自動車
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課題の解決に向けた努力も続けられており、大気汚染防止のために行政は排出ガス規制を行い、自動車メーカーは消費する石油を減らすこと、つまり燃費の向上(省燃費エンジンの開発)を行い、電気自動車ハイブリッド・カー水素自動車などの開発・販売も行われている。

専用の軌道を必要としないことから、経路と進路の自由度が高いという特徴がある。自動車を動かすこと・操ることを運転と言い、ほとんどの国で、公道での自動車の運転には運転免許が必要とされている。自動車の最初期の段階からすでに運転を誤る事故(交通事故)が発生していた。自動車によって、怪我をさせられたり命を失ってしまう人やその家族という被害者が生じ、同時に運転者が加害者として生きていかなければならなくなることは、自動車普及後の社会が抱え続けている重い課題のひとつである。最近では単純な自動運転技術を超える、本格的な人工知能と高度なセンサー類を用いて自律走行が可能な自動運転車も研究されており、AIならば人間が運転するよりも事故率が劇的に減るであろうと期待されてもいて、一部ではすでに(社会実験的な)導入が開始されており、世界での本格的な普及開始の時期が近付いている。→#負の影響

自動車の生産は、部品となる様々な工業製品があってはじめて可能となるので、他の様々な工業の振興、一次的工業品の製造とも関連する[6]。その規模の大きさ、影響の大きさによって、政府にとっては自動車の製造は(一国の)経済を支える重要な産業となりうる。現在のところ、一握りの先進国が自動車の生産を独占してしまっているような状況にある[6]。多くの開発途上国の政府が、自動車製造を行うために懸命の努力を行っている(例えば、先進国の自動車メーカーや政府と交渉し、自動車を輸入するだけでなく、自国内に製造工場などを設けさせる努力を続けている)のは、経済的な影響が大きいからである[6]。→#自動車産業

公共交通機関の発達していない田舎などでは特に一人当たりの所有率が一般的に高い[要出典]。→#自動車の普及

自動車の例 (それぞれの説明はマウスでカーソルを画像の下の方へ、またはJavascriptオンで画像をクリック)

20世紀初頭の自動車の急激な普及のきっかけとなったフォード・モデルT(T型フォード)

貨物自動車(貨物車)の例。多くの荷物を運べる。

自動車は一般に軌条(鉄道)を必要としないが、さらに、道路すら離れて走ることができる車(オフロード車)もあり、街から離れた、道路があまり整備されていない場所への移動に便利である。オフロード車(en:Off-road vehicle)の多くは総輪駆動である。写真は川を渡りかかっているオフロード車。

特殊作業車の例、露天掘りの鉱山などで使われる、特に大型のダンプカー。35トンほどの荷物を運べる。

特殊な車の一例、サーキット競走するためのレーシングカー

歴史フランス陸軍の技術大尉が1760?70年代に開発したキュニョーの砲車のレプリカ
蒸気自動車

最初の自動車は蒸気機関で動く蒸気自動車で、1769年フランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作したキュニョーの砲車であると言われている[8]。この自動車は前輪荷重が重すぎて旋回が困難だったため、時速約3キロしか出なかったにもかかわらず、パリ市内を試運転中に塀に衝突して自動車事故の第一号となった[9][8]

イギリスでは1827年ごろから定期バスとして都市部および、都市間で広く用いられ、1860年ごろにはフランスでも用いられるようになった。1885年に、フランスのレオン・セルボレが開発し1887年に自動車に搭載したフラッシュ・ボイラーにより蒸気自動車は2分でスタートできるまでに短縮された。1900年ごろにはアメリカ合衆国で、石炭の代わりに石油を使った蒸気自動車が作られ、さらに普及していった。この頃は蒸気自動車の方がガソリン自動車よりも騒音が少なく運転が容易だった。アメリカ合衆国では1920年代後半まで蒸気自動車が販売されていた。

1865年にイギリスで赤旗法が施行された。当時普及しはじめた蒸気自動車は、道路を傷め馬を驚かすと敵対視されており、住民の圧力によってこれを規制する「赤旗法」が成立したのである。この法律により、蒸気自動車は郊外では時速4マイル(6.4 km/h)、市内では時速2マイル(3.2 km/h)に速度を制限され、人や動物に予告するために、赤い旗を持った歩行者が先導しなければならなくなった。その結果、イギリスでの蒸気自動車の製造・開発は、この赤旗法が廃止される1896年まで停滞することになり、それに続くガソリン自動車の開発においても、ドイツやフランスが先行する事になる。

日本では1904年明治37年)に、電気技師の山羽虎夫が制作した蒸気自動車が最初で、これが日本産自動車の第1号だといわれている[10][8]
ガソリン自動車初期のガソリン自動車、1885年型ベンツ。3輪である。同じく初期のガソリン自動車のマルクスカー(1888年)

1870年ユダヤ系オーストリア人ジークフリート・マルクス(Siegfried Samuel Marcus)によって初のガソリン自動車「第一マルクスカー」が発明された。1876年ドイツ人ニコラウス・オットーが石炭ガスで動作する効率的な内燃機関オットーサイクルを発明すると、ゴットリープ・ダイムラーがこれを液体燃料を用いるガソリンエンジンへと改良して二輪車や馬車に取り付け、走行試験を行った。1885年にダイムラーによる特許が出されている。1885年、ドイツのカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良して、車体から設計した3輪自動車をつくった[11]。ベンツ夫人はこの自動車を独力で運転し、製造者以外でも訓練さえすれば運転できる乗り物であることを証明した。ベンツは最初の自動車販売店を作り、生産した自動車を数百台販売した。また、ダイムラーも自動車会社を興した。現在、ガソリン式自動車の発明者はダイムラーとベンツの両者とされることが多い。

1898年(明治31年)には、フランスから日本に輸入されたガソリン自動車「パナール・ルヴァッソール」が、日本国内最初の自動車として登場した[12]

日本国産のガソリン自動車は、1907年(明治40年)に誕生した「タクリー号」が最初であった[10][8]。名称の由来は、道を「がたくり、がたくり」と音を立てて走ることから[12]
蒸気・ガソリン・電気の3方式並立の時代からガソリン車時代へ

19世紀の自動車は手作りであるため非常に高価なものであり、貴族富裕層だけが所有できるものであった。そして彼らは自分たちが持っている自動車で競走をすることを考えた。このころに行われた初期の自動車レースで活躍したのが、ルノープジョーシボレーフォードといった現在も残るブランドたちであった。このころはまだガソリン自動車だけでなく蒸気自動車や電気自動車も相当数走っており、どの自動車が主流ということもなかったが、1897年フランスでの自動車レースでガソリン自動車が蒸気自動車に勝利し、1901年にはアメリカのテキサス州で油田が発見されてガソリンの供給が安定する一方、当時の電気自動車や蒸気自動車は構造上の問題でガソリン自動車を超えることができず、20世紀初頭には急速に衰退していった[13]


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