自動車
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その発端は、エンジン性能の向上によって過激さを増していたモータースポーツの世界において、空力を意識したデザインがレーシングカーに続々と起用されていったことにはじまる(ただし空力の意識の発生は1900年前後の速度記録車から既に見られはじめている[59][60])。それは「ポインテッドテール」や「ボートテール」と呼ばれる、窄まったリアの形状に代表される(ブガッティ・タイプ35が著名[61])。その中でエドムント・ルンプラーパウル・ヤーライによって空気抵抗を低減するボディ構造が確立されると、1930年代から一般的な乗用車にもそれに似た涙滴(ティアドロップ)型のボディが積極的に起用されはじめた[58]。また泥除けの機能として装着されていたフェンダーに関しても、プレス成型技術の発展もあってより流麗で立体的な渦巻状のデザインに変貌し、タイヤ全体を覆うモダンなスタイリングも出現(フェンダースカート)、それらは曲線的な美しさを印象づける重要な要素として機能しはじめた。特にその前後のフェンダーの終点部分は斜め下に向かって流れるように落ち込むため、ボディ全体を尻下がりのスタイリングに印象づけた。これら一連の特徴による、丸みと曲線で構成された自動車デザインは「流線型デザイン(Streamliner, Streamline Moderne)」と呼ばれ、この時代に大流行したデザイン様式となった[62](インダストリアルデザインの発展にも寄与することになる)。”Art Deco Automobiles”としてカテゴライズされる3台のプジョー・402 ダルマット(1936 - 1939)。ボディはプルートー社による。

このスタイリングの誕生は、流体力学理論に基づいた空気抵抗の低減と、イタリアのフトゥリズモによる「速度の美」の表現、そしてフランスのアール・デコ様式による装飾芸術という、モダニズムを根幹とした”芸術性と合理性の融合”にあった[62]。それは機械化の波の中で新たな芸術性を模索した結果の一つの完成形とも言え、その曲線美から生み出されるスピード感やダイナミズムは自動車が芸術品として捉えられる大きな契機となった[62]。そのため、この時代はコーチビルダーの全盛期となり、数多くのデザイナーが自動車(高級車)のボディで美しさを競い合った。この1930年代における豪奢と前衛、エレガンスが同居したデザインの一部高級車(主にフランス車)は、”Art Deco Automobiles”(アール・デコ・オートモビルズ)、或いは”Flamboyant”(フラムボワイヤン)と呼ばれ、かつては上流階級の社交界における花形的存在として君臨したほか、現在では耽美主義的な側面を持ったダイナミックな芸術作品群として認識されている[63]。その美しさに魅了された者の中には美学者芸術家も含まれ、日本では濱徳太郎が、欧米では、”アンドレ・ドランが「どんな芸術作品よりも、ブガッティは美しい」と述べると、マン・レイが深く頷いた”、といった逸話も残っている[64]

前述の「流線型デザイン」は、その名称が取り沙汰されなくなった1940年代に至っても、曲線と丸みを帯びたスタイリングとして、カーデザインの主流を保っていた。ただし1947年のチシタリア・202や1949年のフォード・1949などの登場によって「フラッシュサイド[注 6]」ボディが大々的にフィーチャーされ、多くの自動車メーカーが採用しはじめた[65]。この変革によって自動車はより近代的なデザインとなり、ボディ全体としてまとまりを見せるスタイリングが1950年代以降の主流となる。前照灯とフェンダーはボディと一体化され、それによってボディサイドは隆起や凹凸がない滑らかな形状となった。この特徴は2020年現在でも主流となっている形態である。


1921年 - 1965年のロールス・ロイスにおけるデザインの変遷。左からシルヴァーゴースト・ツアラー (1921年製) 、レイス (1938年製) 、シルヴァークラウドIII (1964年製) 。後継車種である1965年のシルヴァーシャドウからモノコック製のモダンな箱型ボディとなったことから、シルヴァークラウドIIIは伝統的なデザインを有したロールス・ロイス最後の車種と言われている[66]

