、内的世界をイメージする想像力を生かさず、登場人物の個性や意志の力をないがしろにしていると述べている[11]。こうした特徴は、一般的に、自然主義文学に対して指摘されている[11]。環境に支配され逆らうことができない、意志のない人間の物語は、必然的に、人生の悲しさ、努力の虚しさが多く描かれ、読者を意気消沈させ、メランコリーの印象を与える[11]

また、作品から作者の主観的性格を排除しようとしているにもかかわらず、鋭敏な感覚を持った作家が注意深く環境を見ることで、むしろ作家の個人的・主観的性格が作品に導入されており、自然主義文学に作家同様に神経質で傷つきやすい登場人物が多いのはそのためだという[11]

環境の影響を分かりやすく描くために、平均的で英雄的でない人物にしようと特殊性を取り除いていくうちに、没個性が行きすぎ、普通人ですらない、抽象的な存在になってしまうことがある[11]

またブールジェは、観察に基づく描写の重視という手法自体に注目し、そこにペシミズムが生まれる「心理学」的必然性があると主張している[4]。自己や他者、社会を観察し分析し続けることは、人間に自然に生じる考え方や感じ方、感性を枯渇させ、人生の土台である「無意識」を破壊する[4]。こうして人間の力が減退することで、自然主義文学に見られる憂い、メランコリー、ペシミズムが生じるのだという[4]
その他ヨーロッパ

世界各国の文学に大きな影響を与えた。イギリスのハーディ、ロシアのボボルイキン(英語版)、コロレンコチェーホフ、ノルウェーのイプセンビョルンソン、スウェーデンのストリンドベリ、デンマークのヤコブセンポントピダン、オランダのクペールス、ベルギーのルモニエ(英語版)、スペインのクラリン(英語版)等の著名な作家・劇作家がいる[1]
イタリア詳細は「ヴェリズモ」を参照
ドイツ詳細は「ドイツ文学#自然主義(1880年_-_1900年)」を参照
アメリカ

アメリカには、フランスから一世代遅れて流入した[6]。アメリカの自然主義文学は、1890年代に盛り上がりを見せ[6]スティーブン・クレインフランク・ノリスジャック・ロンドンセオドア・ドライサー等の多くの自然主義作家が生まれた[2]

当時リアリズム文学の作家ウィリアム・ディーン・ハウエルズが文壇を支配しており、ハウエルズは自然主義を必ずしも認めておらず、その作品は明るく楽天的で、「お上品な伝統」(後述)に合致したものだったが、年若い自然主義作家たちを庇護し、作品発表にできるだけ便宜を図った[6][12]


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