自己愛性人格障害
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アメリカ精神医学会はDSMにおいて、摂食障害の人はかなりの割合で少なくとも一つのパーソナリティ障害の診断基準を見たし、自己愛性パーソナリティ障害は神経性無食欲症拒食症)と関連が深く[49]神経性大食症過食症)は境界性パーソナリティ障害が最も多く見られると報告している[83]。摂食障害の人々もまた、極度に価値下げされた自己像と、それに対置する理想的で誇大的な自己像が分裂して併存しており、自尊心の障害を抱えている[84][85][86]。摂食障害における自己愛的防衛の研究は、摂食の病理と自己愛の間にある相関関係に注目している[87][88]。詳細は「摂食障害 - 病理学」を参照
歴史水仙学名 : Narcissus)

極端なうぬぼれと自己中心性を表現するためにナルシシズムという言葉を使用するのは、現代の医学分類である自己愛性パーソナリティ障害の遥か以前に遡る。ギリシア神話の人物であるナルキッソスという青年は美しい容貌を備えていたが、彼に恋をした精霊のエコーに冷淡にふるまったことで女神ネメシスの怒りを買ってしまった。自分の姿に恋焦がれるという罰を受けたナルキッソスは、泉に映る自分に見惚れたまま痩せ衰えて死んでしまった。彼亡きあとの水辺には、一輪のスイセン: Narcissus)の花が残っていた[89]

ナルシシズム(自己愛)という言葉の起源は、1895年ハヴロック・エリスが自己没頭的な患者を報告する際にナルキッソスの物語を引用したのが始まりとされる。1899年にはパウル・ネッケ性倒錯を定義する言葉としてナルシシズムという語を用い、1909年にはジークムント・フロイト対象愛の前段階という、より広い心理状態を指す語としてナルシシズムという言葉を用いた。

1933年にはヴィルヘルム・ライヒがはじめて誇大的な人物像である男根期的自己愛性格を人格の病理として記載し[90]1946年にはオットー・フェニケルが自己愛人格あるいはドンファン性格として記載した[91]1953年アニー・ライヒは、極端な2つの自己像に分かれ、現実的な自己像を持たない自己愛患者について報告した[38]1967年オットー・カーンバーグによる自己愛性人格構造[92]1968年ハインツ・コフートによる自己愛性パーソナリティ障害[93]の提唱により、誇大的な自己像を抱え社会生活に支障をきたす一群の疾患単位が提唱された。1980年に発表されたDSM-IIIによって自己愛性パーソナリティ障害概念が定義され、DSM-5へと引き継がれ現在に至っている。
自己愛性パーソナリティ障害の有名人三島由紀夫(1925 - 1970)ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908 - 1989)

自己愛性パーソナリティ(障害)を有していたとされる有名人には、三島由紀夫サルバドール・ダリヘルベルト・フォン・カラヤンがいる。

三島由紀夫は対人関係に過敏で、貴族的な選民意識を持ち、妥協を許さぬ完璧主義者であった。祖母に溺愛され、母との情緒的な繋がりを持ちにくかった三島は、幼い頃にはケガをすると危ないという理由で女の子だけを遊び相手に選ばれている。文壇デビュー当時の思うように売れない時期から、基底にある自己不確実感を覆い隠すようにボクシングウェイトリフティングという肉体鍛錬に没頭した。またそのうるわしい肉体とは対照的に、取り巻きなしでは飲食店に入ることすらできないという過敏性を示している[94]。その後数々の傑作を生み出し隆盛を極めたものの、40歳にもなると肉体的な老いを感じずにはいられなくなり、痩せ衰えることを極度に恐れた。やがて国家主義的思想に自らの在り方を重ねていった三島は、劇的な自決により、美を保ったまま自らの人生に幕を下ろした[95]

サルバドール・ダリは様々な精神障害の特徴を示しているが、その中核にあるのは歪なナルシシズムである。自らを天才と言って憚らない自己顕示性と、奇矯な振る舞いの背後には、ありのままの自分を認められずに過ごした生い立ちが関係している。ダリには同じ名前の兄がいたが、2歳でその人生を閉じており、ダリはその兄の写真を見る事を極度に恐れた。両親の目の奥に、自分ではなく、死んだ息子への不毛な愛情を感じていたからである。生涯にわたって自己喧伝の衝動に囚われ続けたダリは、『私は自分自身に証明したいのだ。私は死んだ兄ではない、生きているのは私だ、と』と綴っており、愛情面の傷つきからくる繊細な感性と、誇大的とも言える自信は、創造的な営みの原動力となった[96]

ヘルベルト・フォン・カラヤンは世界最高の指揮者として「帝王」の名をほしいままにしたが、その気性から数多くの問題を引き起こした。カラヤンはメディアに掲載される自らの写真を全てチェックし、認めたもののみ公表を許すなど、自分が最も理想的な姿で映し出されることを求めた[97]1975年に不意打ちで写真を撮られた際にはカメラマンを殴りつけるという事件を起こしている。またカラヤンは自らが貴族階級出身であることをあらわす「フォン」をつけて名乗ったが、パスポートには「ヘルベルト・カラヤン」とだけ記されていたという。幾度にも渡るベルリン・フィルハーモニーとの対立に示されるように、カラヤンは少しでも意見を言う者や、従わないものには怒り狂い、徹底的に攻撃した。世間の持つ「天才」、「帝王」という二枚目な「芸術家としてのカラヤン」と、「人間カラヤン」を同じように評価することはできないと楽員は述べている[98]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 対人恐怖症や対人緊張に悩む人は、自分を恥ずかしく思うと同時に、人前で完璧に振る舞い羨望の眼差しを向けられたいという願望を有している。理想的な自己イメージと卑下された自己イメージの間を揺れ動き、その多くは自己愛の病理を抱えている(ただしすべての対人恐怖症が自己愛と結びつくわけではない)。( 岡野憲一郎 (1998) pp. 29 - 34. )
^ “プライドの高い人”とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。( 中井久夫 (2011) p. 146)
^ 万能的な自己と無価値な自己とに連動したうつと躁のエピソードから、しばしば双極性障害(rapid cycler)と誤診される。( 市橋秀夫 (2006) pp. 96 - 97. )
^ "oblivious type" は「無自覚型」、"hypervigilant type" は「過剰警戒型」と翻訳されることがある。
^ 精神療法は常識の通用しなくなったところからはじまる。今・ここでの関係性の中で、不鮮明で混乱した意識的・無意識的材料を明確化し、潜在的な葛藤を生み出す矛盾した事柄を直面化し、不合理な行動の起源となる無意識的内容を論理的に解釈する。あの時・あそこで体験した病因的関係が、今・ここで再演されていることと結びつけて転移解釈を行う。これらのサイクルを繰り返して徹底操作する。以上が精神療法の実際的な機序である。( オットー・F・カーンバーグ (1996) pp. 9 - 11. )

出典^ 市橋秀夫 (2006) pp.56-63


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