1960年代以前、特に1920 - 1960年代の自動車の多くは、先述のようにプレスラインの少ないシンプルな造形、かつ曲線を纏ったダイナミックなスタイリングを有しており、これらは芸術性の高いカーデザインとして、展示会やオークションなどでも高い評価を受けている。1960年代までの欧州における高級車やスポーツカーは、その主な顧客である富裕層のマーケットが自動車文化の歴史が長い欧米の保守層に未だ限定的であったことから[67]、そのスタイリングはしばしば「エレガント」、「紳士的」とも形容される[68][69][70]。これは戦前のアメリカの高級車やスポーツカーにおいても、欧州ほど純粋・明瞭ではないものの、同じく主流として存在していたデザイン性であった。また世界各国で開催されている「コンクール・デレガンス」は、この貴族趣味的な文化やデザイン性と密接に関連したクラシックカーイベントである。生前にエンツォ・フェラーリが”LA CORSA PIU BELLA DEL MONDO(世界で最も美しい自動車レース)”と形容した[71]伝説的な公道自動車レース、「ミッレミリア」(1927 - 1957)の参加車両も、この時代までのスタイリングを纏ったスポーツカー/レーシングカーである。それというのもレーシングカーに関しては、1960年代後半からプロトタイプのボディ構造が生産台数の緩和などによって本格的にサーキット仕様に傾いていったため[72]、自動車レースで優勝争いが行われたレーシングカーに、趣味として愛玩するレベルのデザイン性と実用性が備わっているのが、1960年代までであった(これは資産価値にも多大な影響を与える)。そのため「タルガ・フローリオ」や「トゥル・ド・フランス・オートモビル」など、他の著名な公道レースもこの時代に栄華を極めた(いずれもクラシックカーラリーとして後に復活を遂げている)。

アウディチーフデザイナーであったシュテファン・ジーラフは、”今日、車のデザインは複雑なシェイプとラインの組み合わせが主流になっています。それで顧客の興味、関心を引こうというわけです。ですが、彼らの興味はすぐに冷めてしまいます。...よいデザインとは、細部で凝っているけれど全体で見るとシンプル、そういう方向です。もしあなたが2本のラインと面で1台の車をデザインできるなら、その車は未来永劫、傑作と呼ばれるものになるでしょう”と述べており[73]、またそういった傑作を時代の変化に合わせながらも見事に創り続けているのが、ポルシェ・911であるとも話している[73]。ポルシェ・911は、デザインコンセプトを1948年の356から継承していることで知られており[74]、その普遍性に魅了された者は数多くいる[75]

1960年代以降になると、欧州の高級車やスポーツカーは、伝統にこだわらず常に新しいものを求める新たな顧客(富裕層)の台頭によって、そのイメージやコンセプトが変化、デザイン性も大きく揺らいでいくことになる[67](=カジュアル化。アメリカでは、1950年代に同様の理由から欧州よりも一足早く本格的なデザインの変化が訪れるが、こちらはその変化によって逆に「アメ車」としてのアイデンティティを確立させることに成功している[76]後述))。そのため、1990年代以降における、1960年代以前に製造されたクラシックカーへの関心の高まりや世界的な価格高騰は、人々が未だ紳士的な生活をしていた古き時代へのノスタルジアによるものだという意見もある[70]英国王室では、重要な式典における自動車の起用に際して、現行車種ではなく1960年代以前の古典的なデザインを有したイギリス車が抜擢されることも多い[77][78]
1960年代以降のカーデザイン

1950年代初頭、アメリカの自動車ブランドの経営陣たちは、戦後の好景気と自動車の大衆化に煽られて、従来のコンサバティブなデザインからの完全な脱却を図ろうとしていた[79]。そこで1950年代中頃から後半にかけて誕生したのが、「フルサイズ」としてカテゴライズされる、異彩を放った高級車群である[80]


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