19世紀の自動車は手作りであるため非常に高価なものであり、貴族や富裕層だけが所有できるものであった。そして彼らは自分たちが持っている自動車で競走をすることを考えた。このころに行われた初期の自動車レースで活躍したのが、ルノー、プジョー、シボレー、フォードといった現在も残るブランドたちであった。このころはまだガソリン自動車だけでなく蒸気自動車や電気自動車も相当数走っており、どの自動車が主流ということもなかったが、1897年のフランスでの自動車レースでガソリン自動車が蒸気自動車に勝利し、1901年にはアメリカのテキサス州で油田が発見されてガソリンの供給が安定する一方、当時の電気自動車や蒸気自動車は構造上の問題でガソリン自動車を超えることができず、20世紀初頭には急速に衰退していった[13]。 当初は自動車を所有するのはごくごく少数の貴族や富裕層にとどまっていた。所有者に重いコストがのしかかる乗り物という存在を、所有せず活用する、という発想は古くからあり、例えば古代ローマにも馬車を現代のタクシーのように従量式で使う手法も存在したことがあったともいう[注 1]。1620年にはフランスで貸馬車業が登場し(言わば、現代のレンタカーに当たる)、1662年にはブレーズ・パスカルが史上初のバスとされる5ソルの馬車を発明しパリで営業を開始した。1831年にはゴールズワージー・ガーニー、ウォルター・ハンコックが蒸気式の自動車で乗り合いバスの運行を開始した。内燃機関によるバスとして最初のもの(1895年) 1871年にはドイツ人のヴィルヘルム・ブルーン
共有、個人所有、シェアリングの歴史
共有の歴史
大量生産と大衆による所有と個人所有にかかる諸費用の膨張
フォード・T型(1908年発売)シトロエン・TypeC
米国で1908年、フォードがフォード・T型を発売した[8]。フォードは、流れ作業による大量生産方式を採用し自動車の価格を引き下げることに成功した。これにより裕福層の所有物であった自動車を、大衆が所有することが可能となり自動車産業が大きく発展するさきがけとなった。ヨーロッパでは1910年ごろに、大衆の自動車に対する欲求を満たすように、二輪車の部品や技術を用いて製造された小型軽量車、いわゆる「サイクルカー」が普及していった。1922年にフォードと同様の生産方法を用いた小型大衆車が発売され、本格的に自動車が普及していく事になった。また、それに伴いサイクルカーは姿を消していき、大衆車の普及によって、一般市民が自動車を所有することが可能となり、自家用自動車(自家用車)が普及すると、それに伴って自動車の利用が一般化、いわゆるモータリゼーションが起きた。世界で初めてモータリゼーションが起こったのは1920年代のアメリカ合衆国であり、次いで西ヨーロッパ諸国においても起こり、日本でも1970年ごろにモータリゼーションがはじまった。個人用自動車の普及は、鉄道や船といった公共交通機関に頼っていた時代に比べて利用者に圧倒的に高い自由度をもたらし、個人の行動半径を大きく拡大させることとなった[15]。
だが現代では、自動車を個人が所有するには、払わなければならない費用は、車両の価格だけで済まず、それ以外に自動車税・自動車重量税・自賠責保険料・車検代・消耗品等の費用・ガソリン代・駐車場代・任意保険料などの費用がかかる[16]。ナイル株式会社が2022年に公表した、「自家用車にかかる費用が家計を圧迫していると感じるか?」という設問で行ったアンケートの結果によると、 62.4%(730人)が(自動車にかかる費用が家計を圧迫していると)「感じる」と答えた[17]。
カーシェアリングやライドシェア
1970年代にはスイスなどでカーシェアリングも始まった。カーシェアはその後世界各国に広がり、2000年代には、アメリカやヨーロッパなどではUber(ウーバー)など、自家用車による有償ライドシェアを認める地域も増えてきているなど、自動車を個人所有せず快適に利用する方法は多様化してきている。日本では有償での旅客運送に第二種運転免許の取得や事業用自動車登録が原則必須であり、自家用車によるライドシェアの展開は過疎地に限られていたが、2024年4月より限定的ながら解禁されることとなった[18]。 なお自動車で採用された大量生産の手法が、ライン生産方式という効率的な手法を、自動車産業に限らず様々な製造業において広めてゆくことになった。これは企業経営者にとっては好都合な手法であったが、それは同時に分業が徹底される結果を生み、工場で多くの労働者が、まるでただの機械や道具のように扱われ、同一の単調な作業ばかりを繰り返すことを強制され、働くことに喜びを見出しにくくなる、労働者に精神的な不幸をもたらすという負の事態も引き起こした。
機械の生産方式や人々の労働への影響