明治時代にはさまざまな自動販売機が製作されたが、単発的・実験的なものがほとんどで、一般に定着するレベルのものではなかった[12]。
1924年(大正13年)には中山小一郎が、袋入菓子の自販機を製作し、これが日本初の普及型の自動販売機とされている[13]。1926年(大正15年)4月25日、東京駅と上野駅で入場券の自動券売機(10銭)が稼働し始めた[14]。
1951年の朝日新聞では、アメリカ特派員の記事として、ニューヨークタイムズ社のオフィスに存在したカップ式の清涼飲料水自動販売機が取り上げられている。25セント銀貨を入れると5セント銅貨が4枚お釣りとして出てくること、カップが自動的にセットされて清涼飲料水が定量出てくることが味気ないとして報じられており、同時期に日本にはこの種の販売機が存在しなかった、もしくは一般的ではなかったことがうかがえる[15]。
昭和30年代前半になると、自動販売機は物珍しい機械から本格的な実用化の時代へ移行した[16]。
自動販売機は昭和40年代に急速に普及した。その要因として、1967年(昭和42年)に100円・50円新硬貨(白銅貨)が発行されたことが挙げられている[17]。
特に1967年に、国鉄が合理化の一環として、都市部で近距離乗車券発行用自動券売機の全面的な導入に踏み切ったことが、大きな影響を与えたといわれている。
日本全国の自動販売機設置台数は、20世紀中は増加の一途をたどり、2000年(平成12年)には560万台とピークを迎えた。21世紀に入ってから減少傾向に転じ、2007年(平成19年)末には日本自動販売機工業会の調査によれば540万5,300台でうち48.8%が飲料販売用、2008年(平成20年)12月末には526万台とその傾向が続いている[18]。自販機による売上も、2000年の7兆円から2008年(平成20年)には5兆7,000億円へと減少した[18]。日本での購買者の比率は男性9:女性1とされる[18]。日本国内で自動販売機の工業製品出荷金額がもっとも高いのは三重県である[19]。自動販売機の生産台数がもっとも多いのは四日市市[注 1]で、年間で約12万台が生産されている。
駅ではキヨスクなどが閉店したあとに利用客の不便を減らすため、または人件費カットを目的にキヨスクを自動販売機に置換していることも多い。また近年ではSuicaなどの交通系電子マネー支払い専用とした自動販売機も登場した。これは貨幣を扱う可動部を省くことで、機械の維持コスト低下に貢献している[20]。
2010年代に入ると缶飲料の自動販売機などで、「お金を投入しやすい」、「選択ボタンを押しやすい」、「商品を取り出しやすい」ことなどに主眼をおいたユニバーサルデザインを意識した機器が開発され始めた[21][22]。
自動販売機は大別すると物品自動販売機と自動サービス機に分けられる[3]。 国際的なHSコード
分類・種類
日本標準商品分類では非常に細かく分類されており、自動販売機及び自動サービス機(58)のうち自動販売機(581)に分類される。自動販売機は物品等自動販売機(5811)とサービス情報自動販売機(5812)に大別され、さらに以下に細かい分類が設けられている。 一般には、冷やしたり温めたりしたさまざまな容器(缶・瓶・ペットボトル・紙パッケージ・カップ)入り飲料、カップめん、菓子パン・菓子類、煙草、雑誌・新聞など保存の簡単なものが多い。また特殊なところでは、その都度豆から挽いて抽出するコーヒー、冷凍食品(焼きおにぎり、焼きそばなど)を内蔵電子レンジなどで温めて提供する自販機もある。麺類では、ゆでられた麺を湯がいてからスープを入れて提供するタイプがある。カップ麺の場合は、湯で戻して提供され、箸がついてくるものもある。 交通機関の乗車券や特急券、遊園地やテーマパークなどの入場券、各種プリペイドカードなど、券の形をした商品を販売するものは特に自動券売機ともいう。 近年では、ガソリンなどの油脂類を顧客自らが給油機で注文を行い、給油までの操作をすべて自分自身で行う「セルフ式」といわれる方式を採用するガソリンスタンドが多くなった。これも、給油機そのものが一種の自動販売機といえる。
物品等自動販売機