精神医学的障害の一種である。 メイヨクリニックによると、自己愛性パーソナリティ障害は劇的で感情的な行動に特徴づけられ、主として以下の症状を含んでいる[6]。自己愛性パーソナリティ障害の症状 これらの症状に加え、自己愛性パーソナリティ障害の人物は傲慢さを示し、優越性を誇示し、権力を求め続ける傾向がある。彼らは称賛を強く求めるが、他方で他者に対する共感能力は欠けている[7]。一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられている[8]。 自己愛性パーソナリティ障害の症状は、高い自尊心と自信を備えた個人の特徴とも似通っていると捉えることができる。そこに違いが生じるのは、これらの特徴を生み出す、基底にある心理機構が病理的であるかどうかである。自己愛性パーソナリティ障害の人物は人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている。批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとする。痛ましい水準の自己価値観を有する他の心理学的状態とは対照的に、自己愛的な性格を特徴づけるのはまさにこの所以である[6]。 幼少期における高い自己意識と誇大的な感覚はナルシシズムには特徴的なものであり、正常な発達の一部である。概して児童は、現実の自分と、自己に関して非現実的な視点の元となる理想自己との間にある違いを理解できない。8歳を過ぎると、自己意識にはポジティブなものとネガティブなものの両方が存在し、同年代の友人との比較を基盤にして発達し始め、より現実的なものになる。自己意識が非現実的なままで留まる原因として二つの要素が挙げられており、機能不全の交流様式として、親が子に対して過度の注意を向けること、あるいは注意が過度に不足していることのいずれかが挙げられる。その子どもは注意もしくはケアの不足により生じた自己の欠損を、誇大的な自我意識という手段で埋め合わせようとするだろう[9]。力動的な児童精神科医の多くは、自己愛性パーソナリティ障害は学童期までには同定できるという[10][11]。また幼児期の不安定な養育は独りでいられる能力の確立を阻害し、安心して一人でいること(孤独)を楽しんだり、一人でくつろぐことを困難にする傾向がある。 児童期ナルシシズム測定(CNS)尺度によると、自己愛的な子どもは他者によい印象を与え、称賛を得ることを求め続けるが、誠実な友情を形作ることにいかなる関心も持たないと結論づけられた。CNSの研究者達は、児童期のナルシシズムは西側社会においてより優勢に見られることを測定した。過度に個人を称賛することに焦点を当てたいかなる活動も、自己愛的な側面を強めうる。ナルシシズムを先鋭化させる、あるいは保護する因子を発見する更なる調査が求められている[9]。 強迫性障害(強迫神経症)の形成には生物学的基盤をもつものから心因性疾患として生じるものまで様々なルートが存在するが、その一つに自己愛性パーソナリティ障害が挙げられる。レオン・サルズマンは、強迫性格は今日もっともよくみられる性格であり、すべてをコントロールしようとし、それが可能であるという万能的な自己像をもつ点が特徴であることを指摘している[12]。強迫とは、同じ思考を反復せざるを得ない強迫観念と、同じ行為を繰り返さざるを得ない強迫行為を指すが、これらの症状の背後には強迫症者の持つ自己不全感が関与している。行為や思考を強迫的に反復して完全を期すことは、自己不信という根源的不安を防衛し、自己の完全性を維持することへと繋がる。現実に直面して敗退した自己愛性パーソナリティ障害の人物は、退却して仮想の世界で万能的自己を維持しようと試みる。現実との関わりを避け、決断や実行を回避し、ひきこもることで自己の栄光を維持しようとする。それは、何もしないでいれば、何でもできる可能性の中にとどまっていられるからである。強迫症状が軽減・消退した直後に抑うつが生じるのは、尊大な自己像が揺さぶられ、現実の自己を受け入れなければならなくなることへの反応であり、強迫は抑うつに対する防衛として機能している[13]。 自己愛性パーソナリティ障害の人物は概して恥をかくことをひどく恐れる。精神分析医のアンドリュー・モリソンは、恥や羞恥心の感覚は自己愛の傷つきによって生じる感情と捉えた[14]。初心者が犯しても問題にならないような初歩的なミス(たとえば将棋の二歩など)を、専門家が犯すとひどく恥ずかしく感じるのは、相応に高い自負心を持つ当人にとっては、それはあってはならないことだからである。