自治領
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イギリス側は、「王国」の名称を用いて共和制を国是とするアメリカ合衆国を刺激するのを避けたかったことから、君主国であることを暗示にとどめるため、旧約聖書を典拠としてこの名称を選んだ[4]

その後、1901年オーストラリア連邦1907年ニュージーランドニューファンドランド1910年南アフリカ連邦1921年アイルランド自由国が自治領化された。カナダは自治領化当初、王国の名が認められなかったことに失望したかも知れないが、1907年の帝国会議で従属的な「植民地」(Colony)とは違う「自治領」の地位が明確化されると、帝国内で自治領の地位は特権的な意味を持つようになった。1907年にイギリス帝国を構成する諸政府が帝国会議を開いた際、オーストラリアとカナダの2つの自治植民地が主権を持つ「ドミニオン」(自治領)であると確認された。

第一次世界大戦では、各自治領はイギリスほか連合軍の勝利に大きく貢献したが、同時に独立心(あるいは自立心)を育む契機ともなり、1926年の帝国会議でのバルフォア報告において、本国と自治領の平等が規定された。1931年にはウェストミンスター憲章においても公式に「ドミニオン(自治領)はイギリス連邦を構成し、外交・内政・軍事をイギリス政府の干渉なく行える、イギリスと対等の独立国家」として定義、記載され、イギリス政府内には植民地省とは別に自治領省が設けられた。その際、「自治領」という言葉はカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、ニューファンドランド、アイルランド自由国のいずれかのみを指すことも規定され、6つの自治領のイギリス帝国における特権的地位が明文化された。

第二次世界大戦後、イギリス国王への忠誠が義務から外されて、イギリス帝国は名実ともに解体し、新たにコモンウェルスとして再編される。その後、脱植民地化が進み、国王への忠誠を拒否して共和制に移行したインドや、イギリス国王とは別に独自の君主を戴くマレーシアなどが独立国としてコモンウェルスの一角を占めるようになると、特権的な白人自治領の地位も有名無実化していった。

インド連邦パキスタンセイロンケニアなども一時的にドミニオンを称した時期があったが、脱植民地化の流れで「ドミニオン」は使われないようになり、「コモンウェルスレルム」(Commonwealth realms, 英連邦王国)という名称が使われるようになった。
脚注^ 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア, 精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,改訂新版 世界大百科事典,ブリタニカ国際大百科事典. “自治領(じちりょう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月4日閲覧。
^ Oxford Advanced Learner's Dictionary. 7th edition, Oxford U.P.
^ 『歴史学事典』12、弘文堂
^ 詩篇72番8節(欽定訳聖書による):.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}He shall have dominion also from sea to sea, and from the river unto the ends of the earth.新共同訳聖書では王が海から海まで、大河から地の果てまで、支配しますように。と訳されている。

関連項目

ウェストミンスター憲章

イロコイ連邦

ドミニオン(曖昧さ回避)

レルム

地方知行

外部リンク

『自治領
』 - コトバンク

典拠管理データベース: 国立図書館

日本

チェコ


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