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出典検索?: "自我" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2024年3月)
自我(じが、英語: ego、ドイツ語: das Ich または Ich)とは、哲学および精神分析学における概念。哲学において認識・感情・意思・行為の主体を外界や他人と区別していう語[1]。なお、ドイツ語代名詞の ichとは、頭文字を大文字で表記することで区別される。 哲学におけるdas Ich(私とも。以下自我とする)は自己意識ともいい、批判哲学および超越論哲学において、自己を対象とする認識作用のこと。超越論哲学における原理でもある。初期フィヒテの知識学においては、自我は知的直観の自己定立作用 (独: Selbstsetzung) であり、哲学の原理であるとともに唯一の対象である。自然はこれに反定立される非我 (独: das Nicht-Ich) であって本来的な哲学の対象ではない。したがってフィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定される。これに対し、他我 (独: das Andere-Ich) と呼ばれる個別的人格の可能性は、非我と異なり道徳性において承認されかつ保証され、この構想はシェリングおよびヘーゲルから様々な点で批判されたが、一方フィヒテ自身もこの、他我なし自我概念にあきたらず、後期フィヒテにおいては自我は、我々=自我たち(独: das Wir)、および絶対者 (独: das Absolute) の概念へと展開される。すなわち、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中軸概念としては扱われなくなる。 シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し、『自我について』(“Vom Ich”) で自我の自己定立性を、無制約性と結びつけた。自我論文においては、物(独: das Ding)である非我一般に対し、無制約者 (独: das Unbedingte) としての自我は「物(独: Ding)にされないもの」として対置させられる。そのような自我の特質としての無制約性が自由である。ここにおいて思惟の遂行としての哲学すなわち無制約な自我の自己知は、自由な行為 (独: Handlung) となり、カント以来の課題であった知と行為の一致は、ただ自我の自由においてのみ一致する。また、シェリングはフィヒテが否定した自然哲学を主題的にとりあげ、『超越論的哲学の体系』において自我の前史・自我の超越論的過去としての自然という構想を得る。さらに進んで、『我が哲学体系の叙述』では、自我すなわち主観的精神と客観的自然はその原理において同一であり、無限な精神と有限な自然とは、即自において(それ自体としては)無差別な絶対者であるといわれる。これによってシェリングの同一哲学の原理である無差別(独: Indifferenz)が獲得される。 このような思想において、主観的なものとして取り上げられるのはもはや自我ではなく、むしろ精神であり、また精神における主観的なものとしての知また哲学となる。後にヘーゲルは『精神の現象学』でこの絶対者概念を取り上げ、このような同一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判した。そのようなヘーゲルの体系では、自己意識は精神の発展・教養形成の初期の段階に位置づけられ、もはや初期知識学のような哲学全体の原理としての地位から退くのである。 一方、マックス・シュティルナーはフィヒテの自我の原理をさらに唯物論的に発展させ、自我に価値を伴わない一切の概念をすべて空虚なものとした極端な個人主義を主張。国家や社会も自我に阻害するものであれば、排除するべきであるという無政府主義を主張した。 ジークムント・フロイトにおける das Ich(以下自我とする)は精神分析学上の概念である。 なおアメリカの精神分析学においては、1953年にジェイムズ・ストレイチーによるフロイト翻訳全集の英訳の際、独: das Ich(自我)は羅: ego(エゴ)、独: Uber-Ich(超自我)は 英: super-ego(スーパー・エゴ)、独: Es(エス)は羅: id(イド)と訳され用語として流布した。 初期精神分析(~1922, フロイト)における自我(じが、独: das Ich)は意識を中心にした自己である。つまり「私」に近いものである。これは初期のフロイトが意識と無意識の区別によって精神を把握していたためである。 心的構造論における自我(じが、独: das Ich、羅: ego)は意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造である。エゴとも呼ばれる。 自我はエスからの要求と超自我からの要求を受け取り、外界
哲学における自我
精神分析学における自我
自我