すなわちプライドが高ければ高いほど、自己愛が先鋭化しているほど、失敗した際の恥の感覚はより一層強まる。恥の体験のしやすさと自己顕示的傾向は相関しており、恥の感情と自己愛が表裏一体の関係にあるといわれるのはこの所以である[15]。 聴衆のいるスピーチ、歌唱、演技(舞台)などの状況下においては、通常は他人に見せたい自分、見せてもよい自分が注意深く選択され表現されていくが、声の震えや発汗、顔面のこわばりや紅潮などは自律神経系の支配下にあるため、意識ではコントロールできない予期せぬ反応が生じることがある。自己表現を生業としない大多数の人にとって、こうした状況は見せたくない自分がいつ漏れ出すか分からない、非常に緊迫した状況となる。プライドの高い人間が最も避けなければならないのは、狼狽する自分の姿が衆目に晒されることであり、他人から認められたいという人一倍強い欲求が、彼らを圧倒して強い緊張を生みだし、それはやがて恐怖感となって彼らを覆うようになる。対人恐怖症や社交恐怖をわずらう人もまた、自己愛の病理を抱えている[注 1]。自己愛性パーソナリティ障害の中でも過敏なタイプは、恥の感情に特徴づけられ、強い羞恥心と対人恐怖的な性格を有している[16]。詳細は「自己愛性パーソナリティ障害 - 回避傾向を持つ群」を参照 自己愛性パーソナリティ障害の原因は知られていないが、アーノルド・クーパーらは様々な研究から可能性として以下の項目をリスト化した[17]。自己愛性パーソナリティ障害の原因となる因子 いくつかの自己愛的な特徴はありふれたもので、正常な発達段階においても見られる。これらの特徴が人間関係の失敗によって複合的なものとなり、成人期にまで持続し続けると、症状が最も激しくなった時点で自己愛性パーソナリティ障害と診断されることになる[18]。この障害の原因は、フロイディアンの言葉で言えば、発達上の早期幼年時代への固着の結果であるとする精神療法家もいる[19]。 病理的なナルシシズムは重症度の連続体の中に生じる。その中でも極端な形のものが、自己愛性パーソナリティ障害である。自己愛性パーソナリティ障害は、自分は人に根本的に受け入れられない欠陥があるという信念の結果によるものと考えられている[20]。この信念は無意識下に保持されているため、そのような人は、もし尋ねられても、概してそのような事実を否定するであろう。人が彼らの不完全性(と彼らが思うこと)を認識し、それに続いて耐え難い拒絶や孤立が生じることを防ぐために、その様な人々は他者の自分に対する視点と行動を強力にコントロールしようとする。 病理的なナルシシズムは幼年期の世話役である親との関係性の質の低下によって発達することがあり、そのような関係性においては、両親は健全で共感的な愛情を彼らに与えることが出来なかった。その結果として子どもは、自分が人にとって何の重要性も持たず、関係性もないと認識してしまう。このような子どもは概して、自分には価値が無く、誰にも必要とされないというパーソナリティ上の欠陥をいくらか有していると信じるようになる[21]。
症状
人より優れていると信じている
権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう
人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
人を利用する
劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
嫉妬されていると思い込む
他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる
脆く崩れやすい自尊心を抱えている
感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
ジュラ・ベンツールによって描かれたナルキッソス
強迫
恥(羞恥心)との関連
原因
生来の過度に敏感な気質
現実に立脚しない、バランスを欠いた過度の称賛
良い行動には過度の称賛、悪い行動には過度の批判が幼少期に加えられた
親、家族、仲間からの過剰な甘やかし、過大評価
並外れて優れた容姿、あるいは能力に対する大人からの称賛
幼少期の激しい心理的虐待
予測がつかず信頼に足らない親の養育
親自身の自尊心を満足させるための手段として評価された
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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